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【仕事と日常のあわいで】自分のコアは、過去が既に知っている

いったい自分の肩書は何なのだ?と、自己紹介をしようとするたび、どう言葉にするのか迷います。
今回から記事を投稿させていただくこととなりました、yasと申します。

仕事は、フリーランスで10年以上複数のことを続けています。
キャリアコンサルタント、パソコンインストラクター、フラワ―アレンジメント教室主宰などそれぞれの役割に変化(へんげ)しながら、どの仕事でも私は「その人らしさが表現されること」のサポートにこだわってきたように思います。

取り組みは、現在はざっくり分けて上記の3つにまとめられますが、おそらく今後、増えていったり色が変化していく見込みです。

(詳細な自己紹介は長すぎてしまうため、記事の最後に記載しました、個人noteの記事をご覧くださると嬉しいです。)


自分らしさを思い出す

さて、このたび記事を書こうと思ったものの、自分でも何者なのか言語化に迷う私は、いったいどこに足をおいて何を発信できるのか?
考えていました。

さらに、はじめてのチームで、初めてのことを行うってなんだか緊張しますよね。

私はこれまで何を考えていたのだろうか、私らしさとは何だろうかと、過去日記を振返っていたところ、6年ほど前の記事が目に留まりました。

【2014年の記事から引用】
あるひとに聞かれた、どうしてそんなに人に一生懸命になるのですかと。
ああそれは・・・、ぼんやりそのことを、考えるなど、していました。

猛烈に自分自身がダメになりそうなとき、ダメになってしまった時に立ち上がれるのは、そばに寄り添う人がいるから、だったりする。

それは人により、家族かもしれないし友人かもしれないし、恋人かもしれない。
けれど、家族も友達も恋人も、時にとても、もろいものだったりする場合が、ある。

または、そういう人たちに頼れない、何かしらの事情があることも、ある。
そういう時に、その場に心強く居る、ひとりの人間であれればと、思う。

本当にピンチの時に根気よく支えてくれるひとって、そうそういないし、信じ続けてくれる人も、あらゆるものを正しく理解してくれる人も、そうそういない、だからいっそう、そう思う。

父が亡くなった時に見つけたこと、ここにも何度も書いているけれど、生きている者同士が心地よく生きられるようにあることが、生きている意味だと実感しています。

だから、私が大事に思う人たちが心地よく生きるうえで、私がそこに居ることに意味があるなら、その人が幸せをまっすぐに求めているのなら、私は全力で力になりたいと思うし、そこに居たいと、思うんです。

寂しい悲しい気持ち、崩れそうな気持ち、虚しさ、泣きたくても泣けない時、呆然とするしかない時、誰かに裏切られたとき・・・、そういう時の辛さが、痛いほどわかるから。
そういう時、誰かにすがりたくなる気持ちも痛いほどわかるから。

私は、大事に思う人たちのその場になりたいと自然に一生懸命になっていた。

同時に自分自身もそれを、どこかの誰かに、求めているのかもしれません。

うん。
時が経ってから自分が書き残したものを読むと、6年前は色々な意味で今よりも若かった…、と思うのと同時に、当時のことが思い出される心地でもありますが、

過去が今につながっていることにも、気づきます。

自分のコアは、過去が既に知っている

過去の自分が今に、教えてくれることってありますよね。

今の私が考えていることや、コアに存在している想いを、過去の自分が別の形で語っているということが、あるようです。

または、大事にしている想いを、過去の自分は現在よりももっと純度の高い言葉で既に語っていることが、あるようです。

インパクトがあった出来事、気づき、発見。
特に大変な時期とか、心が大きく動く時期に得たそれらを、書き残しておくとこの先の自分のコアを支えるメッセージになるかもしれません。

振返った時、いつかの自分が自分をガッチリ支えてくれているって、なんだか心強くありませんか?

これから書いていきたいテーマ

フリーランスの働き方だからか、または私だからなのかはわかりませんが、仕事と日常の境目が無く、365日ずっと仕事との日常の間(あわい)で生きてきましたし、今もそうです。

仕事の気づきが日常に。日常の気づきが仕事に。
ぐるぐると循環するところで、あれこれ考えながら生きています。

そんなあわいで想うことを、「仕事と日常のあわいで」というテーマで文章にしていきたいと思います。

いつでも戻ってこられる場で在りたい。
緊張感のあるシーンでも、どこかほっとできるオアシスで在りたい。
誰かの「困った」時のリソースの一つとして在りたい。

日々たたかい続ける方々がひと時、自分自身に戻れる場であれる(私自身・また私がつくる場)ことを大切にしながら活動しています。

それは私が過去に言っている、「生きている者同士が心地よく生きられるようにあることが、生きている意味だと実感しています。」が、ベースになっています。2011年に得た気づきでした。

色々なことが日々ありますけれど、いいことも、石ころのようにあちこち転がっています。
お読みくださった方が、ホッと一息つける心地になれるとか、すこしあったかい気持ちになれるような記事を書いていきたいなあと思っています。

「暖かい」石ころの一粒になれたなら、いいなあ。

よろしくお願いいたします。

外部note

フラワーワークショップ「花と日々」

~お花を傍らに、ちょっとハッピーな日々を。~

「楽しく楽に通えること」「つながり」、「花の個性と人の個性の共存」「その人らしい表現」を大切に、場をつくっています。
花や植物にフォーカスしたnoteを、別で行っています。よろしければご覧くださると嬉しいです。


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