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【小説】ロックバンドが止まらない(67)


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 曲を作り直そう。神原は改めてデモテープを聴いて、そう決めていた。レコーディングまではあと一ヶ月を切っているからさすがに全曲は無理だが、それでも野津田に指摘された三曲はできる限り変更する努力をしたいと思う。

 そのことを電話で三人にも伝える。三人ともすぐには同意してくれなかったが、神原が「少しでも納得がいくものにしたい」と頼み込むと、「できるかどうかは分からないけれど、とりあえずやってみよう」と話はまとまる。

 三人に感謝の言葉を告げてから電話を切ると、神原はすぐにギターを手に取った。レコーディング、そしてその数日前に設定された締め切りに向けて、時間は少しも無駄にはできなかった。

 その翌週の貸しスタジオでのバンド練習。その前に神原はどうにか新曲を一曲書き上げていた。

 あらかじめ三人も聴いていたから、四人はすぐに曲を合わせることができる。感想や気になる個所を伝え合い、試行錯誤を重ね曲を仕上げていく。

 新しいアルバムの何曲目にこの曲が収録されるかはまだ分からない。それでも、元々収録する予定だった曲よりも神原たちには手ごたえがあった。神原もより良いアルバムになりそうな予感がしていた。

「泰斗君、ちょっといい?」

 そう神原が園田に声をかけられたのは、さらにその翌週の貸しスタジオでのバンド練習を終えたときだった。

 この日も神原たちは新たに一曲を完成させている。これもまた元々の収録曲よりも良い出来になっていると、神原には感じられる曲だ。

 すっかり夜になっていて、吹く風も少し肌寒い。帰っていく与木や久倉を横目に、神原は「座って話そうか?」と提案したが、園田は「ううん。すぐ終わる話だから」と譲らなかった。

「泰斗君、大丈夫?」

 少し心配そうに尋ねてくる園田の「大丈夫?」が指す事柄は、神原にも心当たりがあった。そんなことは自分が一番自分に訊きたい。

 それでも神原は「大丈夫? って何がだよ」と心当たりがないふりをする。大丈夫だと思う心に、揺らぎが生じないように。

「新曲。もう一曲作り直すんだよね。間に合いそう?」

 その疑問は、神原が予想していたこととぴったり一致していた。

 レコーディングの開始まではあと二週間ほどしかなく、神原たちはその間にもう一曲を作り直さなければならない。レコーディング前に貸しスタジオに入るのは来週が最後だから、それまでには神原は原曲を書き上げている必要がある。

 もう迷ったり悩んだりしている暇はない。

「間に合いそう? っていうか、間に合わせるしかないだろ。俺もなるべく早くに曲を固めてさ、園田たちにも送るから」

「でも、本当に大丈夫なの? もう時間なくない? もし何だったら私が曲書いてこよっか?」

「園田、お前曲イチから書いたことあんのかよ」

「いや、ないけど音楽理論とか作曲術とかは、私もそれなりに分かってるつもりだから。だから必ずしも無理ってわけじゃないと思う」

「うん、気持ちはありがたいんだけどさ。でもお前が言う通りもう時間ないから。こんな短期間で、初めての曲が書けるか?」

「それは本当に努力するよ」

 園田はそう言っていたけれど、園田が数日で曲を書いてくるとは、正直なところ神原にはあまり思えなかった。

 別に園田のことを見くびっているわけではない。

 ただ、初めてイチから曲を作ることは、誰にとってもそれなりの時間を要する。一日や二日でできるほど甘くないと、どうしても神原は思ってしまう。

「別にいいよ。そんな無理しなくて。いや、もちろん曲作ってくれるに越したことはないんだけど、でもそれでも俺がどうにかするから。頭振り絞って考えるよ」

「そう? 泰斗君こそそんな無理しなくてもいいと思うけど。これまでは泰斗君と澄矢君がメインで曲作ってたけど、別に曲は誰が作ってもいいでしょ?」

「そりゃそうだけどさ、でも改めて言うけどもう時間ないぜ。ここは慣れてる俺に任せて大丈夫だから。今までもどうにかなってきたんだし、きっと今回もどうにかなるって」

「……そう。まあそこまで言うなら、私は泰斗君を信じるけど。でも、曲作りに挑戦することだけはしていい? 採用するかどうかは、みんなで話し合って決めればいいだけの話だし」

「そうだな。そんなに曲作りたいって言うなら俺も止めねぇよ。でも、本当今週中で頼むぜ。ただでさえスケジュールカツカツなんだからさ」

「分かってる。できる限りのことはしてみるよ」

 気丈に言う園田に神原も頷いたけれど、心の中ではまだ不安は消えていなかった。

 園田が今週中に曲を作ってこられる確証はどこにもない。そして、同じことは自分にも言える。だからこそ、頑張って必死に曲を作らなければと神原は思う。

 帰ったらまたギターを握らなければ。多少疲れていたとしても、それが今の神原には何よりもなすべきことだった。

 レコーディング前最後の貸しスタジオでのバンド練習。その日を迎えるまでの数日間、神原は時間の許す限りギターに触れながら過ごした。何か思いつきはしないかと、いくつかコードを爪弾いてみる。

 でも、いくらギターを触っていても、神原は新しい曲を思いつかなかった。

 頭を使えば使うほど成果が出る勉強とは違って、曲作りの大元は一〇〇パーセントインスピレーションに頼るしかない。

 でも、それはまったくの偶然という訳ではなくて、普段から曲作りについて考えていたり、多くの曲に触れることで思いつく確率を多少なりとも引き上げることはできる。神原だってできる限りラジオやCDを聴いてインプットをしているつもりだ。

 それでも、何も思いつかないということは、おそらくはインプットの量が足りていないのだろう。もしくは元々才能に欠けているか。

 才能の定義は様々だが、そのことについてずっと考えられることは一つ言える。当然、神原だってギターに触れていなくても、多くの時間を次の曲をどうしようかと考えることに充てている。他のことをしながらでも、だ。

 それでも何も思いつかないからには、まだまだ考える深さが甘いのだと神原は思ってしまう。自分がふとした瞬間に曲が降りてくるようなタイプでないことは、神原もはっきり自覚している。

 だから、たとえ何も思いつかなくても神原はギターに触れて、新曲を考え続けるほかなかった。

 神原がどうにか努力を続けていても、新曲はまったく閃くことなく、いつの間にか次に貸しスタジオに入る日は二日後に迫ってきていた。

 このまま家で煮詰まっていても、新曲のアイデアは浮かばないだろう。そう判断した神原はギターを置いて、外に出る。

 とはいっても、財布に余裕がない神原が行けるところは限られている。だから、行けるところと言えば最寄り駅の近くのCDショップぐらいしか神原には思い浮かばなかった。

 店内に入って新譜をいくつか眺めると、神原は試聴機へと向かう。何千円もするCDは、神原にはそう頻繁に買えるものではない。

 バンドをやっておきながら曲を聴くことを試聴機で済ませてしまうのは神原にも抵抗はあるけれど、それでも持ち合わせがない以上背に腹は代えられない。

 神原は新譜のうちの何曲かを試聴機で聴く。でも、神原は聴きながらどこか自分たちの曲のことを考えていて、気分転換にはなりようもなかった。

 邦楽洋楽含め試聴できる曲をあらかた聴き終えた神原は、店内を後にしようとする。音楽を聴きながら曲を作れるほど、神原は器用な頭をしていない。

 家に帰ったらまたギターを手に取らなければ。そう思いながら店を出たところで神原は、ちょうど店に向かってくる与木を見つけた。与木もすぐに神原に気づいたようで、軽く目を丸くしている。

 でも、「よう」と声をかけても、「お、おう」とだけ応えて店内に入ろうとしていたから、神原にはそれが少しだけ看過できなかった。

 与木にそっけない態度を取られるほど、自分たちの関係は冷えきっていないと思いたかった。

「お前、どうしたんだよ。確か家この辺じゃなかったよな」

 呼び止められて、与木はおずおずと振り返っていた。自分たちの間に上下関係が存在しているかのようで、神原には少し気に食わない。

「それはちょっとこっちの方に用事があったんだよ。で、ついでにCDショップにも寄ろっかなって考えたんだ」

「そっか。呼び止めて悪かったな。俺、もう行くから。じゃあ、また明後日な」

 そう言って、神原は踵を返そうとする。でも、与木は再び歩きだそうとはしていなかった。CDショップに用があるはずなのに、神原をじっと見ている。

 だから、神原も与木から離れるわけにはいかなかった。

「どうしたんだよ。早く行けばいいじゃんか」

「い、いや、神原。あのさ……」

 与木は明らかに何かを言いたそうにしていた。でも、それを言っていいのかどうかためらっているように神原には見える。おそらくバンドや神原、もしくは自分自身に関することなのだろう。

 神原が「何だよ」と言うように促しても、与木はさらに言いにくそうにするばかりだった。かすかに伏せられた目が泳いでいる。

 与木が言葉にしないのなら、自分から心当たりがあることを尋ねてみるしかない。神原は口を開く。

「もしかして、次のバンド練習で合わせる新曲がまだできてないこと、気にしてんのか?」

 与木は目を見開いていて、神原は自分が図星を突いたことが分かる。それは気になるというよりも、気にしていなければおかしいことだろう。「

そ、それは……」と言葉を濁している与木に、神原は意図的に口角を上げる。本当は笑っていられるような状況ではなかったが、それでも何よりも先に与木を安心させたかった。

「大丈夫だって。明後日までには絶対何か作ってくるから。もし次のバンド練習で曲が完成しなくても、レコーディングまでにもう一回貸しスタジオでのバンド練習入れればいいだけの話だしな」

「いや、でも……」

「でも、何だよ。俺を信じてくれよ。曲は一日あれば書けるんだから、まだ焦るような状況じゃないだろ?」

 口をつぐんだ与木は、神原にどう返事をすればいいか決めかねている様子だった。

 でも、それも無理はないと神原は感じる。説得力がないことを言っている自覚は神原にもあった。

 確かに一日で曲を書くことは可能だが、それは元となるひらめきがあればの話だ。裏を返せばそのひらめきさえなければ何日かけても曲は書けない。それはまさに今の神原の状態だった。言ったそばから心は焦り出している。

 それでも、神原はなるべく平然とした表情を心がけた。

「確かにそれはそうだけど……」

「だろ? まあここまで心配かけて悪いなとは俺も思ってるよ。でも、俺は大丈夫だから。絶対に明後日までにもう一曲書いてくるから。できるって俺は信じてるから」

 神原の口から出た言葉は、与木を安心させるというよりも、自分に言い聞かせるという意味合いの方が強かった。少しでもできないかもしれないと思ってしまうと、本当にできなくなってしまう。そのことが神原には恐ろしかった。

「そうだな。マジで頼むぜ」と、与木も表面上は納得した様子を見せている。だから、神原も「ああ、任せとけ」と毅然とした声で返した。

 さらに一つ言葉をかけあってから別れる二人。与木にも宣言した手前、神原の使命感はより強くなっていた。


(続く)


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