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【小説】ロックバンドが止まらない(73)


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「じゃあ、契約終了の手続きは以上で、あとは俺たちの方でやっとくから。皆、ひとまず今までお疲れ様」

 改めて神原たちを労ってくる吉間の声は、今まで聞いたことがないほど優しかった。その声色に、神原は自分たちが成し遂げようとしていることの大きさを再認識する。

 レコード会社との契約、メジャーデビューは誰でもできるわけではない。そんな当たり前のことを今にして思う。

「吉間さん、僕たちの方こそ今までありがとうございました。飯塚さんに誘われてECNレコードに所属していなかったら、僕たちはこのタイミングでメジャーデビューができていなかったと思いますから」

「そんな謙遜しなくていいよ。皆の曲や実力なら、遅かれ早かれメジャーデビューはしてたって。でも、皆の活動を少しでも手伝えることができてたなら、俺たちとしても嬉しいよ」

「いえ、少しでもなんてそんな。ここに所属してなかったら、たぶん僕たちは一枚もアルバムを出せていなかったと思いますし、今の僕たちがあるのは吉間さんや飯塚さん、ECNレコードの皆さんのおかげですから」

「そっか。そう言ってもらえると余計に嬉しいな。俺たちも皆のこれからの活動応援してるから。どんどん曲を発表してライブもして、人気のバンドになってくれよ」

「はい。ECNレコード出身のバンドとして、恥じない活動をしたいと思います」

「そうだな。なるべくインディーズには戻ってこないようにな。もしメジャーが合わなくて、インディーズの方が合うってなったらそれは否定しないけど、でも皆がメジャーで活躍してくれるのが、俺たち全員の望みだから」

「はい。期待に応えられるよう、これからも四人で精いっぱい頑張ります」

 神原がそう返事をすると、吉間は微笑んでいた。自分たちの役割を全うできて嬉しいというような笑みに、神原は心をくすぐられる。

 神原は与木たちに目配せをすると、四人で立ち上がった。「なんだなんだ?」と言いたげな吉間の表情を見てから、神原は小声で三人に「せーの」と声をかける。

『今までありがとうございました』

 特に打ち合わせはしていなくても、四人の声は自然と揃った。そのことが神原には勲章のように思える。

 一斉に頭を下げても、吉間はすぐに「頭を上げてくれ」とは言わなかった。神原たちとしても、ここまで自分たちの活動を支えてくれた吉間たちECNレコードには感謝してもしきれない。その想いを少しでも伝えられるのなら、どれだけ頭を下げていても構わなかった。

 吉間が四人に頭を上げるよう促す。顔を上げて神原が見た吉間の表情は、雲一つない青空のように晴れ渡っていた。

「ああ、こっちこそありがとうな。俺たちも皆に協力できて嬉しかったよ。でも、まだウチとの契約が切れたわけじゃないから。今年いっぱいは皆はECNレコード所属のバンドなんだし、年内にはまだライブが控えてる。俺や飯塚さんも見に行くから、皆と一緒にやってきてよかったって改めて思えるようなライブを見せてくれよ」

「はい!」神原たちははっきりと返事をする。言われなくても次のライブはECNレコードに所属した状態での最後のライブだ。今まで自分たちのために力を尽くしてくれた吉間たちに、報いるようなライブをしなければならない。

 そのことを、神原はさほど重荷には感じなかった。演奏を通じて吉間たちに感謝の想いを伝えることができる。その機会があることが、ありがたく思えていた。

 神原たちがサニーミュージックの事務所を訪れたのは、ECNレコードを最後に訪れてから三日後のことだった。

 サニーミュージックの事務所は、ECNレコードよりもずっと規模も知名度もある街の高層ビルに入っていたので、神原たちは事務所に入る前からメジャーとインディーズの違いを実感させられる。

 ビルの受付で入館証を渡され、エレベーターに乗って七階に行くと、サニーミュージックの事務所は透明なガラス扉の向こうにあった。

 神原たちが足を踏み入れると、ECNレコードの何倍も広い室内に多くの人間が働いているのが見える。一人一人の机は資料や書類で少し雑然としていたが、それでも高い天井と、三面の壁一面が窓ガラスとなった部屋は、圧迫感を少しも感じさせない。事務所と言うよりもオフィスと言った方が正しいのではないかと神原には思えるほどだ。

 入り口を入ったところで少し待っていると、すぐに岡崎が四人のもとにやってきた。「会議室に移動しましょうか」と言う岡崎はスーツを着ていて、社会人だと神原は当たり前のことを感じた。

 第二会議室に通された神原たちは、さっそく岡崎に署名した契約書類を提出する。岡崎はそれを受け取ると「では、これで契約は完了ですね。皆さん、これからよろしくお願いします」と言う。

 その言葉の響きに、神原は思わず姿勢を正した。他の三人も真剣な目をしている。

 自分たちが大きな一歩を踏み出したのを、神原たちはまざまざと感じさせられていた。

 とはいえ、契約書類を提出した当日に岡崎から話されることは、あまり多くなかった。

 いざ契約期間が始まるとなったら、自分とは別にマネージャーが四人につくこと。まだ時期も形態も決まっていないものの、なるべく早くにメジャーデビュー作を出したいと考えていること。そのために新曲をなるべく早く作ってきてほしいことなど、今分かっていることだけを神原たちに伝える。

 神原たちもじっと聞きながら、いよいよだと実感が高まっていく。

 自分たちの未来が一気に開けていくような。そんな感覚が神原にはしていた。

 神原たちは年末のライブに向けて練習をしながら、岡崎たちサニーミュージックの面々と連絡を取り合って、メジャーデビューへの準備を進めていく。

 まず決まったのはマネージャーだった。八千代(やちよ)と紹介されたその人物は、見た目では神原たちと同年代に見えたが、話を聞くと三〇歳手前らしい。

「これからよろしく」と差し出された名刺を、神原は失礼がない程度にじっと見つめる。ここに来年には自分たちのマネージャーとしての肩書きが加わるのだと思うと、少し不思議な思いがした。

 八千代からメジャーデビューの詳細を神原たちが知らされたのは、年内も終わりが見えてきて、インディーズ最後のライブが日に日に近づいてきた頃だった。来年の五月を目安に、ミニアルバムでデビューすることが決まったのだ。

 タイトルはもちろん何曲収録するかもこれから決めるとのことだったが、とうとう決定したメジャーデビューに、電話を受けた神原は溢れんばかりの喜びを感じる。レコーディングは二月の下旬に予定されているから、曲を新しく作る時間はあまりなかったが、それでも神原はやるしかないと思える。

 さっそく電話を受けた日の夜に、神原はギターを手にして曲を考え始めた。メジャーデビューの詳細が決まって気分がいいからか、その日のうちに一曲を原曲の形として完成させることができ、神原の気分はさらに引き上げられていた。

 神原たちが限られた回数の中で集中してバンド練習に取り組んでいると、ライブの日は瞬く間にやってきた。電車から降りた瞬間、刺すような冷たい空気が頬に触れ、吐く息も白くなっていたことに、神原は今さらながらに冬の訪れを思う。

 この日の会場は前回ライブを行った同じ下北沢の別のライブハウス、下北沢SKELTERだ。神原たちとしては少し苦い思い出のあるライブハウスだが、メジャーデビューが決まった今となっては、それも完全に過去の出来事のように思える。

 この日の出番は三組中の三組目。神原たちにとっては初めてのトリでの出番だ。演奏順はあまり関係ないとはいえ、自分たちの今までの活動が評価された気が神原にはする。ここまで活動を続けてきた自分たちへのご褒美のようだ。

 神原たちは少し遅めに、それでもリハーサルの時間にはしっかり間に合うようにライブハウスを訪れる。ステージでは二組目のバンドがリハーサルの準備をしている中、神原たちはオーナーやスタッフに挨拶する。

「メジャーデビュー決まったんだって? おめでとう」とオーナーに言われると、神原は思わずにやけてしまう。「ありがとうございます」と応えた声には、まるで締まりがなかった。

 いつも以上に良い調子でリハーサルを終えた神原たちは、開場時間まで数十分の空き時間を迎える。神原や与木が楽屋で携帯電話を見たり、少し話したりして時間を潰していると、楽屋には飯塚と吉間がやってきた。

 二人の登場に、神原たちは立ち上がる。園田と久倉は少し外に出ていることを伝えると、飯塚たちは少し困ったように、小さく笑っていた。

 今日のライブ期待してるよ。今の集大成を見せてね。そんなことを神原たちは飯塚たちから言われる。プレッシャーになるような言葉でも、神原は「はい!」と歯切れよく頷いた。与木の反応は少し悪かったけれど、三人は与木の性格を知っていたからさほど気にすることはない。

 神原は決意を新たにする。後で園田たちにも、飯塚たちが楽屋にやってきて励ましの言葉をかけてくれたことを伝えようと感じた。

 ライブは予定されていた時間通りに始まった。

 一組目のバンドはパンクロックを志向していて、幕開けからフロアが熱を帯びているのが、楽屋にいても神原には分かる。音楽を楽しんで盛り上がる雰囲気が早い時間帯から出来上がっていて、神原もすぐにステージで演奏したいと思える。

 観客の盛り上がりに呼応するように、ステージに立っているバンドの演奏の熱量も上がっていて、神原はこれを自分たちの出番まで維持できれば、またとない良いライブになるだろうと感じていた。

 ライブハウスに生まれた熱は、二組目のバンドになっても冷めなかった。

 二組目のバンドもスリーピースながら、奇をてらうことのないシンプルなロックンロールを演奏していて、神原としても胸がすく思いがする。ポップさと爽やかさのある曲たちを楽しむ余裕さえできるくらいだ。

 与木たちも緊張を感じていながら、それでも思い詰めたような表情はしていない。三人の顔は凛々しく引き締まっていて、少なくとも練習した通りの演奏はできるだろうと神原には思えた。

 二組目のバンドが演奏を終えると、入れ替わるように神原たちは舞台袖に向かった。転換作業中にBGMに混じって聞こえてくる話し声に、今日も少なくない数の観客が来ていると神原には分かる。きっと飯塚や吉間も、観客の中に混ざっているのだろう。

 でも、神原は二人のためだけに演奏するのではないと思える。もちろん二人に今まで一緒にやってきてよかったと思えるだけのライブは見せたいが、それでも今日自分たちが演奏するのは、ここに来てくれた観客全員のためだ。

 幸いフロアはここまでのバンドが作ってくれた熱を維持している。

 観客全員に満足してもらえるようなライブをしようと、神原は自然と思えた。


(続く)


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