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【小説】ロックバンドが止まらない(68)


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 やるしかない。やらなければならない。いくら神原がそう思っても、現実は甘くなかった。いくらギターを手に取ってみても、曲のアイデアは一向に浮かばず、時間だけが無情に過ぎていく。

 締め切りであるバンド練習まではあと二日しかない。そう思うと神原は焦って、なかなか寝付くこともできなかった。

 隣人には迷惑だろうかと思いながらも、ベッドに横になっていても気持ちは逸り、いてもたってもいられない。起き出してギターを手に取るも何も浮かばず、区切りをつけて再び寝ようと試みる。でも、やはり寝られず気づけばギターをまた手に取る。そんなことを繰り返していると、夜はとても長く感じられた。

 それでも、朝はやってきてしまう。結局その日、神原はほとんど眠ることができなかった。

 だから日中、神原は眠たくて仕方がなかった。アルバイトをしている間もふとした瞬間に眠気が襲ってきて、曲作りのことを考えている余裕はない。

 それでも、アルバイトを何とか乗り切って家に帰ってきた神原は、再びギターを手に作曲を試みる。今日中に原曲を作らなければ、三人に合わせる顔がない。そう自らを鼓舞して新曲を作ろうとするも、さらに強くなった眠気は容赦なく襲い掛かってきて、神原をベッドに誘う。

 結局神原は眠気に負けて、一時間もしないうちにギターを手放していた。

 神原が次に目を覚ましたとき、時刻は夜の二時を回っていた。変な時間に寝て、変な時間に目を覚ましてしまったと自分でも思う。カップラーメンで胃を満たすと、神原は再度ギターを手に取った。

 眠気はほとんどないから、このままバンド練習の時間まで起きていよう。そう神原は決めて、改めて曲作りに取り組む。隣人に迷惑だとはもう考えていられなかった。

 しかし、何一つまとまらないまま、神原はバンド練習の時間を迎えてしまう。

 本音を言ってしまえば、気分は気が重いなんて言葉ではとてもすまなかったし、三人と顔を合わせることから逃げ出したい気持ちもある。

 それでも、実際にその選択肢を神原は取れるわけがない。原曲を作る人間として、できなかったと報告する義務がある。そう神原は自分に言い聞かせ、重たい腰をどうにか持ち上げて家を出た。

 こんな日に限って外は雲一つない青空で、日差しが思わず目を細めてしまうほど眩しかった。

 電車に乗っている間も、最寄り駅に着いてからも神原は逃げ出したくなる気持ちをどうにか抑えて、貸しスタジオへと向かった。

 神原が貸しスタジオが入っているビルの前に到着したときには既に三人が揃っていて、自分に向けられる視線に内心縮みあがってしまう。なんてことのないように振る舞おうとしたけれど、三人に声をかけたときの表情は自分でも分かるほどぎこちなかった。

 三人もそれだけで、神原の事情を察したのだろう。「曲作ってきた?」と直接的に訊かれることはなく、それがかえって神原の胃を痛めていた。

 貸しスタジオに入った四人は、着々と演奏の準備を進める。でも、その間もやはり神原は落ち着かない。

 準備を終えて、四人は改めて向き直る。三人の視線が自ずと注がれるなか、神原は思い切って口を開いた。

「あのさ、今日までに作ってくるって言ってた新曲のことなんだけどさ」

 三人はじっと神原の次の言葉を待っている。流れる空気は、神原にとってははいたたまれないという言葉ではとても形容できなかった。

「ごめん! 何も思い浮かばなかった! 本当にごめん!」

 神原は深々と頭を下げた。もうこれ以上はいけないというところまで深く。三人に対する感情は、何度謝っても足りるものではなかった。

 曲を新たに作り直すと言っておきながら、このザマだ。責められても仕方がないと神原は感じる。

 それでも、三人は神原にあからさまに文句を言うことはなかった。イチから曲を作ることの苦労が分かっていたり、容易に想像できるからだろう。

「顔上げろよ」と言った久倉に、神原は素直に従う。声に刺々しさは含まれていなかった。

「まあ、そういうことなら仕方ねぇよな。幸いにして、別の替えようと思ってた新曲はあるわけだし。アルバムにはそっちを入れようぜ」

「いや、いいのかよ。曲を作ってこれなかったのは完全に俺が悪いのに……」

「いいよ。別にお前のせいじゃねぇ。誰だって何も思いつかないときぐらいあるだろ。俺は元の曲も悪くないと思ってるし、そのままでも十分良いアルバムになると思ってるから」

「いや、でも……」

「でも、じゃないよ。泰斗君。何も思いつかなかったのは、もうしょうがないじゃん。それに謝るとしたら私もだよ。私だって曲書いてみるって言ったのに、何も書けてないんだから。泰斗君だけが悪いんじゃないよ」

 久倉も園田も、神原に理解を示してくれていた。でも、そうやって気を遣われていることが、より神原の心を痛める。たとえ二人にはその気はなかったとしても、何も書けなかった自分を責めたい気持ちを抑えて、フォローに回っているように感じられてしまう。

 それでも、いくら神原が気を揉んでも、できていないものが急に現れ出るわけはない。今の神原には、現実を受け入れるしかなかった。

「ああ。でも、本当にごめん。俺が不甲斐ないせいで……」

「だから、もうそんなに謝るなよ。それよりも早く練習しようぜ。レコーディングや次のライブに向けて、練習しなきゃいけない曲はいくらでもあるわけだし」

「ああ、そうだな。じゃあ、練習するか」

 神原がそう切り替えようとして、園田と久倉も頷いた瞬間だった。与木が「あ、あのさ」と口を開いたのは。

 三人の視線は一気に与木に集まる。与木は縮こまりそうになりながら、それでも続けた。

「俺、実は一曲だけ曲作ってきたんだけど」

 そう口にした与木に自分だけでなく、今この場にいる全員が驚いたのが神原には分かった。

 与木は去年のある時期を境に、具体的に言えば佐川たちが解散を発表したときから、曲を作ってはいない。一昨日会ったときも曲を作っている素振りはまったく見せていなかっただけに、神原の驚きは一段と大きかった。思わず「えっ、マジで」と訊いてしまう。

 与木は小さく頷く。与木がここで性質の悪い冗談を言うような性格ではないことは、神原も分かっていた。

「それって今聴ける?」

 与木は再び頷くと「ちょっと待ってて」と言って、ギターを置いて貸しスタジオの外へと向かっていった。少しすると、受付からCDデッキを借りて戻ってきて、そこにギターケースのポケットから取り出したカセットテープを入れる。

 CDデッキから聴こえたのは、ギターの音色が響く曲だった。コードを繋げただけでの曲でも、掻き鳴らされるギターに間違いなく与木が作った曲であることが、神原たちには分かる。

 メジャーコードを多用し全編を通して明るい雰囲気がある曲は、アルバムに収録されても埋もれることなく輝きを放つだろうと、神原は想像した。

「ま、まあこんな感じなんだけど……」

 カセットテープの再生を終えて、そう言った与木は少し自信なさげだった。でも神原が抱く感想は、その与木の態度とは釣り合わない。

「いや、めっちゃいいじゃん。明るい曲調で駆け抜けるようで。俺、アルバムにこの曲入れてぇんだけど」

「いや、でもさすがにもう時間ないだろ……。まだバッキングギターだけで他のパートは全然できてないんだし、それに歌詞も……」

「それはもう一回貸しスタジオに入れれば、どうとでもなるだろ。歌詞も俺がそれまでに書いてくるし」

「そうだよ、澄矢君。私もあと数日しかないけど、どうにかベース考えるから。この曲アルバムに入れようよ」

「ああ、俺もこの曲は次のアルバムに入れるべきだと思う。今あるどの曲とも違っていて、良いアクセントになると思うな」

 与木以外の三人の見解は一致していた。神原も自分からは出てこなかったであろう曲に、素直に感心している。

 確かにもう時間はない。それでも、どれだけ大変でもこの曲をアルバムに収録したいという神原の思いは変わらなかった。

「……分かった。俺もこの曲を仕上げられるように、どうにかリードギター考えるよ」

 そう頷いた与木に、神原たちは手を取りたいほどの喜びに駆られる。神原の中でも歌詞を書く苦労よりも、与木に対する感謝の思いが上回る。

「ああ、本当にありがとな。曲書いてきてくれて。マジで助かったよ」

 三人を代表するように神原が言うと、与木はかすかに表情を緩ませた。それは少しぎこちなくもあったけれど、でも自分の作った曲が認められた嬉しさが確かに滲み出ていた。

 だから、神原もすっきりとした声で「じゃあ、改めて練習始めよっか」と三人に声をかけられる。三人とも爽やかな表情で頷く。

 練習が終わったらすぐにそれぞれのパートを考える必要があったが、今は清々しい気持ちでバンド練習に臨めそうな気が神原にはしていた。

 バンド練習を終えて家に帰ると、神原たちはさっそくそれぞれのパートの作成に取りかかった。神原も与木にコピーしてもらったカセットテープを、繰り返し聴く。

 神原が担当するバッキングギターは、既に与木が考えてくれたものをほとんどそのまま使えばいい。

 それよりも、神原が考えなければいけないのは歌詞だ。ノートを開いて、思いついたメロディーに合う歌詞を少しずつ書き出してみる。既に曲の原型はできていたから、神原にとっても歌詞やメロディーはいくぶん考えやすく、まるで今まで思い悩んでいたのが嘘みたいに、ぽつぽつと元となるアイデアが浮かんでくる。

 カセットテープを何度も再生して、神原はアイデアを一つの形にまとめていく。すると、その日のうちに歌詞の原型となるものはできあがって、さっそく神原は空のカセットテープにメロディーに乗せて歌った歌詞を録音した。

 もちろんこれで完成ではないし、修正や推敲はまだまだしなければならないだろう。それでも叩き台にはなるものができたおかげで、神原はいくらか安心して眠りにつくことができていた。

 与木たちも頑張ってくれたおかげで、レコーディング二日前の最後のバンド練習までには、神原たちは全てのパートで、プロトタイプとなる演奏を作り上げることができていた。

 全員で一度集まって、それぞれのパートを録音したカセットテープを交換し合い、神原は推敲をして完成した歌詞をメールでも送る。そして、全てのパートの演奏を確認してから、神原たちは再度貸しスタジオに入った。

 一回バンドの形で合わせてみて、気になった個所には修正を施して、演奏をブラッシュアップさせていく。

 そして、神原たちは貸しスタジオの使用時間である二時間をまるまる一曲に費やし、どうにか次のアルバムに収録する最後の一曲を完成させた。かなりの突貫工事になったが、曲も歌詞も演奏も良いものになっているという実感が神原にはあったし、表情を見るに三人も同様らしい。

 バンド練習を終えた神原は、さっそくその足でECNレコードの事務所に向かい、吉間に曲を録音したカセットテープを提出した。吉間は「やっとか」というような顔をしていたけれど、本当にその通りだったから、神原はその表情を甘んじて受け入れる。

 あとはせっかく作ったこの曲が、難色を示されないように願うしかない。

 神原たちの願いが通じたのか、神原たちが最後に作った曲をアルバムに収録することに、吉間や飯塚、野津田からの反対意見は出なかった。そのことを吉間から伝えられたときは、電話で見えないことをいいことに、神原は小さくガッツポーズをしたくらいだ。

 これでアルバムに収録する一〇曲は全て出揃った。まだ何のレコーディングもしていない状況でも、神原はほんの少しの達成感を覚えていた。


(続く)


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