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【小説】ロックバンドが止まらない(72)


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 手ごたえがあったライブを終え、自分たちの後のバンドのライブも見て、物販の時間も終えると、打ち上げに行く前に神原たちは吉間に改めて集合をかけられていた。

 もう自分たちとスタッフ以外は誰もいないフロアに、改めて一人の男性が入ってくる。薄手のカーディガンを羽織っているその男性に、神原は確かに見覚えがあった。自分たちのライブをフロアの後方で見ていた人だ。普段着だったから、神原たちにはこの男性がレコード会社の社員だと分かるはずはない。

 その男性は神原たちの前に立つと「皆さん、今日はお疲れ様でした」と、小さく頭を下げていた。神原たちも頭を下げ返す。

 その間も神原の心臓は、ライブが始まる前以上にドクンドクンと鳴っていた。

「改めまして岡崎(おかざき)と言います。皆さんも分かっているとは思いますが、普段はサニーミュージックで働かせてもらっています」

 返事をしながら神原は背筋が伸びる感覚がした。自分たちの運命が決まる瞬間が、もうすぐそこまで迫っている。そう考えると、姿勢を正さずにはいられない。

「アルバムを聴いて気になったので、今日は皆さんのライブを見させてもらいました。その上であくまで私一人の個人的な評価になりますが、受けた印象をお話しします」

 全員で頷きながら、それでも神原は痺れるような緊張を抱く。喉の奥から、何かがせり上がってくるようだ。

「まず演奏技術についてですが、正直まだまだ改善の余地があるように感じられました。大きく目立ってはいませんでしたが、四人ともミスはなくはなかったですし、演奏が合わないタイミングも何回か見られました。致命傷には至っていませんでしたが、一歩間違えれば大きく崩れてしまっていたような。そんな危うさは、正直感じてしまいました」

 忌憚なく苦言を呈する岡崎に、神原は胃が縮むような心地がした。

 自分たちとしては完璧とはいかなくても、概ねうまくいったライブができていたと思っていたのだが、やはりレコード会社で働いている岡崎の耳はごまかせなかったようだ。

 メジャーデビューが遠のいていく感覚に、神原も意識が遠くなっていくかのようだ。

 それでも、岡崎は「ですが」と言葉を繋いでいた。

「それはメジャーデビューする前に、もしくはした後も必死に練習をすれば、改善することでもあります。もちろんミスばかりでろくに成り立っていないバンドは話になりませんが、皆さんの演奏はそうではありませんでした。あくまでギリギリといったところですが、メジャーデビューできるだけの水準は、私には満たしているように思えます」

 そう言う岡崎に、神原は「本当ですか!?」と訊きたくなる気持ちをどうにか抑えた。ここでリップサービスをしたところで、岡崎は何も得しない。

「それに演奏された曲は、私にとっては良いと思えるようなものでした。今のメインストリームとは違うかもしれませんが、皆さんの特徴である力強いギターロックは、いつの時代も一定の需要や人気があります。きっと好きだと感じる人も、少なからずいるのではないでしょうか」

 自分たちの音楽は、やってきたことは間違っていない。神原には岡崎の言葉が、そう言っているのと等しいように聞こえた。今日のライブで得た自信が、より深まっていく。

 個人の感想にすぎなかったとしても、好意的な評価をされるのはやはり嬉しかった。

「そして、何より私が感心したのは今日のお客さんの反応です。最後列から見ていて、お客さんの多くが皆さんの曲に乗って楽しんでいるように私には見えました。正直、これほど盛り上がるとは予想していなかったくらいです。きっと今日来たお客さんの中には皆さんの曲を知らなかったり、初めて見る人もいたことでしょう。それにもかかわらず、皆さんが多くのお客さんを巻き込んで魅了するライブができていたこと。それが、今日私が感じた一番の驚きでした」

 岡崎の目や表情に嘘を言っている様子は見られなかったから、神原たちも額面通り受け取ることができる。

 正直今日のライブは、自分たちの演奏も観客の反応も、少しできすぎなくらいだった。でも、大一番とも言える日に今まででも屈指のライブができたことが、きっと今日までバンドを続けてきたご褒美のように神原には思える。これからは今日のライブを基準にして、それを超えられるようまた頑張っていけばいいだけの話だ。

「結論を言うと、私は皆さんと契約したいと感じました」

 岡崎がそう口にすると、誰かが何かを言ったわけではないが「わっ」と沸き立つような空気が、神原たちの間には生まれた。全員の目の色が変わったみたいだ。

「ありがとうございます」と園田が言ったのを皮切りに、神原たちは口々に言う。待ち望んでいた瞬間が間近に訪れていることに。神原の胸も躍った。

「ええ。でも、これはあくまで私としては、という話です。皆さんと契約できるかどうかは私の一存だけでは決められませんし、上の人間とも話をする必要がありますから。それでも、私は皆さんを推薦したいと思います。完全な保証はできませんが、それでも皆さんと契約できるように手を尽くします」

 そこまで言ってくれる岡崎を、神原は頼もしいと感じる。どのみち岡崎の独断で決まることでもないだろうと思っていたから、一〇〇パーセントの保証がなくても構わなかった。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」と神原が代表して言うと、与木たちも頷いて続く。

「分かりました」と言う岡崎の表情は「自分に任せて大丈夫」と言っているようで、神原たちに安心感を与えた。

 神原たちに吉間から再び電話があったのは、ライブを終えて一週間も経たない頃だった。「サニーミュージックが正式に契約したいとオファーを送ってきた」と言われれば、神原たちは予定を調整してその翌日に集まるほかない。

 神原たちが事務所に赴いていつもの面談スペースに通されると、吉間はさっそく本題に入った。神原たちはサニーミュージックからの契約書類を渡される。

 神原が大方目を通すと、一〇ページにも及ぶ書類には契約期間や印税率、活動内容の指針や遵守してほしいルールなどが事細かに記されていた。いよいよレコード会社と契約するのだと思うと、自然と背筋が伸びる。

 吉間は答えを急かさなかった。四人でじっくり話し合って決めてくれと言う。

 でも、そう言われなくても、既に神原の腹は決まっていた。

 神原たちが次に集まったのは、その三日後だった。一二月に入っている年内最後のライブに向けて、貸しスタジオでバンド練習をするためだ。

 貸しスタジオがあるビルの前に集まった神原たちは、オファーの話をせずに、階段を下って地下にある貸しスタジオに入る。

 今は次のライブに向けて、練習に集中したい。そう自分と同じように感じているのを、神原は三人の表情から読み取った。

 バンド練習はこれといった問題も起こらずつつがなく終わった。四人とも前回のライブからの調子の良さを維持していて、大手レコード会社からオファーを受けたことが自信に繋がっていると神原は思う。

 そして、練習を終えた四人は駅前のファミリーレストランに入った。これからするのは自分たちの将来を左右する重要な話だから、アルコールが入った状態では決めたくない。そう言った園田に、神原たちが頷いた形だ。

 店内はラストオーダーの時間も近づいてきているとはいえ、まだ満席に近いほど混んでいて、あちらこちらから人の話し声が聞こえてくる。あまり話に集中できるような環境ではなかったが、この日の神原たちにはそれも大きくは気にならなかった。

 席に着いて注文を済ませると、神原たちは手持ち無沙汰になる。となったら、話すことは一つしかない。

 神原は三人を今一度見回すと、「じゃあ、メジャーデビューのオファーを受けるかどうかなんだけど、まず一回意思の確認がてら、手を挙げる形で訊いていいか?」と、集まる前から考えていたことを口にする。

 三人も頷いて、神原は「じゃあ、いくぞ」と前置きをする。騒がしい店内の中で四人が座るテーブルにだけ、かすかに神妙な空気が漂い始める。

「今回のサニーミュージックからのオファーを受けたいと思ってる人は、手を挙げてくれ」

 そう神原が言うと、すぐに四人全員の手が挙がった。周囲の目を気にしていないかのように高らかに手を挙げる園田とは対照的に、与木はおずおずといった様子だったが、それでも手を挙げていることには間違いない。

 四人全員の意思は瞬く間に一つにまとまっていて、そこに迷いは少しもなかった。こんなにも早く結論が出たことに、神原は若干笑えてくるくらいだ。

 園田たちも笑みをこぼしている。先ほどまでの神妙さからは一転、テーブルは晴れやかな空気に包まれていた。

 ファミリーレストランでの夕食を終えて三人と別れると、神原はすぐに吉間に電話をかけていた。こんな遅い時間の電話は迷惑だろうかと思ったけれど、吉間は電話に出てくれた。

「どうかしたのか?」と訊いてくる吉間に、神原は「四人で話して決めました。サニーミュージックからのオファーを受けます」と伝える。まるで神原がそう言うのを分かっていたかのように、吉間は「そうか。それはよかったな」と穏やかな声で応えていた。

「色々手続きがあるから、今度また事務所に来てくれ」と伝えられ、神原も頷く。

 電話を切ると、心を覆っていた喜びに少しの寂寥感が入り込んでくる。その感情を神原は、当然だと受け入れた。少しでも寂しさを感じていないと、自分たちと契約してくれて、色々と力になってくれたECNレコードに申し訳ないだろうと思った。

 神原たちが四人で再びECNレコードに赴いたのは、一一月も終わって一二月になったちょうどその日だった。

 吉間は四人の顔を改めて確認するように見てから、話を始めていた。

 ECNレコードとの契約は今年いっぱいで切れること。神原たちが署名した契約書をサニーミュージックの事務所に持っていけば、晴れて来年からサニーミュージック所属のミュージシャンになること。本音を言えば、これからも神原たちと契約していたいけれど、メジャーデビューをするからには喜んで送り出すことを、順を追って話す。

 神原たちも話の腰を折ることなく、まずは吉間の話を聞くことに集中した。今年が終われば、吉間や飯塚たちとも顔を合わせることはなくなってしまうかもしれない。そのことが神原には寂しく感じられた。


(続く)


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