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【小説】ロックバンドが止まらない(65)


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 貸しスタジオでの練習が終わって神原が与木に声をかけられたのは、佐川たちの最後のライブが終わって年が明けてから一ヶ月ほどが経った頃だった。普段与木が神原たちに声をかけることはほとんどなく、神原としては応じるほかない。

 園田や久倉と別れて、神原たちは以前と同じラーメン屋に向かった。夕食の時間帯には少し遅くても、店内には多くの人がいてほどほどに騒がしい。

 二人は入り口近くのテーブルに案内されて座った。食券を店員に渡すと、二人の間には一瞬だけ沈黙が訪れる。

 誘われた手前、いったんは神原は与木が話し出すことを待つことにした。

「あ、あのさ、神原」

 少ししてから与木が、おっかなびっくりといった様子で言う。神原はそんな与木をなるべく落ち着かせようと、穏やかな返事と表情を心がけた。

「ご、ごめんな」

 与木が口にした謝罪に、神原も心当たりがないわけではなかった。でも、それは神原にとってはまったく大きな問題ではない。「なに謝ることがあるんだよ」となるべく威圧しない言い方で言う。

 それでも、与木の目は申し訳ないという色をさらに濃くしていた。

「お、俺、最近全然曲書いてこなくなったじゃんか。だから、お前らも不満に思ってんのかなって」

 与木の言ったことは、少なくとも前半は事実だった。確かにあるときを境に、与木は曲を作ってこなくなってしまった。それは年が明けて現在に至るまでも続いている。

 今日だって四人で作った曲の原型は、神原が作ってきている。自分が与木の立場だったらと考えると、与木が申し訳なく思うのも無理はないだろう。

 だけれど、神原には与木にあまり思い詰めてほしくないと思う。曲を作ることは決して簡単なことではなく、たとえ一曲だけだったとしても、その大変さは神原にも身に染みて分かっているつもりだった。

「いや、全然不満になんて思ってねぇけど。リードギターは考えてきてくれてるんだし、不満になんて思うわけねぇだろ」

「で、でもさ、今までのアルバムって、俺とお前が作った曲が一緒に入ってたわけじゃんか。それが今はお前だけになってて、それってやっぱり大変だなって思うだろ?」

 そうは思わない。そう否定するのは、神原にとっては少し難しいことだった。与木が言うように思う部分は完全にないわけではなかったし、それを「まったくない」と言ったら嘘になってしまう。

 だから、神原は慎重に答えを選ぶ必要があった。

「いや、確かにそれは思わないでもないけど、でもそれをお前が気に病む必要はないからな。誰にだってスランプはあるわけだし、その間を書ける人間が支えるのは当然のことだろ。そんな自分を責めなくてもいいからな、マジで」

「……スランプ。スランプかぁ」

 言葉の意味を確かめるかのように口にした与木に、神原は少しただならぬ予感を抱いてしまう。心配が「どうしたんだよ」という声になって出る。

 与木の口元が、かすかに歪み始める。

「なぁ、俺って今スランプなのかな……?」

「どういうことだよ」

「いやさ、俺もう自分で曲を書ける気がしないんだ。お前が作った曲にリードギターを乗せることはできても、自分で曲を作ろうってなると、本当に何も思い浮かばなくてさ。毎回絶望的な思いをしてるんだ」

「それは辛いな。俺も何日も曲作れない日とかざらにあるから、気持ち分かるよ」

「そうか……? 俺はもうこの先ずっと、曲作れないかもしれないって思ってんのに……」

「それは何も思い浮かばないときは俺だって思うよ。別にお前だけじゃない。きっとまたいつかお前にも曲が作れるようになる日が来るって」

 その言葉は何の根拠もなく、与木を納得させるだけの材料にはなり得ない。それは神原にだって分かっていた。

 自分と与木は同じ脳みそを持っているわけではない。神原がどうにか曲を作れていても、与木が同じようにできる保証はどこにもないのだ。

 でも、だからこそ神原は与木を励ましたいと感じていた。もっと自分を信じて、前向きな思いを抱いてほしいと感じていた。

「ああ、俺もそう信じたいし、まだ曲を作りたいって気持ちは消えてねぇからな。また曲作りに挑戦したいと思ってる。でも……」

「でも、何だよ?」

「でも、そのときになっても俺が曲を作れないで、もしかしたらこの先も一曲も作ることができなくなっても、俺はこのバンドにいていいのかな……」

「いいに決まってんだろ」神原は即答した。与木にそんな思いは、一瞬たりとも抱いてほしくなかった。

「もしお前が曲作れなくなっても、そのときは俺が代わりに作ればいいだけの話だし、それを迷惑だとか全然気に病む必要なんてないからな。それにお前はリードギターは考えてきてくれてるんだし、今はそれだけで十分だよ」

「……本当か?」

「本当だって。ここで嘘言うわけないだろ。少なくとも俺たちのバンドには絶対にお前が必要だし、それは園田や久倉だって思ってるから。曲が作れなくなったからって、お前に肩身が狭い思いは、絶対にさせないから。これからも俺はお前と一緒にバンドやりたいし、曲作りたいし、ライブしたい。少なくとも俺はそう思ってるんだけど、お前は違うのかよ?」

 純粋な本心を神原は与木に伝える。実際、神原はこの先も四人でバンドをする未来しか想定していない。

 与木も小さく頷いている。リアクションが小さいのは与木の通常運転だから、神原はさほど気にすることはなかった。

「違わねぇよ。俺だって、これからもお前らとバンド続けていきたい。Chip Chop Camelは今の俺の一番の居場所だから。それを簡単に失うような真似は、俺だってしたくないしな」

「そっか。なら、よかったよ」そう言った神原に、与木は再度小さく頷いていて、今言ったことは本音だと神原にも分かった。

 店員がラーメンを持ってテーブルにやってくる。ラーメンを食べ始める二人。少しずつする会話が、神原の心を落ち着けていった。

 それからも神原たちは自分たちの財布が持つ限り、貸しスタジオに入り続けていた。次のライブは三月の中旬だったから、神原たちは既存曲を練習しながら、それでも新曲を作ることに時間を割くことができる。

 神原が作ってきた原曲に、与木たちがそれぞれのパートを乗せるといった作業が主になり、まだどのアルバムにも収録されていない新曲も着実に増えてきていた。

 でも、与木はまだ自分の曲を作って来られるようにはなっていなくて、スランプは思っていたよりも根深いと神原は感じてしまう。与木が自分を責めてしまわないように、神原たちは練習内外でそれとなくフォローする言葉をかける。与木が気を病んでいいことなんて、一つもない。

 与木もどうにか調子までは崩すことなく、自分のリードギターを考えてきてくれている。だから、四人の曲作りは完璧とはいかなくても、少しずつ進んでいっていた。

 神原たちが吉間に呼び出されたのは、三月が始まってすぐのことだった。「これからのバンドの活動について話したいことがある」と言われれば、神原たちはバイトのシフト等を調整して早期に集まらざるを得ない。

 期待と心配の両方の感情を抱きながら、まだ肌寒さが残る中、神原はECNレコードの事務所に赴く。三人と最寄り駅の前で落ち合う。

 事務所に向かっている間、少し話した雰囲気から神原は、与木たちも良い予感と悪い予感を同時に抱いているのだろうと察した。

 神原たちがECNレコードの事務所に入って、端の方にある面談スペースに通されると、吉間はすぐにやってきた。手ぶらで何も持っていない。

 だから、契約関係の話ではなさそうだと、神原は少しだけ胸をなでおろしていた。

「皆、今日は来てくれてありがとう」そう言って話を始めた吉間に、神原たちは背筋を伸ばす。四人全員を集めたからには、些細な話ではないはずだ。

「じゃあ、さっそく本題に入るな。まず、皆が出したいって言っていた新しいアルバムの件だけど、秋頃を目途にリリースすることが決まった」

 吉間はあまり表情を変えずあくまで連絡事項を伝えるかのように言っていたけれど、それでも神原は思わず立ち上がりたくなるほどの喜びに駆られる。前作をリリースしてからおよそ半年。思っていたよりもすぐに次のアルバムを発表できることに、嬉しい以外の言葉がない。

 与木たちも一瞬目を丸くしていたものの、すぐに表情を緩めている。「ありがとうございます」と口々に言った声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。

「まあ、これも皆が一つ一つの活動に真摯に取り組んできた結果だな。こうして新しいアルバムを出せるってことは、少なくとも俺たちレーベルの人間は皆の活動を評価してるってことだから。皆だってバンドの活動に少しずつ手ごたえを得始めていることと思う。言われなくても分かってると思うけど、次のアルバムはバンドの歩みをさらに何歩も先に進めるような、そんなアルバムにしてくれ」

 口々に頷く神原たち。神原の胸には本当に「言われなくても」という思いが湧いていた。

 自分たちの現時点での最高傑作と胸を張って言えるアルバムを作って、絶対に今後の活動に繋げる。次のアルバムでこそはメジャーデビューを掴み取る。そんな気概が燃え上がる。

 自分たちに残された時間は永遠ではない。それは佐川たちの最後のライブを目の当たりにして、神原もひしひしと感じていた。

「それと次のアルバムについて一つ訊きたいことがあるんだが、飯塚さんは次のアルバムはフルアルバムにしたらどうかって言ってるんだが、皆どうだ? フルアルバムを出す気はあるか?」

「お願いします」迷うことなく二つ返事で頷いていたのは、園田だった。久倉も同じように続いている。

 やはり頭に「ミニ」と「フル」とつくだけあって、両者の違いは大きい。ミニアルバムはあくまでも本番に向けた助走といった段階で、フルアルバムこそが本当の意味での本番だという感覚は神原にもある。収録曲が増えることで、リスナーに好きな曲を見つけてもらえる可能性も上がるだろう。

 もちろんその分曲を作ったりレコーディングしたりしなければならないのは大変だけれど、それでも神原もかねてよりフルアルバムを出したいと考えていたから、吉間の提案にためらう理由は見当たらなかった。「ぜひお願いします」とはっきりとした口調で答える。

 与木も首を縦に振っていて、四人の意志はあっという間に固まった。

「そうか。じゃあ、俺からも飯塚さんにそう伝えとく。皆はフルアルバムになると思って、曲の制作や準備を進めてくれ」

「今日俺から伝えたいことはこれくらいなんだけど、どうだ? 皆、何か分からないことだったり、訊いておきたいことはあるか?」

「あの、次に出るアルバムにも、前のアルバムみたいに販売ノルマがあったりするんでしょうか?」

 質問や疑問を求めた吉間に、真っ先に応えたのは久倉だった。言われてみれば確かにそれは神原にも気になる。前作の販売ノルマを達成するのに苦労した記憶は、未だに四人の間には鮮明に残っている。

「いや、現時点では今回はそれは考えてない。発売されてから一ヶ月で一〇〇枚を売り上げるという目標はあるけれど、これはノルマじゃないから。別に達成できなくても、それが直ちに契約に影響することは今はあまり考えなくてもいいと思う」

 吉間の返答に、神原は心の中で安堵の息を吐く思いだった。もちろん多く売れるに越したことはないが、それでもたとえ目標を達成することに時間がかかったとしても、すぐには契約を切られないことは、神原たちにいくらか安心感をもたらす。気持ちにも少し余裕が持てそうだ。

 吉間はさらに質問や疑問があるか尋ね、神原たちはアルバム制作のスケジュールやプロモーションについて訊いた。「今分かってる範囲だけど」という前置きつきの吉間の説明に、神原たちはじっと耳を傾ける。

 具体的な話はさほど出てこなかったものの、それでも新しいアルバムの制作に向けて神原には少しずつイメージが湧き始める。帰ったらギターを手にして、曲を作ってみたいと感じていた。


(続く)


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