出会わなければよかった。
たまたま買い出しのついでに寄ったペットショップで、周りの子猫たちとは、ひとまわりかふたまわりぐらい大きな猫に出会った。
ハチワレの、ブリティッシュショートヘアー。
ブルーグレーとホワイトの毛並みが綺麗で、他の子猫たちに圧倒されて、部屋の隅にいたおとこのこだった。
彼と「あの子、おとこのこだけどおとなしいね」と見ていると、店員さんがニコニコとしながら別の子猫を持って外に出てきた。
「ペルシャちゃん、気になりますか〜?」
わ、まんまと捕まってしまった。
営業されても、お迎えできるわけではないので、内心ばつの悪い気持ちでいた。
ペルシャちゃんの可愛さをアピールする店員さんは、わたしの苦笑いオーラに気がついたのか、「どの子が気になりますか?」と聞いてきた。
ここで「猫飼えないんで。」と立ち去ることができたら良かったのだが、あいにくきっぱり自分の気持ちが言えないので、店員さんのペースに巻き込まれてしまった。
「あの、隅にいるブリティッシュの子が気になるねって、話していて」
すると、店員さんはにわかにびっくりしたような、どこか嬉しそうな様子で「あ〜!あの子ですね〜!!」と中に戻り、その子を抱っこして出てきた。
彼と「帰りづらくなっちゃったね」と耳打ちしていると、店員さんはニコニコしながら再びわたしたちの元に近寄ってきた。
店員さんの腕に抱えられたブリティッシュくんは、さっきのペルシャちゃんとは違い、鳴いたりもせず、周りを物珍しそうにキョロキョロとしていた。
「よかったら抱っこしてみてください!」と店員さんに促されるまま、椅子のある方に誘導される。
店員さんが膝の上にゆっくりその子を座らせると、心地よい重量感と体温を感じた。
抱き止める腕には、微かな鼓動。
わ、生きている。
ちいさな生き物の命の重みと暖かさに、心がじんわりと暖かくなるのを感じた。
その子は少し乗り出したり、首を伸ばしていたりしていたが、嫌がる素振りは見せず、膝の上でおとなしくしていた。
眠かったのもあるのか、時折わたしの顔や彼の顔を交互に見つつ、わたしの腕に顎を乗せるなど愛くるしい行動に胸が躍った。
わたしたちを見つめるその子の顔は、どこか懇願するかのように見えて、この子はやり手だな、と感じた。
自分を「魅せる」方法をわかっている。
店員さんはわたしたちの状況を聞いた後、ブリティッシュショートヘアーとの暮らし方などを饒舌に話していたが、正直あまり覚えていない。
その時から、わたしの心は少し曇りかけていたから。
わたしたちが猫と暮らしたいけど、ペット禁止の物件だと話すと、店員さんはどこか必死に、ペット不可の物件の方は1週間で物件を見つけてお迎えされます(1ヶ月に1家族ぐらい)だとか、実家などで飼えないか、とか、1週間ごとに移動してしまう、などと話していた。
それは、ただの営業トークにしては行き過ぎた部分があるように感じた。
彼の腕に渡ったその子は、彼の手をぺろぺろと舐め、時折優しく甘噛みするなど、彼のハートもしっかりキャッチしていたが、彼が「これ以上抱っこしてると欲しくなってしまうので」と店員さんにその子をお返しした。
その店員さんは空気を気まずくする事なく、わたしたちを解放してくれたが、とても名残惜しい気持ちで帰路についた。
帰りの道中では、必死にその子をお迎えできないか考えて話し合ったが、現実問題不可能だった。
❆ ❆ ❆
家に帰り、改めてあの子のことを考える。
あの子、お迎えしてくれる家族が現れるのだろうか。
ふと、そんなどうしようもない思考が頭に降ってきた。
そんなこと、ただの杞憂に終わるかもしれない。
だけど、気になる要素がいくつかあった。
周りより大きい子だったこと。(生後4ヶ月)
店員さんが心なしかびっくりし、嬉しそうだったこと。
必死にお迎えできないか案を出してきたこと。
彼が、縋るような目でこちらを見て、愛嬌を振りまいた事。
部屋の隅で、じっとしていたこと。
全てが、なぜか頭に引っかかっていた。
それは抱っこしてしまって、可愛さを実感してしまったからだけではなく、その子に心なしか「闇」が垣間見えたように感じたから。
今週、あるいは来週、誰かがお迎えしてくれるかもしれない。
でも、きっと6ヶ月が限界だ。
ペットショップの猫たちが大きくなりすぎた後、どうなるのかは正確にはわからない。
だけど、大きくなりすぎた子は、破格の値段をつけられ、叩き売られる。
それは、大きくなったハムスターで知ってしまった。
高校生の当時、小鳥が好きだったわたしはショッピングモールの小動物コーナーに足しげく通っていた。
そこで、たまたま見ていたハムスターの棚の下に、布を上から被せられ、ハンバーガーの箱ぐらいの小さなゲージが山積みにされていることに気がついた。
ハムスター 500円
わたしはギョッとした。
こんな暗くて狭いところに、大きいハムスターが閉じ込められている。
小さな子たちは、大きなゲージや回し車を与えられているのに。
ほぼ、光も満足な遊び場も与えられず、ただただ死を待つかのような空気に、心がすぅっと冷たくなるのを感じた。
命の価値は、平等なのに。
皮肉にも、個体が大きくなるにつれ生体の値段は下落する。
そんなこと、本来あってはならないはずなのに。
愛玩動物は、人間の私利私欲のために、このように利用されていることに、小学生の時以来の憤りを覚えた。
❆ ❆ ❆
あの子の行方は、正直わたしたちにはわからない。
わたしたちの心配はよそに、あっさり他の素敵な家族がお迎えしてくれるかもしれない。
出会わなければ、こんなことに悩んで苦しまなかったのにな。
真っ赤に泣き腫らした自分の顔を彼が心配そうに見つめる中、そんなことを考えていた。
どうか、あの子が幸せになれますように。
そう願い、眠りにつく事しかできなかった。
※アイキャッチ画像に素敵なお写真をお借りしました。ありがとうございます。
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