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【小説】ロックバンドが止まらない(74)


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 ステージでの転換作業が終わると、間もなくしてフロアに流れていたBGMは止み、照明も落とされる。青く照らされるステージを全員が見つめる中で鳴り出したのは、神原たちの登場SEだった。

 その瞬間小さくても確かな歓声が上がり、神原たちの心の火を煽る。自分たちも楽しみにやってきた観客がいるという事実は、ステージに向かう神原たちの足取りを軽やかにさせた。

 四人は、神原を先頭にステージに登場する。鳴らされる拍手が、神原たちの気分をより引き上げていく。

 マイクの前についた神原はギターを構えると、改めて顔を上げた。今日の観客は七、八〇人ほどで前回のライブとほとんど変わらないように、神原には思える。フロアの後方に飯塚と吉間が並んで立っているのも、はっきりと見える。

 でも、神原が目を留めたのは、その隣だった。そこに佐川がいたのだ。事前に今日来るとは聞かされていなかったから、神原は一瞬驚いてしまう。でも、佐川は演奏が楽しみで仕方がないという顔をしていて、神原たちをそっと励ましている。

 だから、神原も右手を挙げて登場SEを止めると、一呼吸置いてギターを鳴らし出した。与木たちもそれに合流して、それだけでフロアの期待がより高まったことを神原は感じる。

 ギターを鳴らしながら「Chip Chop Camelです! よろしくお願いします!」と言うと、観客も拍手をしたり手を挙げたりして応えてくれる。

 これ以上ないほど演奏しやすい空気の中で、神原たちは久倉のカウントに合わせて、一曲目の演奏を始めた。

 前回のライブからはセットリストも変えて、今日は最新のアルバム「バンドCのために」の一曲目からのスタートだ。神原たちとしてもライブで一曲目に演奏することを考えながら作っていたから、ある意味既定路線とも言える。

「バンドCのために」が発売されてからもう二ヶ月が経っていて、その間に聴いてきてくれた人も何人もいるのだろう。フロアは一曲目から、まるでライブ終盤かのような盛り上がりを見せた。サビでは手を振り上げてくれる人も何人もいて、演奏している神原たちの気分も乗っていく。

 いきなりここまで盛り上がるのは、自分たちの前に演奏してくれた二組のバンドのおかげなのは間違いなくて、神原は演奏しながら感謝をせずにはいられない。

 このままライブが終わるまで、この熱量をキープして突っ走る。そうすれば今日関わってくれた全員にとって、良いライブイベントだったと思えるだろう。

 そんな使命感にも似た気持ちが、神原たちの演奏にさらに弾みをつけていた。

 一曲目に続いて二曲目でも、ライブハウスに生まれた熱量は落ちなかった。

 神原たちもこの曲はノリがよくて風通しの良い曲だと感じていたけれど、それを差し引いてもフロアの盛り上がりは特筆すべきものがある。多くの観客が自分たちに興味を持ってくれているのはもちろん、姿勢も前のめりになっているかのようで、自分たちの音楽が求められていると神原たちには思える。

 フロアの後方で見ている飯塚や吉間、佐川も澄んだ表情をしていて、ライブを楽しんでいるのがひしひしと伝わってくる。どうやら今の自分たちは、飯塚たちの満足がいくようなライブができているらしい。

 そのことが神原たちに自信を与え、演奏を続ける大きなエネルギーとなる。前向きな気持ちは演奏にも現れ、聴いている観客のテンションもさらに引き上げていった。

 神原たちはまず三曲、その次に小休止がてら短いライブMCを挟んでさらに二曲を演奏した。どの曲も観客の反応はすこぶる良く、神原たちは強く励まされる。演奏にもいい意味で力が入り、でも力みすぎることはない。もちろん緊張はあるが、今まで積んできた経験がちゃんと自分たちの力になっていると神原には思える。

 自分たちの演奏もフロアの状態もかなり理想的なものに近い。正直できすぎだった前回のライブにも、出来としては肉薄しているようだ。

 それは何度もライブをして、神原たちのパフォーマンスが底上げされているからに他ならなかった。

 五曲を演奏した神原たちに、暖かな拍手が送られる。神原にはその音量と温度が、フロアにいる全員が手を叩いているように感じられた。

 水を飲んだりチューニングを確認したりして落ち着いたところで、四人はライブMCを始める。いつもの通り、園田から一人ずつ今日やってきてくれた観客に挨拶をする。

 近況報告から今年一年を振り返る挨拶は三人ともがコンパクトにまとめていて、早くまた演奏がしたいと思っているようだ。神原としても、今フロアに帯びている熱を冷まさないうちに演奏を再開したい。

 だけれど、この日の神原には観客に伝えなければならないことがある。

 だから、「今日は来てくれてありがとうございます。こんなに多くの皆さんの前でライブができて僕も嬉しいです」と軽く挨拶をしてから、すぐに本題に入った。

「さて、今日は一つ皆さんにお知らせしたいことがあります」

 そう神原が言うと、フロアはかすかにざわめいた。良くない想像をしている観客もいるのかもしれない。

 だから、神原は「そんなことはない」と言うように、にこやかに微笑んだ。

「僕たちChip Chop Camelはサニーミュージックさんと契約して、来年からサニーミュージック所属のバンドとなることが決まりました!」

 誰かが言葉にしたわけではない。でも、フロアにどよめくような空気が生まれたのを、神原は確かに感じた。

 フロアの後方から拍手が聞こえる。それは佐川がしたもので、拍手はフロア中に伝播していき神原たちを優しく祝う。

 それだけで神原は胸がいっぱいになった。

「ありがとうございます! それに伴って僕たちChip Chop Camelのメジャーデビューも決まりました! まだ発売日や収録曲などの詳細は決まっていませんが、それでもメジャーデビューができること、とても嬉しくありがたく感じています!」

 神原が喜びを述べると、フロアには再び拍手が巻き起こった。今度は誰が先導するでもない、自然発生的な拍手だ。

 もちろん佐川を筆頭に、飯塚や吉間も手を叩いてくれている。その光景を目の当たりにして、神原の胸は嬉しさで大きく膨らんだ。

「ありがとうございます。でも、僕たちだけの力ではこのタイミングでのメジャーデビューはできなかったと思っています。僕たちのインディーズでの活動を支えてくれたECNレコードの力は間違いなく大きくて。それは感謝してもしきれません。実は今日ここにもECNレコードの方は来てくださっているんですけど、改めて感謝の言葉を伝えたいと思います。本当にありがとうございました!」

 小さく頭を下げた神原に、園田たちもマイクを通した声で「ありがとうございました!」と続く。

 フロアにはレーベルの人間はどこにいるのか探すように、少し顔をキョロキョロさせている人もいたが、それでも概ねの人は拍手をしてくれている。それは神原たちよりも飯塚や吉間といったECNレコードの人間に送られた拍手で、そのことが神原にはとても誇らしい。

 飯塚や吉間たちの努力や頑張りがこうして評価されていることに、神原は少しは自分たちにかけてくれた労力に報いることができたのかなと思う。

「インディーズからメジャーへ活動のフィールドを移しますが、僕たちのやることは変わりません。良い曲を作って、それをシングルやアルバムの形にしてリリースして、こうして皆さんとライブハウスで顔を合わせて、楽しい時間を共有する。それがバンド活動の全てだと僕は思っていますし、そのことをずっと続けていたいなと今は思っています。改めてこれからも僕たちChip Chop Camelをよろしくお願いします!」

 フロアからは再び拍手が飛び、今日の観客が一人残らず素晴らしい人たちの集まりだと、神原は掛け値なしに思う。

 四人で拍手を存分に受けてから、それも収まったところで神原は「じゃあ、次の曲やります! 『サーチライト・シティにて』!」と高らかに宣言する。そして、久倉がカウントを刻んだのを皮切りに、神原たちは演奏を再開させた。

 この曲も「バンドCのために」の収録曲でリリースしてからは比較的日が浅いものの、多くの観客が身体を揺らしてリズムに乗ってくれていた。

 文句なしに音楽を楽しんでいる雰囲気に、神原たちの演奏にもさらなる躍動感が生まれていく。ここまで演奏を続けている疲れも、神原は全然感じていなかった。

 あと三曲でライブが終わってしまうのが惜しい。そう感じるからこそ、悔いを残さないように神原はありったけの力を歌声と演奏に込めた。


(続く)


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