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第27回 『三の隣は五号室』 長嶋有著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、若葉マークさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 わたしは数年前に定年退職しまして、現在の日課といえば、図書館に行くことです。朝刊にひととおり目を通し終わると、窓際にあるソファに身を沈めて、まどろんでいます。
 ところが先日、図書館に行くと、いつものソファに人が座って本を読んでいました。他の席もすべて埋まっています。しかたなく、わたしは館内を散策することにしました。文芸コーナー。ふだんは立ち寄らない棚です。小説というのはどうも、新聞が扱うリアルなニュースではないからか、活字を追っているとすぐに眠くなってしまうのです。
 わたしは何の気なしに「あ〜」の棚から順に棚に納められた本の背表紙をみて歩きました。「さ〜」の棚に来た時です。
「ん?」
 長嶋有という作家の名前が目に入りました。わたしは元来、几帳面な性格なのです。利用者がいい加減に戻したのでしょう。けしからん。わたしは「な〜」の正しい棚に移してやろうと、その本を棚から取り出しました。タイトルをみると、

『三の隣は五号室』……

 きまぐれに頁をパラパラめくってみると、なんと、目次の反対側の頁いっぱいに、部屋の間取りがでかでかと記されています。和室が二つに、台所と風呂、トイレ、玄関──不動産のチラシなんかではよくみるけれど、こんなものが載った小説をわたしはみたことがありません。
 目次に目をやると、第1話には「変な間取り」とあります。わたしは別段、変な間取りとは思いませんでしたが、ちょっと気になって読んでみることにしました。
 すると、そこにはわたしのイメージする小説とはまったく異なる世界が広がっておりまして──

 とあるアパートの一室に暮らした様々な住人たちを描いたアパート小説『三の隣は五号室』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 圧巻でした。
 この小説には、第一藤岡荘と呼ばれるアパートの五号室に1966年から2016年という実に半世紀もの間に暮らした総勢13世帯の住人たちが登場します。
 部屋の中ほどにある四畳半の和室の三方が障子に囲まれ、それぞれが奥の六畳間、台所、玄関へと続いている構造を、住人の多くは変な間取りだと感じるけれども、その対処の仕方はさまざま。ある住人は、障子を外してしまい、別の住人は家具を置いて壁のように塞いでしまい、またある住人はありのままを受け入れて暮らす。わたしのように変だと思わない住人だっている。そして、四畳半の間を寝室にする住人もいれば、食事をする場所にする住人もいる。映画の撮影場所にもなれば、怪しいブツの保管場所にもなる──。
 たしかに、部屋は同じでも、そこに暮らす住人は老若男女さまざまで、暮らす住人の数だけ、部屋の「暮らされ」方があるという、考えてみれば当たり前のことにわたしは改めて気付かされました。
 そして、そんな住人たちが時を越えて共有しているのは、同じ部屋のようでちょっとずつ異なっている。時とともに老朽化していく部屋、その時々の住人によって足されたり、改変されたりする水道の蛇口やアンテナなどの設備、そうしたものが前後の住人、時にはいくつもの住人を飛び越えて共有され、受け継がれ、発見される。互いに会ったこともないはずの住人たちが、そうやって少しずつ、つながっている。
 不思議ですね。そうした同じ場所で連綿と続けられていく「暮らし」に、わたしが毎日読む新聞にはないリアルな何かを感じながら、わたしは眠気に襲われることなく、気がつけば、半世紀、13世帯の住人たちを生きていました(これがコスプレ、ということでしょうか)。
 半世紀分を一気に読んだ後、心地よい疲労を覚えながら、本を「な〜」の棚へと戻そうとした時、わたしはハッとしました。

 本も同じではないか──。

 本は「お話」と捉えれば目に見えないものですが、「紙の束」と捉えれば手につかめるモノです。本も、アパートの部屋と同じように、束の間、ひとが読み、そしてまた次のひとへと読み継がれていく。
 文章のところどころに薄く引かれた鉛筆の線、コーヒーをこぼしたようなシミ、水滴が垂れて乾いたような紙の凹凸、角の折れた頁、抜き忘れたのだろう手作りのしおり──わたしはこの本に残された形跡をひとつひとつ思い返しながら、歴代の読者たちに想いを馳せました。
 当初わたしは、この本を「さ〜」の棚に見つけた時、前の読者をいい加減なヤツと決めつけていたけれども、ひょっとしたら、そのひとは作家ではなくタイトルの名前順と勘違いして棚に戻してしまったのかもしれない。もしそのひとが勘違いしていなければ、わたしがこの本を手に取ることはまずなかったのだと考えると、わたしは顔も知らないおっちょこちょいな前の読者に感謝の気持ちが湧いてきました。
 さて、わたしの次はいったいどんなひとがこの本を手にするのだろう──。きっと会うことはないだろう次の読者を想像しながら、わたしは本を棚に戻しました。
 以来、わたしは図書館で新聞を読んだ後、小説を読むようになりました。几帳面な性格です。時間もたくさんあります。わたしは「あ〜」の棚から順にすこしずつ読み進めています。
 この本に出会えたことを感謝します。

 若葉マークさん、ありがとうございます!
 この小説、ぼくも読んだ時は驚きました。ひとつの部屋にこんなにも様々な人たちが暮らしては去り、暮らしては去っていく。当たり前のことをこのようにして見せられると、まるで奇跡のように見えてきます。ひとは自分が思う以上にひとと繋がっている。それはこの五号室に限らず、世界中のあらゆる場所がそうなのかもしれません。
 若葉マークさんが発見されたように、本もそうですね!!
 一冊、読むごとに、ぼくたちはぼくたちが思う以上に誰かと繋がっているんですよね。あーいますぐ本が読みたくなってきましたー!
 若葉マークさん、またお便りしてくださいね。お待ちしてます!

 それではまた来週。

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