見出し画像

【小説】ロックバンドが止まらない(70)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(69)




 神原たちが貸しスタジオに入って新曲をさらに練習し、いくつかのライブイベントにも出演していると、夏はあっという間に過ぎ去った。マスタリングされた音源を確認して、アルバムが完成した頃には、もう九月も半ばを過ぎ、外にも少しずつ涼しい風が吹き始める。

 出来上がったChip Chop Camel初のフルアルバム「バンドCのために」を目の当たりにしたときは、神原たちも爽快感を覚えずにはいられない。今回も色々と苦労したが、その分いいアルバムになっているという自負がある。間違いなく現時点での自分たちの最高傑作だ。

 だから、あとはアルバムの出来に見合ったセールスを出せるようにライブやプロモーションを頑張らなければならない。誰から言い出すこともなく、神原たちは共通認識としてそう感じていた。

 アルバムが完成してから発売されるまでの間、神原たちはライブに向けての練習や取材といったプロモーションで忙しい日々を過ごした。取材の件数はアルバムを出すごとに着実に増えてきていて、自分たちが評価されはじめていることを神原は感じる。

 吉間や飯塚も今回の「バンドCのために」のプロモーションには力を入れてくれていて、深夜帯のラジオ番組でリード曲の「サーチライト・シティにて」を一ヶ月間テーマ曲として流してくれることを取りつけてくれた。神原も初めての機会に、そう知らされたときには電話越しながら、「ありがとうございます」と頭を下げてしまったくらいだ。

 深夜二時からのラジオ番組をCDデッキで神原は聴く。パーソナリティの雑談やリスナーからのメールの紹介にはあまり興味が持てず、神原はウトウトしかけたが、それでもエンディングに自分たちの曲が流れると、一気に目が覚める。

 ラジオから流れる自分たちの曲は、深夜にひっそりと聴いているというシチュエーションも相まって、特別なものに神原には聴こえる。曲が良いのは間違いないから、一人でも多くの人間が最後までこのラジオ番組を聴いていてほしいと、心の底から願った。

 肌に触れる空気もめっきり涼しくなった一〇月の日。神原たちは「バンドCのために」の発売日を迎えた。

 神原はまだ少ししゃっきりとしない頭のまま家を出る。昨晩、神原はあまり眠ることができなかった。新しいアルバムが売れるかどうか、受け入れてもらえるかどうかドキドキしていたからだ。もちろん自信はあるけれど、新譜が発売される前の緊張感に、神原はまだ慣れていなかった。

 神原は手ぶらで、家から一番近いCDショップに向かう。この日はバンド練習は入っていなくて、代わりにアルバイトが正午から入っている。そして、夜眠れなかったかわりに朝に寝てしまったから、出勤時間は差し迫っていて時間に余裕もなかった。だから、CDショップにも軽く立ち寄るだけになる。

 それでも、インディーズコーナーに行くと確かに「バンドCのために」は陳列されていた。他のインディーズミュージシャンのCDと同じように側面だけが見える状態だったが、それでも手に取ってみると簡易的な線でデフォルメされた鉄塔のイラストが描かれたジャケットが目に入る。思わず頬を緩める。

 本当なら店内に少し留まって、買っていく人をこの目で見たいところだが、あいにくもうアルバイトに行かなければならない。

 神原は「バンドCのために」を棚に戻すと、後ろ髪を引かれるような思いでCDショップを後にした。アルバイト先に向かっている間も、誰かが手に取って買ってくれますようにと、頭はそれだけを考えていた。

 神原たちが吉間からECNレコードの事務所に集まるように言われたのは、「バンドCのために」が発売されて一週間ほどが経った頃だった。「皆に伝えたいことがある」と言われた神原たちは、バンド練習の日の午前中に時間を作って、四人で事務所に赴いていた。

 面談スペースに通されて座ると、「皆、今日は集まってくれてありがとう」と普段通りの言葉で吉間は話を始める。その口ぶりは少し高揚していた。

「今日、皆に集まってもらったのは、伝えたいことが二つあるからだ」

 そう前置きした吉間に神原たちは息を呑む。良い話題であってくれることを、神原は願う。

「まず一つ目だけど、『バンドCのために』が発売一週間で一〇〇枚以上を売り上げた」

 吉間が伝えた事実に、面談スペースには「やった」という空気が生まれる。少し身構えていた神原たちの表情も、自然と明るくなる。

 前作「FIGHT TERROR RHYMES」は一ヶ月をかけて五〇枚を売り上げるのがやっとだった。しかし、今回の「バンドCのために」は、それとは比較にならない勢いで売れている。神原たちにも喜ばしい以外の感情はない。

「ありがとうございます! やっぱり一ヶ月とはいえ、ラジオ番組のテーマソングになったことが大きかったんですかね!?」

「ああ、それは確実にあるな。でも、これは皆がひたむきに活動を続けてきた成果だから。良い曲を作り続けて、一つ一つのライブに全力を傾けてきた結果だから。十分に喜んでいいし、誇っていいことだからな」

 労われる言葉をかけられて、神原の胸は嬉しさで膨らむ。もちろんこれで満足するわけにはいかないが、それでもここまでバンドを続けてきた甲斐があったと思える。自分たちの曲を聴いてくれる人が増えて、これからのライブがより楽しみになってくる。

 久倉が「ありがとうございます! 本当に嬉しいです! ところで、もう一つの伝えたいことって何なんですか?」と、感謝を示しながら訊く。神原たちも同様に気になっていたことだから、四人の視線は再び吉間に集中した。

「ああ、実はこっちの方が大事なことなんだけど」

 吉間がそこで言葉を区切ると、面談スペースには妙な間が生まれた。かすかな悪い予感を神原に感じさせるほどに。

 四人の表情を今一度確認してから、吉間は再び口を開く。

「実は今、メジャーのレコード会社から興味があるって、声をかけられてるんだ」

 大きな声こそ上がらなかったものの、四人の間にどよめいたような空気が生まれたことを、神原は感じる。実際、神原も今は嬉しさよりも、驚きの方が勝っている。

 当然いつかはメジャーデビューしたいと思っていたし、実際今回発売した「バンドCのために」がレコード会社の人間から評価されることを願っていた。でも、いざ現実のこととして起こると、神原はすぐには呑みこめなかった。そんなはずはないのに、ドッキリかもしれないとすら思ってしまう。

 園田が「それって本当ですか?」と訊き返している。大きく頷いた吉間に、神原は紛れもなく現実だということを改めて知った。

「ああ、本当だ。こんなとこで嘘つくわけないだろ」

「そりゃそうですけど、でもそれってどこのレコード会社なんですか?」

「サニーミュージックからだ。皆も当然知ってるよな?」

 そう言った吉間に頷く必要がないほど、吉間が挙げたのは有名なレコード会社だった。バンドマンや音楽をしている者なら誰もが知っているのはもちろん、人気のバンドやミュージシャンをいくつも抱えていて、リスナーからの認知度も相当に高い。規模が大きく新人育成にも力を入れていて、自分たちもその一環で声をかけられたのだろう。

 これは降って湧いた話ではない。自分たちが着実に活動を積み重ねて、手繰り寄せたチャンスだ。そう思うと、神原に迷う理由はあるはずもない。

「吉間さん。これは吉間さんの前で言うことじゃないかもしれないですけど、僕はその話受けたいです。だって僕たちはメジャーデビューを目標に、ここまでやってきましたから」

 神原に三人も頷く。言葉を交わさずとも、神原たちの意思は一つにまとまっていた。

「ああ、それは分かってる。俺だって皆がメジャーに行くなら喜んで送り出したい。ただな」

「ただ、なんですか?」

「サニーミュージックの人からはまだ『興味がある』と言われてるだけで、実際にメジャーデビューのオファーは届いてないんだ。ほら、来月にライブがあるだろ? そこにその担当者の人が来るらしいんだ。実際に皆のライブを見てからオファーを出すかどうか決める。今はそう言われてるんだ」

 淡々と事情を説明する吉間。でも、それは神原たちにとっては願ってもない条件だった。実際に興味があるバンドのライブを見て、契約するかどうかを決める。それはすごく当たり前で、筋道が通ったことに神原には思える。

 自分たちの力でメジャーデビューを掴み取ることができる。こんなチャンスはまたとないかもしれない。

「吉間さん、ありがとうございます。そこまで話を進めてくれて。おかげでその担当者の方を納得させるだけのライブをしようって、より意気込みが強まりました」

「そうだな。でも分かってることだと思うけど、これは皆が自分たちの力で掴んだチャンスだ。だから、このチャンスをものにできるように、全力でライブに当たってくれ。ここから先は俺たちの力よりも、皆の力次第で決まるから」

 神原たちは口々に頷く。言われなくても今まででも最高のライブをして、何としてでもメジャーデビューを掴んでやる。神原の胸には、明確な決意が生まれる。

 三人も同様に感じているのだろう。わざわざ言葉にしなくてもそのことが、目を見れば容易に神原には分かった。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(71)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?