見出し画像

不器用だからこそ、文章を書いて伝えていく僕の話。

僕、口ベタで話するの苦手なんですよね。

人見知りということではないけど、おそらく、考えていることを言葉にして話すこと、好きじゃないんです。

僕は人と話すとき、相手の顔色うかがったり、この言葉をいったら相手はどう思うのだろうかといった、忖度がまず入る。

つまりこれって、本当は僕が話したい言葉を削ぎ落として残った、本当に美味しい部分だけを提供している果実のようなモノなんです。

冷蔵庫で冷やしたリンゴの皮を綺麗にむいて、相手が食べやすいようなサイズにカットして提供する感じなんですよね。

別にそれが生きづらいとまでは思ってないんですけど、本当は「室温のリンゴを皮なんてむかずにかぶりついて食べてよくね?」と思っちゃう僕なわけです。

だから、僕の言葉をそのまま丸ごとバナナのように詰め込んで提供するには、やっぱり「文章にして書く」という手段が適切なんじゃないかなぁ、と最近は思うのです。

とはいえ、文章にしていく作業が苦手な人には身も蓋もない話になってしまうのですが、きっとこの文章を読む人は、多少なりとも文章を読むことが好きで、書くことが好きな人が多いと思うのです。

だってここ、noteというプラットフォームなのですから。

noteは文章や写真、イラスト、音楽、映像などの作品を投稿できるプラットフォームです。「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」をミッションとしている。

そんな訳で、僕は好きなことを好きなように文章にして書いていいことに味をしめています。

そう思い初めて気づいたら、noteで50本くらいの記事を書いてたのですが、あることに気づきました。

「不器用な人ほど、文章を書いた方がいいじゃないか」って。

僕はよく、「言葉を文章にして伝えるの面倒くさいし、話した方が楽だよ」って人にいわれます。

でも僕は「相手を気遣ったり、相手を想って話すことは難しい」と思うのです。


面と向かって簡単に本音なんていえないじゃないですか。

目を見て話すのも恥ずかしいです。


自分に不器用だからこそ、文章にして伝えたいことを伝えているのです。

その方が僕にとっては、よっぽど面倒くさくない。


いま流行のユーチューバーによって、「文章なんて読む時代は終わった」と否定される世論もありますが、動画や話し言葉じゃ伝えきれないことって、結構たくさんあるんじゃないかと思います。

たとえば、こんなのです。

教室にいた時の窓辺の風、自転車に乗ってかじったソーダ味のアイス、短く切ったスカート、理科室の冷房、粉のついた使いかけのシーブリーズ。そういった安っぽいものがどうやら好きらしい。(夏、シンドロームより)

文章には”人に想像させる”という役割があります。

これは、文章を目で追って意味を考え咀嚼し、自分の脳内で過去の記憶や体験といったことを元に現像化させ、”人に想像させる”のです。

先ほどのくつざわさんが書いた文章を読んで、おそらくみなさん1人1人が

・室にいた時の窓辺の風

・自転車に乗ってかじったソーダ味のアイス

・短く切ったスカート

・理科室の冷房

・粉のついた使いかけのシーブリーズ

を自分の過去の記憶や体験を頼りに、想像して頭の中で現像化したはず。

僕も自転車に乗って、よくガリガリ君のソーダ味を食べたなぁと思い出し、あの時に出た”あたり棒”は宝くじでまるで1億円が当たったかのように嬉しくてガッツポーズをした。

これが文章の醍醐味なんじゃないかと、僕は思うのです。

文章ならではの面白さなんですよ。


ユーチューブでは、この価値を提供することは非常に難しいと僕は思います。

なぜならユーチューブは、既に現像化させられたモノを強制的に視覚情報として与えられるので、文章よりも想像する必要がない、もしくは想像する時間がないのです。

ユーチューブを見て、いちいち一時停止をして「この言葉の意味ってどういうことだろうか?どういうことなのかな?」と考える人は少ないはず。

いまの若い人は、文章を読む面白さや文章の書く楽しさみたいなことを知って損はないと思います。

ユーチューブを見ることが暇つぶしにおけるジャンクフードだとしたら、文章は栄養価が高いフルーツです。

そんなわけで、話せば1分くらいの内容を、僕は不器用だから1800字に渡って伝えたわけですけども、”皮をむかずにそのままのリンゴを丸かじり”みたいな文章が書けました。


最後まで読んでくれて、ありがとうございます。


***

サラリーマンのキャリアを応援するwebメディア「キャリログ」も毎日更新中!





記事を読んでよかったら、サポート頂けると励みになります! 応援のほど、よろしくお願いしますー!