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白いハナミズキ によせて

4月も半分が過ぎて。

ずいぶん暖かくなったな、と、雨上がりの石畳の通りからふと、街路樹を眺めて。

あ、ハナミズキが咲いてる。もう15年くらいしょっちゅうこのあたりを歩いているのに。そっか、街路樹はハナミズキだったのか、上を見上げて歩いていなかったんだな、私は。

・・・・。

故郷の町では港に続くまっすぐな道路がきれいに整備されたとき、街路樹にはピンクのハナミズキが植えられて、それまでは好きではなかった港への古い道が生まれ変わってその道をクルマでゆっくり走るのが好きになったな、と思い出した。

ハナミズキ、と言えば一青窈さんの大ヒット曲で代表作で、ロック好きの私でも何回も聴いていた歌で、2000年代にもっともカラオケで歌われたのだと少し前に知ったばかりだった。

桜の木を日本から贈られたことにお礼に、とアメリカからハナミズキが贈られた、と、何かの本だか図鑑だかでは知ってもいたんだけど。

一青窈さんが歌う「ハナミズキ」はR氏は嫌いだ、と言ってもいた。一青窈さんがさも気持ちよさげに歌うのが嫌だ、と言ってもいたが違う気がする。私が深読みしているだけだけれども。
ウエディングソングの鉄板みたいに歌われていたりする歌で、もしかしたら近しい女性、もしくは彼の元の奥様が好きな歌だったのかもしれないな、とも思っている。


一青窈さんはあの、世界中を震撼させたアメリカ同時多発テロ、9・11を知り、平和を願い、この歌詞を書いた、とも聞いてはいた。

さも気持ちよさげに歌う?そうかな?いやいやいや、丁寧に歌詞を大切にしながら噛み締めるように静かに歌われているではないか、と、耳に残るハナミズキをYouTubeで聴いてみた。言葉を丁寧に、しっかり吸い込むブレスが入っている。

プロモーションビデオを見ているうちにどんな想いで彼女がこれを書いたのか、なんとなくわかった気がした。

一青窈さんは少し前に世間から批判されていてすごくイメージダウンしたらしい。不倫からの略奪、略奪婚の破局ののちにすぐに他の男性と結婚。芸能界のゴシップには全く興味がないのでつい最近までそれすら知らなかった。

その良くないイメージの彼女だけど、あの歌が流行ったころ、歌詞がひどく切なくて悲しく感じてとても恋の歌には感じられなかった。

君と好きな人が 百年続きますよに、のフレーズで、大抵の人は幸せな恋、愛を願うお祝いの歌だと私のまわりは思っているようだったが。

歌詞の中に使われる一人称は僕、で。
男性を連想する一人称だけど。

よく、森田童子さんの曲が好きで聴いていたのだけど彼女の歌詞も森田童子さんは女性でも一人称は僕、ボク。別に女性がぼく、って表現に違和感は感じなかった。

親が子を思う歌詞なのでは? だったのが歌詞の中の母の日って言葉、そして、僕の我慢がいつか実を結び、 ってくだりと、 あと、 夏は暑すぎて 僕から気持ちは重すぎて 一緒にわたるにはきっと船が沈んじゃう、と大切な人を先に船に乗せて自分はそこから黙って見送っているように聞こえた歌だった。

どうぞゆきなさい お先にゆきなさい・・・

はじめて聴いたときは意味不明だと感じたのだけど紙に歌詞を書き出してみたことがある。

親が子を想い、自分はこっちにいるけどその小さな船には一緒に乗ることはできないんだ、と送り出し、無事を確認しているみたいに感じた。

のちに知ったことだけども、アメリカ同時多発テロを知り、そのあとの平和を願う歌で、主人公はテロで亡くなってしまった母であり、残された息子に幸せな平和な日々を過ごせるように祈り、見守っている歌で、なんでもない日常が、そして平和な日々が続いてくれるように、との物語が歌詞に込められているらしい。

ちなみに、9・11の翌々日、私は娘と羽田空港にいて戒厳令の空港を身を持ってこの目で見てもいる。
テロが日本でも起こりうる、かもしれなかったのだったからだ。世界中が震えた事件だった。

私が部屋に飾ってあった大きなタペストリーはあの日、テロで破壊されたツインタワーの在りし日の写真で、あまりの悲しさから部屋から外して泣いた記憶が鮮やかに残ってもいる。あのテロの前日、なんにも知らずに私は東京へ向かう飛行機に娘と搭乗していて、自分の仕事で精一杯で事件のあとの夜になるまでテロの事実、報道を知らなかったのだった。

今はまだ4月で、9・11のあの日では、ない。

YouTubeの映像にはなんでもない日常生活の笑顔や、母親と小さな男の子、水田に田植えで稲の苗、女子学生たちが楽しそうに過ごしている当たり前な日常の平和な日々がおさめられていた。

日々の暮らしの中の幸せで平和な毎日。

白いハナミズキは雨の雫をたたえていて。

なんとなく私は亡くなった母が恋しくもなり、そして故郷のハナミズキの街路樹の薄いピンクに娘と過ごしたなんでもない日常こそが幸せな想い出で。

私にとっての薄紅色のかわいい君、は私の1人娘だとも思う。

ハナミズキを見上げながらふと立ち止まり、ハナミズキの花に平和な毎日がこれからも続いていきますように、と幸せな平和に暮らす今の私がやはり幸せで。ハナミズキが落とした雨の雫みたいに涙をポタリ、とベンチに一粒落とした。

花は毎年咲くかもしれない。

でも花を咲かすには木々が芽ぶき、育ち、枝から葉を広げて。季節の流れを知りまた蕾をつけて。

次の年には全く同じに見えても全く違う新しい花が咲く。

花びらの紋白蝶みたいな姿を眺めて、毎日がいつもなんでもない幸せであってほしいな、とあの日の戒厳令の羽田空港を思い出して。

この街に生きて、空を見上げられる私は今、幸せで、平和で、ハナミズキの花の中に自分が娘を思う気持ちと、厳しくて美しかった母の本当の心を、死んでいてもおかしくなかった自損事故で無傷で生きていた私の代わりに逝ってしまったかのような母の心を今さらながらにその白いハナミズキの花びらが流す涙に教えられた気がした。

ゆー。





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