見出し画像

【小説】ロックバンドが止まらない(69)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(68)





 レコーディングはさっそく翌日から開始された。

 レコーディングスタジオに入った神原たちは、まず野津田に曲の提出がギリギリになってしまったことを詫びる。でも、野津田は大して気にしていないばかりか、それどころか「自分にも原因の一端はある」と逆に謝ってさえきていた。確かにその側面は否めないものの、それでも野津田が指摘してくれたおかげで、より良い曲を作ることができたのだ。だから、神原たちに野津田を悪く思うなんてあり得ない。

 お互いに謝って、お互いに「大丈夫ですよ」とフォローし合う。それは神原たちにとって、レコーディングに入る前に必要なステップに違いなかった。

 レコーディングは、まず久倉のドラムから始まっていく。久倉はやはり緊張した面持ちを浮かべていたが、それでも三回目で若干慣れてきたのか、ミスの少ない引き締まったドラムを叩いていた。

 神原たちもその様子をじっと眺める。何回かテイクを録音して聴き返すときも、神原は久倉のドラムがブレることなくリズムを刻んでいるように感じられる。テイク数も初回のレコーディングと比べると抑えられ、久倉の着実な成長を神原は思う。

 今回のレコーディングは、一〇曲を録音する今までにない長期戦だ。なるべく一曲当たりの消耗を少なくすることは、アルバム全体のクオリティを上げる上でも好ましかった。

 久倉に続いて、園田や与木も確実にレコーディングを進めていく。いずれも少ないテイク数で効果的な演奏ができていて、ただ聴いているだけの神原としても手ごたえを感じる。緊張感もいい方向に作用しているようで、レコーディングは神原の想像よりもスピーディーに進んでいった。

 正午から始まったレコーディングは、神原がギターを録音する頃にはまだ午後の五時にもなっていなくて、いい意味で慣れてきていることを神原は喜ばしく思う。プレッシャーも力に変わり、神原も冴えた演奏ができていた。

 ギターを弾き終えてふと顔を上げると、与木たちも清々しい表情をしている。快調な滑り出しは、神原にまだまだ続くレコーディングに向かう大きなエネルギーを与えていた。

 神原の歌もちゃんと限られたテイク数の中で決まり、神原たちは初日のレコーディングを終えた。OKテイクができたときには神原も達成感を感じたものの、それでも長い間感慨に浸っているわけにはいかない。今回は間に一日の休息日を挟むものの、短期間に集中して新しいアルバムのレコーディングを行うのだ。

 だから、神原は家に帰ると食事と喉のケアをしてすぐに休むことに専念する。体力勝負のレコーディングでは、遅くまで起きて体力を浪費することは避けなければならなかった。

 レコーディングは連日続いていく。神原たちも何度もテイクを重ね、OKテイクを作り上げていく。

 最初の数日はよかったものの、毎日八時間ほどレコーディングスタジオにこもる日々を続けると、神原たちはさすがに疲労を覚えずにはいられない。疲れが溜まり始めているからか、演奏にもほんの少しずつだがミスが見られるようになってきた。テイク数も増え、神原たちの疲労はさらに増していく。

 そんななかでも神原たちはお互いに前向きな言葉をかけ合って、どうにかレコーディングを乗り越えようとする。

 神原も期間中に一日だけあった休息日を、ほとんど外に出ずに家での体力回復に充てた。アルバイトを入れていなくてよかったと心から思った。

 休息日を終えると、レコーディングは後半戦に入る。今までのアルバムは七曲が上限だったから、八曲目からは神原たちにとっては未知の領域だ。

 さすがに全員が疲労の色を隠しきれておらず、口数も少なくなってしまったが、それでも演奏だけはどうにか踏ん張る。レコーディングを始めたときのような演奏ができるように試みる。

 テイク数が増えて一曲にかける時間も長くなっていたけれど、神原たちはお互いに鼓舞し合って、レコーディングに臨んでいく。そのおかげで、OKテイクは疲労の色を感じさせないものになっていた。

 神原たちが日増しに疲れていきながらも何とかレコーディングに取り組んでいると、レコーディングが終わった曲も着実に増えていき、ついには神原たちはレコーディング最終日を迎えていた。

 ここまではスケジュール通りレコーディングを進められているし、時間もお金もかかる再レコーディングは神原たちとしても避けたい。だから、何としてもこの日のうちにレコーディングを完了させておかなければならず、スタジオは自然と緊張感を帯びる。

 神原たちは残っている力を振り絞るかのように、ワンテイクワンテイクを録音していった。与木たちの集中力は最後まで切れることはなく、OKテイクが一つまた一つとできていく。

 だから、最後にレコーディングに臨む神原は、プレッシャーを感じずにはいられない。クオリティの面はもちろん、スタジオが閉まる時間は決まっているから、それまでにOKテイクを完成させなければならない。

 焦る気持ちは否めない。でも、神原はなるべく自分に落ち着くように言い聞かせて、確実な演奏と歌を心がけた。ブースの外では与木たちが疲労を滲ませながらも、祈るような表情で神原を見守っている。神原はそれに応えないわけにはいかなかった。

 ひとまず野津田に指定された数のテイクを歌いきると、スタジオの緊張の糸はふっと緩む。

 でも、これでレコーディングが終わったわけではない。まだ録音したテイクを聴き返してOKテイクを作り上げる作業が残っている。場合によってはリテイクもあり得るかもしれない。

 神原たちは野津田が再生するテイクに、一つずつ耳を傾けた。神原がテイクを選び、OKテイクの形に決める。野津田に「これでいいね?」と尋ねられて四人が頷くと、晴れて神原たちの新しいアルバムに収録される全ての曲のレコーディングが完了した。

 何とか決められた期間内に録り終えることができた安堵が最初に、そして全曲のレコーディングが終わった達成感が順を追って、神原には訪れる。体力的にも精神的にも疲労困憊だが、それでもレコーディングが終わった瞬間の開放感は、何度味わっても心地いい。与木たちも満足げに顔を綻ばせている。

 これからまだミキシングやマスタリングといった作業が控えている野津田に「改めてこの先もよろしくお願いします」と頼むと、野津田も「うん。みんな、お疲れ様」と応えてくれた。その微笑んだ表情に、神原たちは手ごたえを覚える。

 打ち上げがてら四人で駅前のファミリーレストランに向かう。神原の胸は良いアルバムができそうな予感で、疲れを感じないほど躍っていた。

 レコーディング後の一週間を休息期間に充て、その翌週には神原たちは再び貸しスタジオに集まっていた。神原にも本当はもっとゆっくりしていたい気持ちはあったが、次のライブは七月中に控えているため、そうも言っていられない。

 次のライブではさっそく新しいアルバムに収録される新曲をセットリストに入れるから、神原たちは練習に余念がなかった。新曲だけでなく既存曲もよりクオリティを上げるため、気を引き締めて演奏に臨む。

 休息期間でうまくリフレッシュができたからか、自分たちの演奏には新鮮味があって、神原はこの調子でいけば次のライブも手ごたえが得られるだろうと感じていた。

 神原たちが数回にわたるバンド練習に取り組んでいると、あっという間にライブの日はやってくる。この日の会場は今まで訪れたことがある街の、また違ったライブハウスだった。

 トップバッターである神原たちは、ライブハウスに着いてオーナーやスタッフに挨拶をすると、さっそくリハーサルに入る。試奏する曲は、次のアルバムに収録される新曲にした。今日初めてライブで披露するから、たとえリハーサルだとしても感覚を確かめておきたかった。

 神原たちは曲の一番部分を演奏する。自分たちの演奏も聴こえ方も悪くなく、大きな問題もなくライブに臨めそうだった。

 開場時間になって楽屋に入っていた神原たちは、開演時間の一〇分ほど前になって、スタッフから「スタンバイお願いします」と声をかけられる。

 舞台袖に立つと、神原はまた新しく緊張を感じる。でも、ステージに上がるためには必要な感情だから、神原は意識して振り払おうとは思わなかった。

 開演時間になると、フロアに流れていたカントリーミュージックは止み、入れ替わるようにして神原たちの登場SEが流れた。歓声は起こらなかったけれど、自分たちの知名度はまだまだだから当然のことだろう。

 登場SEがサビに達したところで、神原たちは赤い照明に照らされたステージへと歩き出した。神原たちが登場すると、観客たちはとりあえずといった拍手で迎えてくれる。

 この日の観客は三〇人ほどで、フロアには空いている部分もちらほらと見られたものの、インディーズのミュージシャンばかりが三組登場するイベントとしてはこんなものだろうと、神原は大して落胆はしなかった。

 たとえ観客が何人でも関係なく、自分たちの演奏をするだけだと今は思える。それはもう何回も同じくらいの規模でのライブを行ってきたからに他ならなかった。

 登場SEを止めて、さっそく神原たちは演奏を始める。

 まずは今までのアルバムに収録された曲から。自分たちの曲の中でもとりわけキャッチ―でライブ映えすると思っている曲を、神原たちは次々と演奏していく。

 自分たちの演奏は今日もちゃんとタイミングが合っているし、観客の反応も何人かがリズムに乗ってくれていて悪くはない。突き抜けるような盛り上がりこそなかったものの、それはまだライブが始まったばかりだからだろう。

 神原たちは焦ることなく、それでも熱がこもった演奏を続けていく。四人とも調子は上々で、神原たちは演奏しながら確かな高揚感を感じていた。

 ライブMCに入る前の六曲目には、神原たちは次のアルバムに収録される新曲を演奏した。

 とはいえ、この曲は前のアルバムをリリースしてからすぐ後くらいのわりと早い段階からあり、ライブでも何回か披露したことがある。だから、神原たちとしても演奏するのに苦労はいらなかった。

 これまでの曲からは少しテンポを落とし、じっくりと聴かせるような曲でも、観客はちゃんと神原たちの演奏に向き合ってくれている。退屈そうにしている人もいなくはなかったが、それでもほとんどの観客が自分たちの曲に聴き入ってくれていることは、神原たちにも大きな勇気を与える。

 おかげで神原たちも、自信を持って演奏をすることができていた。

 六曲を演奏し終わると、神原たちは休憩がてらライブMCに入る。園田たちが近況を報告したり、少しどうでもいい雑談をしたりと、それぞれ挨拶をしていく。

 そして、ライブMCは神原の順番になった。神原もまずは当たり障りのない挨拶から喋り始める。立ったままの観客一人一人の表情が明確に見える中で、神原は「では、今日は皆さんに一つお知らせがあります」と話題を変えた。

 興味を持っていそうな観客はあまり多くなかったが、神原は声の調子を上げる。

「僕たちChip Chop Camelはこの度、新しいアルバムを発売することが決まりました!」

 神原がそう言って、久倉が軽くドラムを叩く。

 でも、フロアにざわめきは起きなかった。お互いに空気を読み合っているのか、拍手の音さえ聞こえてこない。自分たちはまだまだ人気が足りないのだと神原は思い知らされる。

 反応を振ると園田たちは嬉しそうなコメントを述べていたものの、それでも観客とのリアクションの間に、神原は温度差を感じずにはいられない。演奏している間はそれなりに盛り上がっていると思っていたものの、それも錯覚だったのかもしれないと感じてしまう。

「もうレコーディングを終えて、一〇月に発売予定ですので、皆さん楽しみにしててください!」と言ってもやはり観客の反応は薄く、神原には寄る辺なさが募る。自分たちのアルバムを楽しみにしている人は、ゼロとは言わないまでも、かなり少なく思えてしまった。

「では、次の曲もそのニューアルバムに収録される曲です。『サーチライト・シティにて』!」

 神原が曲名をコールすると、久倉がフォーカウントを刻み、神原たちは一斉に演奏を始めた。突き抜けるようなシンプルなロックチューンは、次のアルバムでもリード曲にしようと考えている曲だ。

 初めての披露でも観客は小さかったが身体を揺らしたり、足でリズムを刻んだりといった反応を示してくれていて、神原たちの演奏にもキレが増す。やはり曲とライブMCは別物なのだと、演奏しながら神原は思う。

 感じられる観客の反応に、リード曲にしようという自分たちの判断に裏付けがついたような感覚が神原にはしていた。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(70)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?