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なんで行動変容が重要なの?

「自分の体なんだから勝手でしょ」って糖尿病で透析に通ってらっしゃる方に言われたことがあります。たしか食事習慣や運動習慣の話をしてたときだったような…。健康的な生活を送るために医療従事者側の支援って、押しつけがましいことなんでしょうか?

行動変容の必要性を感じていない人っていますよね。

 より健康的な生活を送ってほしい。そのためにリハビリだって食事や運動習慣のための指導だって行います。でも患者さん自身がそこに必要性を感じていなかったらやっぱり響かないです。行動変容の5つのステージでいえば「無関心期」になるかな?
 「自分の体なんだから」の言い分で言われてしまうと、「そりゃそうだけどさ…」ってなってしまいます。その人の幸福が長いスパンでの健康的な生活よりも、目の前の快楽(糖尿病の人だったら目の前の甘いお菓子とか)を優先する価値観なら、それを無視して「健康」を押し付けるのも医療者側の傲慢になってしまうのかもしれません。

個人レベルでならいいかもしれないけどね・・・

 この「自分の体なんだから勝手でしょ理論」は個人レベルでならわかります。その体も心もその人のものなんだから、その人が一番幸福な方法を選ぶってのも選択肢だと思います。たとえそれが短期的なものでもね。これは別に例に出したような糖尿病の透析通院の方といったメディカルレベルの人に限ったことではありません。まだ病気を発症していない未病の段階におけるヘルスケアレベルでも当てはまります。「規則正しい生活しなきゃな~」「痩せなきゃな~」って思いながらも、夜更かししてジャンクフード食べているような方にも当てはまるってことです。肥満も睡眠不足も飲酒も喫煙も…不健康な生活は個人レベルでなら認められるでしょうね。

でも社会レベルで考えたらそうはいかない…

 人間はやっぱり社会的な動物です。どんなに社会に不満を言おうが、やっぱりなにかしらの恩恵を受けて守られているんです。もっと踏み込んで言えば、社会システムにってこと。そうなると、一定の義務を果たさないといけません。自分が生かされている社会システムに過度な負荷をかけてはいけないんです。これは「義務」という言葉でも言い換えられます。医療保険も介護保険という社会保障です。なんなら生活保護だって社会保障です。社会に属する人たちの納税で成り立っているんです。もうこれ、「気づき」って言い方でもいいレベル。
 だから個人レベルでなら「自分の体なんだから勝手でしょ理論」は成り立っても、社会レベルでなら成り立たないんです。

権利を主張する前に義務を果たす努力が必要

 そうなると、「自分の体なんだから勝手でしょ!」という権利を主張するまえに、まずいかに社会に負担をかけないようにするかの義務を果たそうとすることが必要かなと。そのために行動を起こす必要があると。それは食事習慣なのかもしれないし、運動習慣かもしれません。喫煙や飲酒にだって当てはまるし、もっといろんな文脈に当てはめることができます。

「行動変容の重要性」も2つの側面から

 実は「行動変容の重要性」というテーマで記事を書いていたら、このエピソードを思い出したんですよね。行動変容の重要性も個人レベル、社会レベルで考えられるって記事ね。「健康」のためにはなにより行動をしないといけません。その行動理由が個人レベルだとやはり反発する考えを持つ人も一定数いらっしゃいます。だからこそ、自分が生かされている社会にいかに自分が行動し還元するかって考えも持つように促すことも、行動変容の無関心期を脱する方法の一つ「情報を与える」ってことなのかなとも思うんですよ。


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