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【小説】ロックバンドが止まらない(71)


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 迎えたライブ当日は、朝からどんよりとした曇り空が広がり、寒さを感じる風が吹く日だった。天気が持ってくれるかは半々といったところだが、それでも神原は少しでも多くの観客を呼べるバンドであることを示すために、雨は降ってほしくないと思う。

 この日の会場は、神原たちが何度も出演している下北沢のCLUB ANSWERだった。勝手を知っているライブハウスで演奏できることは、大きなアドバンテージだ。出番も四組中二組目といい。お膳立てをされているかのようだ。

 リハーサルに余裕を持って間に合う時間に、神原たちはCLUB ANSWERを訪れた。

 中に入った神原は、まず館内を見回す。ステージでは一組目のバンドがリハーサルの準備をしていて、フロアには神原たちとももうすっかり顔見知りのスタッフしかおらず、レコード会社の社員らしき人間は見当たらなかった。さすがにリハーサルから見られるほどの時間はないのだろう。

 神原たちはオーナーの黒島に挨拶をすると、フロアに立って一組目のバンドのリハーサルを見学した。ステージの四人は、ジャズやフュージョンの要素が強いインストゥルメンタルを演奏していた。

 一組目のバンドがリハーサルを終えると、入れ替わるように神原たちはステージに向かう。準備を整えた頃になっても、やはりレコード会社の社員と思しき人間はいない。

 神原たちは「バンドCのために」に収録された新曲を演奏する。一番部分だけの限られた演奏でも、自分たちの調子が良いことは手に取るように分かって、今朝起きたときから緊張しっぱなしだった神原の心を、少しだけ落ち着けていた。

 リハーサルを終えると、神原たちはいつものように手持ち無沙汰になる。今までのライブでも緊張はしたけれど、今日はなおさらそれが強かったから、神原は三人にこう過ごせと強制することはしなかった。それぞれが思い思いの時間を過ごして、心身の状態を整えていけばいい。

 与木はリハーサルを終えると早々に外に出て行き、久倉は楽屋でドラムパッドを使って最後の確認をしていて、園田は仲の良い女性スタッフと軽く雑談をしていた。

 そのどの過ごし方も、神原には正解だと思える。フロアに留まって他のバンドのリハーサルを聴いている自分も含めて、無理のない過ごし方をすることを今は一番優先させるべきだった。

 開場時間の少し前に、神原たち出演者は全員が楽屋に入った。開演時間の三〇分前に開場すると、少しずつフロアからの話し声が神原たちの耳にも入り始める。何となくの感覚だが、もう既に五〇人ほどがCLUB ANSWERに来ているように神原には感じられる。

 今日は三連休の中日だったし、少し前に神原が外に出て確かめてみたときには、雨はまだ降り出していなかった。もしかしたら自分たちが今までに出演したライブイベントの中でも、観客数の最多を更新するかもしれない。

 その中には顔も名前も知らないレコード会社の社員もいるであろうことを考えると、神原は胃の底からせり上がってくるような緊張を感じてしまう。少し三人と話して気を紛らわそうとしたけれど、意識しないようにすることは神原にとっては難しいことだった。

 ライブが始まって一組目のバンドが演奏している間にも、神原の緊張は高まっていく一方だった。比較的ゆったりとしたテンポの曲であるがゆえに、かえって神原の心は落ち着かない。速くなる心臓の鼓動に合わせて、息も逸っていくようだ。

 それは与木たちも同じだったようで、楽屋の中で神原たちだけが、異様とすら言えるような雰囲気を放っている。自然体という言葉を忘れてしまいそうになるほどに。

 一組目のバンドは確かな演奏技術に裏打ちされた安定感のある演奏で、観客を音楽の世界に引き込んでいた。そのことを楽屋にいながらにでも神原は感じ、演奏するのに適した空間が整えられたと思う。

 でも、今の神原には全てがプレッシャーとなって働いてしまう。一組目のバンドが終わって入れ替わるように舞台袖にスタンバイしていても、緊張で喉が渇く感覚がする。

 思わず与木たちに視線を向けると、三人も似たような思いを抱いているようで、それでも「大丈夫だ」と目でお互いを励まそうとしていた。

 神原も「やるしかない」と自分に言い聞かせる。今日まで積んできた練習や重ねてきた日々が、神原にステージに向かう勇気を与えてくれていた。

 一通り転換作業が終わると、フロアの照明は落とされ、対照的にステージは白く照らされ出す。そして、室内にはお決まりの神原たちの登場SEが流れ出した。

 その瞬間に、神原の耳は今まで聴いたことがない音を捉える。観客が登場SEに合わせて、手拍子をしてくれていたのだ。音量の大きさからして、一人や二人ではない。

 かつて味わったことがない現象を、神原は自分たちに対する期待の表れだと受け取る。

 自分たちは、着実に観客に受け入れられるバンドになってきている。そのことがステージに向かう神原たちの背中を強く押した。

 神原たちがステージに登場すると、観客から送られる拍手はさらに大きくなる。それは神原たちが今まで聴いたことがない音量で、実際この日のフロアにはざっと見回しただけでも七、八〇人の観客がいた。

 想像していた通り、神原たちが出演するライブイベントとしては今まででも最多の人数で、何人かは先月リリースした「バンドCのために」をはじめ、自分たちのCDを聴いてきてくれているのだろうと思うと、神原は演奏する前から嬉しく感じられる。

 おそらくこの中には、レコード会社の社員もいるのだろう。でも、スーツのような分かりやすい服装はしていなかったから、神原から見れば誰がそうなのかは分からない。

 何より何十人もの観客の中にいい意味で紛れていたから、緊張は続いていても自分たちのライブをするだけだと、神原は開き直ることができていた。

 演奏の準備をして登場SEを止めると、神原は一呼吸置いてからギターを鳴らし出す。適当なコードを押さえて何度か鳴らしながら「Chip Chop Camelです! 今日はよろしくお願いします!」とフロアに向かって高らかに宣言する。

 するとフロアからは小さいながらも確かに歓声が起きて、神原たちの気持ちをより引き上げた。

 ギターを掻き鳴らす神原に乗るように、久倉がフォーカウントを発する。そして、神原たちは一斉に一曲目の演奏を始めた。オリジナル曲でももっとも初期の段階に作った「FIRST FRIEND」だ。

 普段はライブ後半に演奏することが多いのだが、今日のライブは今までのライブよりも重要な意味を帯びているため、いきなりトップギアで入りたいと四人で話して、一曲目に演奏することを決めたのだ。

 この曲を最初に演奏することはある種の賭けのようにも神原は思っていたのだが、発表されてから時間も経っている分浸透度も高いのか、何人かの観客がイントロを聴いただけで、「おっ」と目の色を変えたのが見えた。曲に乗ってくれる観客も多くて、呼応するように神原たちの演奏にもスタートから熱が入る。

 それでも、ちゃんとお互いがお互いの音を聴けていて、演奏にはズレもブレもない。神原の歌の調子も良く、一番のサビでは早くも何人かの観客が手を振り上げてくれていた。

 今までにないほどの反応の良さに、神原たちも俄然楽しくなってくる。ステージに上がる前に抱いていた緊張はすでに、その大部分がどこかに吹き飛んでしまっていた。

 一曲目に「FIRST FRIEND」を持ってくる自分たちの判断は功を奏した。曲を演奏し終わったときに送られた拍手の大きさが、神原たちにそう思わせる。

 ライブの始めから上がったテンションは二曲目になっても落ちることはなく、神原たちが演奏する曲に観客たちは小さくても、リズムに合わせて身体を揺らして反応していた。BPMが速めの盛り上がる曲が続いたことも相まって、サビではさらに多くの手が挙がる。

 一曲目の「FIRST FRIEND」で、自分たちはしっかりと観客の心を掴むことができたのだろう。そう神原には感じられ、心が軽やかな気分になる。

 演奏も躍動感を増し、それでも四人ともが冷静さを保っていたからか、制御不能なほど速くなることはない。どこかにいるレコード会社の社員に見定められているという緊張感すら、今の神原たちにはプラスに働いていて、自分たちが理想的な状態にかなり近いところにいると神原には思えた。

 神原たちは流れるように曲を演奏していく。自分たちが人気曲だと思っている曲や、ライブで盛り上がる曲を惜しげもなく披露していく。観客の反応も大きくて、この勢いを止めたくないと神原は思う。

 とはいえ、ずっとアップテンポな曲を演奏し続けることは、体力的な面から言えばあまり現実的ではない。だから、神原たちは時折ミドルテンポの比較的落ち着いた曲も、セットリストに組み込んでいた。

 それでも、たとえテンポを多少落としても、観客は何の問題もなく神原たちの曲を受け入れている。神原が演奏しながら一人一人の表情を垣間見ても、誰もが自分たちに明確に向き合ってくれていて、高揚感すら覚えているように感じられる。

 自分たちは今、このライブハウスの空気を掌握できている。館内のどこを見ても、自分たちの色に染まっている。そんな万能感に似た感情すら神原は覚えていた。

 演奏すればするだけ反応が返ってくる環境に、神原はこのままずっと演奏したいと思える。だけれど、三〇分の出番の間ずっと演奏をし続ける体力は、神原たちにはまだない。

 事前に提出したセットリストの中には、あらかじめライブMCの時間を含めており、それを抜いて時間を余らすわけにもいかない。

 だから、神原たちは四曲を演奏し終えるとライブMCに入った。メンバー紹介がてら園田たちが簡単に挨拶をして、神原も簡単なコメントとライブ後の物販でCDやグッズを販売することを伝える。いくら売れ行きが好調だとしても、「バンドCのために」をはじめとしたアルバムは、まだ若干の在庫があった。

 なるべく商売っ気を出さないように簡潔にアピールして、ライブMCを終えると神原たちはさっそく五曲目の演奏に入った。最新のアルバム「バンドCのために」のリード曲「サーチライト・シティにて」だ。

 まだリリースされてから日が浅くても、ラジオ番組やアルバムで聴いてきてくれた人も多いのだろう。フロアの熱量は少しも落ちなかった。ここまで浸透しているとは正直思っていなかったから、神原は演奏しながら少し驚いてしまう。

 でも、自分たちの曲がこんなにも広まっていると感じると、今までにないほど鼻が高い気分になった。

 この日のライブ最後となる六曲目には、神原たちは自分たちの曲の中でも随一の疾走感のある曲を選んでいた。最後にこの日一番の盛り上がりを起こしたいと思ったためだ。

 大きな声はなくとも、イントロだけでフロアが軽く沸き上がったのを神原は感じる。歌に入っても多くの観客が身体を揺らしてくれていて、サビに入るとフロアの熱量はギアを上げたかのように、目に見えそうなほど大きくなる。

 神原たちの演奏もラストスパートをかけるかのようにボルテージを上げていく。

 今自分たちは、音楽という旗印のもと一つになっている。そんな感覚が神原にはあって、それはレコード会社の社員が見に来ているという事実を束の間忘れさせていた。


(続く)


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