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【小説】ロックバンドが止まらない(66)


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 神原たちの新しいアルバムの制作が決定してから、数日の間にその全体像も少しずつ決まっていった。まず発売時期が一〇月に決まり、レコーディングは六月から七月にかけて行われることとなった。

 一〇曲を収録することも決まり、神原たちには三ヶ月ほどの新曲の制作期間が与えられる。現時点でできている曲はそのうち半分ほどで、制作期間中にさらにもう半分新曲を作らなければならない。詰まったスケジュールでも、必ずしも不可能ではないと神原は感じる。

 いずれにせよ期間内に仕上げることは必須だ。今度はなるべく再レコーディング等で周囲に迷惑をかけないようにしようと、神原たちは意気ごんでいた。

 三月の中ほどにあったライブを無事やりきると、神原たちはさっそく新曲の制作に取りかかった。次のライブは五月の末だから、しばらくは新曲を作ることに集中できる。

 原型となる曲を神原が作って、他の三人がそこに自分のパートを肉付けしていくという、今までと同じ方法で曲作りは進んでいった。与木はまだ自分で作った曲を再び持ってくることはなく、原曲づくりは全て神原の担当となっていたが、神原はそれでも構わなかった。

 曲作りには頭とセンスの両方を使わなければならずそれは大変なことで、一日かけても神原には何も思いつかないことも珍しくなかったけれど、それでも曲ができた瞬間の達成感や爽快感は何物にも代えがたい。きっとそれは、与木たちも一曲ができたごとに感じているだろう。

 苦労と喜びを感じながら、四人は着々と新曲を作り続けていた。

 神原たちが曲作りに励んでいるとあっという間に時間は過ぎ、気がつけば桜の木はその花びらを散らし、青々とした葉をつけていた。神原たちにはしばらく次のライブはなく、新アルバムの制作に本腰を据える時間ができる。

 その電話があったのは、神原がアルバイトを終えて家に帰ろうと、歩き始めたときだった。着信画面に表示された番号に神原は覚えがない。

 それでも気になったので、一応電話を取ってみる。番号に覚えはなかったが、声にははっきりと聞き覚えがあった。

「もしもし、神原君? 今、大丈夫?」

 電話をかけてきたのは野津田だった。普段は吉間やレーベルを介してやり取りをしているため、野津田から直接連絡が来るのは、神原には珍しい。

 神原は歩みを止めて、通行人の邪魔にならないように道の端に寄った。

「はい、大丈夫ですけど」

「そう。今回もデモテープ送ってくれてありがとね。ちゃんと聴かせてもらったよ」

「ありがとうございます」そう応えながら、神原は内心穏やかではなかった。

 神原たちは五月中に新しいアルバムに収録される一〇曲を完成させ、録音したデモテープを吉間に渡していた。それが今回もレコーディングエンジニアを担当する野津田の手に渡っていることは、至極当然のことだろう。いくらプロのエンジニアだとしても、初めて聴いた曲をレコーディングするのはなかなかに苦労するのだ。

 だけれど、こうして野津田が直接電話をかけてきたことは今までになかった。褒めてくれる可能性もあったけれど、神原は苦言を呈される可能性も考えてしまう。

 そして、それは「なんて言ったらいいかな……」という言葉にさらに強められた。

「神原君たちは、本当にこれで納得してるの?」

「……どういうことですか?」

「いや、今回送ってもらった曲も悪くはないんだけど、今までの神原君たちの曲となんか似すぎてる感じがしちゃって。デビューアルバムならこれでも構わないんだけど、既にミニアルバムを二枚出しておいて、初めてのフルアルバムで『これです!』って売り出すのは、ちょっとどうかなって思ったんだ」

 野津田の指摘は、神原の痛いところを確かに突いた。

 率直に言えば同じ人間が作っている以上、ある程度似通ってしまう部分が出てくるのは仕方がないだろう。まったく違うものを作り続けることは、誰にとっても至難の業だ。

 でも、それは出来上がった曲を聴いた人間の前では言い訳にすぎない。

 今までは神原と与木の二人が曲を作ることによって生まれていた幅が、神原一人になったことで狭まっていることは、神原にも否定できなかった。

「そうですか……? 僕たち、いや少なくとも僕は、そんなことは全然思ってないんですけど……」

「そう。まあ神原君たちがそうなら俺もそれでいいんだけどね。ちょっとお節介だったかな」

「い、いえ、そんなことないです。とても参考になる意見だと思いました」

「うん。まあレコーディングまではまだ少し時間があるんだし、ギリギリまで考えればいいと思うよ。完成形が決まるのがレコーディングの間際になっても、俺は大丈夫だから」

「あの、それは曲のアレンジを変えるということでしょうか。それとも、まったく違う曲を新たに作るということでしょうか」

「まあ、あくまで俺個人の意見だけど、細かいアレンジを変えるよりも、いっそ別の曲を作った方がいいと思うな。デモテープの四曲目と六曲目と九曲目は特に」

 野津田はこともなげに言っていたけれど、神原はハードルの高さを感じて滅入ってしまう。

 これから一ヶ月足らずで三曲を新しく作り直すということは、四人の誰にとっても簡単なことではない。神原に三人にまだ聴かせていない曲のストックはなく、全てを一から考えなければならない。きっと想像する以上の大変さがあるだろう。

「は、はぁ……」と、声にならない声が漏れる。率直に言って気が重かった。

「まあでもさ、俺の言いなりになる必要なんてないから。最終決定権は俺にはないしね。神原君たちがいいと思う方を選びなよ。その上でこのままでいくってなったら、俺も精いっぱいレコーディングに当たらせてもらうよ」

 野津田はそう言っていたけれど、神原は今言われたことをなかったことにすることはできなかった。

 指摘されると、どうしてもまた新しく曲を作るという選択肢が神原の中で生まれてしまう。それをまるっきり無視することは、神原には難しかった。

「分かりました。また考えてみます」

「うん、頑張ってね。俺も昔バンドやって曲作ってたから、こう言われることの大変さは少しだけど分かってるつもりだから」

「は、はい」

「じゃあ、俺から伝えたいことは以上だから。あっ、神原君はこの機会に何か言っておきたいこととかある?」

「い、いえ別に」

「そう。じゃあ、レコーディングの日はよろしくね。俺も新しいアルバムが神原君たちの最高傑作になるように、力を尽くすよ」

「は、はい。よろしくお願いします」

「うん。じゃあ、またね」

 野津田は電話を切った。携帯電話をしまって、神原も再び歩き出す。駅に向かっている間、えらいことになったという思いが頭を駆け巡る。

 帰ったらデモテープを聴き返さなければ。そのことが今は何よりも優先させるべきことに、神原には感じられた。

 家に帰ると、神原は音楽プレイヤーの前に座った。さっそくデモテープを入れて、自分たちが作った新曲を聴き直してみる。

 貸しスタジオで演奏している間は、「良い曲ができた」という手ごたえがあったものの、改めて客観的に聴いてみるとやはり今までの自分の曲と似通っている感じは否めない。もちろんそれはそれで神原は好きなのだが、だけれど野津田と電話をした後となっては、これでいいのかという思いも湧いてくる。

 特に野津田に指摘された曲は、再度聴くと確かに野津田の言っていたことも間違っていないと思える。

 デモテープを聴き終えてしばらくしても神原の心は落ち着かず、気がつけば三人に電話をかけていた。

 一人ずつ、野津田に言われたことを神原はそれとなく伝えた。野津田だってアルバムの制作に携わってくれる欠かせないスタッフの一人だ。その意見を完全にないがしろにすることはできないだろう。たとえ曲の変更がなくこのままでいくとしても、それは四人全員で考えて話し合って決めなければならない。

 その共通認識が四人の間にあったからこそ、誰もが簡単に結論を出せていなかった。神原も今すぐにどうするかを決めることは難しい。

 その思いは、久倉に「お前はどうしたいんだよ?」と訊かれるとより深まった。その疑問に対する答えを、神原はまだ持ち合わせていなかった。

 神原の逡巡する思いは一日寝たくらいではなくならず、しっかりと翌日に持ち越されていた。

 朝早くからのアルバイトを終え、神原は午後の四時頃になって帰路に就く。そして、その足で駅前にあるCDショップへと向かった。神原たちが高校時代に通っていたCDショップとは別店舗だが、ここも負けず劣らず品ぞろえがいい。

 CDショップに入った神原は目当てのバンドの新譜を手にすると、そのまま店内をそぞろ歩く。平日ということもあって、店内はあまり混んではいなかった。

 すると、神原は棚に平積みにされているCDを見つける。黒い夜空に花火が浮かんでいるジャケットだ。CDは何枚も積まれていて、棚には店員の手書きと思しきポップも飾られていた。

『メンバー全員一九才の超新星! 衝撃のメジャー1stアルバム!』

 大々的に売り出されていたバンドは、神原が今まで名前を聞いたことのないバンドだった。側にあるバンドのアーティスト写真からも、若々しさが溢れ出ている。

 今まで出演したライブイベントは多くが自分たちが出演者の中では最年少で、自分たちよりも年下のバンドに出会ったことは、神原たちにはほとんどなかった。

 でも、現実にはこうして自分たちよりも年下でメジャーデビューを果たしているバンドがいる。神原はそのポップに、頬を張られたかのような感覚を味わっていた。

 そのアルバムは最初の数曲を試聴できるようになっていて、神原は興味本位でヘッドフォンを手に取った。装着して試聴機を再生する。

 すると聴こえてきたのは、耳を突き刺すかのような鋭利なギターの音色だった。ベースやドラムも合流して、思わず身体を揺らしたくなるグルーヴ感を作り上げている。ボーカルも特徴的で、歌われる歌詞もなかなか神原からは出てこない独創的な言葉選びだ。

 演奏技術も高いけれどそれをひけらかす感じはなく、神原には素直に好きだと思える曲だった。メジャーデビューにも納得感がある。

 それでも神原は曲を聴きながら、確かに悔しさも感じていた。このバンドに自分たちはもう追い越されてしまっている。自分たちが数十人しか観客が入らないライブをしていたなかで、このバンドはメジャーデビューに向けての準備を進めていたのだ。

 そう思うと、神原は忸怩たる思いさえ抱いてしまう。自分たちがまだ辿り着けていない、そして佐川たちが一〇年以上をかけても辿り着けなかったメジャーデビューに、このバンドは辿り着いている。

 自分たちも早くメジャーデビューをしなければ。神原の心はにわかに焦り始める。

 となれば、このままでいいはずがない。迷いがある状態で、レコーディングに臨んでいいわけがない。

 次のアルバムでメジャーデビューを掴み取る。そのためには、後悔が微塵もないアルバムを作らなければならない。

 もっと良い曲、良いアレンジがあるはずだ。締め切りまでまだ自分たちにはやれることがあるはずだ。帰ったらもう一度デモテープを聴いて、もっと良い曲にならないか、別の曲を新たに作るかどうか考えよう。

 ヘッドフォンを外した瞬間に、神原はそう決意していた。


(続く)


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