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【小説】ロックバンドが止まらない(75)


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 ライブは神原たちが期待していた以上の熱量を保ったまま終わっていた。

 七曲目にバラード調の曲を演奏したときは、当然観客の熱も落ち着いたけれど、それでも多くの人が自分たちの曲を集中して聴いてくれていることが神原には分かって、自分たちは観客を曲の世界に引き込めていたのかもしれないと思えた。

 そして、最後の八曲目として神原たちが演奏したのは、現時点での自分たちの一番の代表曲だという自負がある「FIRST FRIEND」だった。CDとは違って神原の弾き語りから始まるライブアレンジを施した曲は、観客のウケも抜群だった。

 フロアは既に二組のライブを見ているとは思えないほどの、新鮮な盛り上がりを見せていて、神原たちの演奏にもラストスパートのごとく熱が入っていく。神原も音を外さない程度に声を張り上げる。

 駆け抜けるような演奏が終わった後、神原たちに送られた拍手は人数分以上の大きさで、それは自分たちのバンドを組んでからの今までの時間の全てを肯定しているかのように、神原には感じられた。

 打ち上げの席でも、神原たちは何度も声をかけられていた。吉間や飯塚もこの日は打ち上げにやってきてくれて、改めて「契約おめでとう」「これからも頑張れよ」と言ってくれる。

 これで飯塚たちとももう会う機会がなくなってしまうと思うと、神原は胸にこみ上げてくるものを感じる。「ECNレコードに所属できてよかったです」という返事は、間違いなく本心から出たものだった。

 飯塚たちも顔を綻ばせている。その表情に、神原は今日のライブで少しでも飯塚たちに報いることができたのかなと思った。

 あまり面識のない他のバンドのメンバーからも「おめでとう」と声をかけられて、神原はますます気分をよくする。決して高級ではない居酒屋のビールや料理も、格段に美味しく感じられる。

 そのときだった。神原の携帯電話が一通のメールを受信したのは。

 確認してみるとメールを送ってきたのは佐川で、「今、打ち上げ中だよね。ちょっと外出れる?」とシンプルな文面が書かれている。きっと佐川はこの寒い中、店の外にいるのだろう。

 打ち上げに参加しているメンバーに軽く断りを入れてから、神原は座敷席を立つ。

 そして、外に出るとまず冷たい空気が神原をぶった。店前に佐川がいることに、神原はすぐに気づく。佐川の横顔は、最後に会ったときと何も変わっていなかった。

「神原君、久しぶり」

 佐川の声を聞いただけで、神原はほっとする気持ちに包まれた。佐川がバンドを解散してからずっと、自分は佐川に会いたかったのだと改めて気づかされる。

「はい。佐川さんもお久しぶりです。あの、ここじゃ寒いんで中入りませんか?」

「いいよいいよ。だって今日の俺はただの観客だもん。打ち上げに混じるべきじゃないよ」

 そう遠慮する佐川に、神原は無理強いはしなかった。たとえ寒くても、ここは佐川の望むようにすべきだろうと感じた。

「改めてだけど、今日はお疲れ様。ライブ、とても良かったよ」

「は、はい。ありがとうございます」

「言っとくけど、これお世辞とかじゃないからね。本心だから。四人とも俺が最後に見たときよりも演奏も上手くなってたし、バンドとしての練度も上がってた。着実に活動を積み重ねてきたんだって嬉しかったし、感慨深かった。新曲も良い曲だったし、本当に素晴らしいライブだったと思うよ」

「ありがとうございます。佐川さんにそこまで言っていただけると嬉しいです」

「うん。俺もさ今日来る前に『バンドCのために』聴いてきたんだけどさ、本当全曲良くて名盤だなって思った。もう六回は聴いてるぐらい、大好きなアルバムだよ。これを維持できれば、メジャーに行っても何の問題もないなって思えた」

「って、メジャーに行けなかった俺が言っても説得力ないんだけどね」言葉の最後にわずかに自嘲を含ませた佐川に、神原の口からは思わず「そんなことないですよ」という声が出る。佐川にそんな自虐めいたことは言ってほしくなかった。

「僕は今でもモントリオールを目標にしてますよ。佐川さんたちみたいなライブがしたいって思ってますよ。レコード会社と契約できたからと言って、佐川さんたちに追いつけたとは全然思ってないですから」

「自己評価低いなぁ。神原君たちはもうとっくに、昔の俺たちを追い越してるよ。だって、メジャーデビューも決まってるんでしょ? それは俺たちがどれだけあがいてもできなかったことだから。純粋に羨ましいよ」

「佐川さん。こんなこと僕が言うのもなんですけど、メジャーとインディーズに上下関係や優劣なんてないじゃないですか。インディーズにだってメジャーにいてもおかしくないようなバンドは何組もいますし、僕は佐川さんたちもそのうちの一組だったと思ってます。メジャーとインディーズは、ただ違うってだけなんじゃないでしょうか」

「確かに神原君の言う通りだね。メジャーが優れててインディーズが劣ってるなんて、そんなわけないもんね。自己評価低いのは俺の方だったわ。神原君が今もかつての俺たちに憧れてくれてることは、ちょっと複雑な思いがしないでもないけど、でも嬉しいことには違いないよ」

 佐川の口調や表情に自虐めいた色は、神原からはもう見えなかった。自分たちと神原たちを比べて気に病むことをやめたことに、神原は安堵する。音楽そのものは、メジャーでもインディーズでも変わらず価値があるものだ。

「でもさ、まあこの話の流れで言うのもなんだけど、神原君。改めてメジャーデビューおめでとう」

 佐川は、はっきりと神原の目を見て言っていた。だから、神原は嬉しさで舞い上がってしまいそうになる。少し照れくささもある。でも、口にした「ありがとうございます」という返事には、自然と万感の思いがこもっていた。

「うん。俺もまるで自分のことのように嬉しいよ。なんかこうやって話してると、初めて会ったときのことを思い出すよね」

「そうですね。佐川さんたちと初めて共演したときは、僕たちはまだ高校生でしたから」

「そうだったね。正直、演奏は今よりもかなり粗削りで悪い言い方をすれば未熟だったんだけど、でも曲には光るものがあったから。それがこうして評価されるなんて、俺の耳に狂いはなかったってことだね」

「はい。佐川さんたちには本当にお世話になりました。何度もライブで共演させていただいて、その度に自分たちももっとこうしたらいいんじゃないかって勉強になりました。ライブハウスの外でも色々と相談に乗っていただいて。佐川さんたちがいなかったら、今の僕たちはいないと思います」

「少し大げさな気もするけどありがと。確かあれは二枚目のミニアルバムのときだったっけ? 曲のアレンジが決まらないって、神原君が俺に相談してきたのは」

「はい。あのときは相談に乗っていただいてありがとうございました。佐川さんの助言があったおかげで、より良いアレンジになりましたし、本当に感謝しています」

「そんな。俺はただアドバイスしただけだよ。アレンジを考えたのは他でもない神原君たちだったんだから。もっと胸を張っていいと思うな」

「そうですね。佐川さんたちが僕たちのCDを聴いてくれること、そして好きと言ってくれること、本当に大きな励みになってました。また次の作品を作ろうってとても大きなエネルギーになってました」

「そんな。俺はただ純粋に好きだから言ってただけだよ。でも、それが神原君たちの励みになってたら、言ってよかったなって思うよ」

「はい。僕たちも佐川さんたちの作品を聴いて色々参考にさせてもらっていましたから、お互い様ですね」

「そうだね。でも、ごめんね。あんなところで解散しちゃって。神原君だってもっと俺たちの曲やライブ、聴いてたかったよね?」

「それは正直そうでしたけれど、でも僕は佐川さんたちが解散を選んだことを悪く言うつもりは、少しもありません。だって、佐川さんたちが何度も話し合って決めたことだったんですから。それは尊重したいなという思いは、今も変わってないです」

「そっか。俺さ、神原君たちや他のバンドを置いて、自分たちだけが解散することに引け目を感じてたんだ。自分たちで決めたこととはいえ、神原君たちをはじめとした他の頑張ってるバンドに失礼なんじゃないかって」

「いえ、そんなこと全然思ってないです。バンドは続けるのもやめるのも本人たちの自由だと、僕は今は思ってますから。まあそう思えるようになるまでには少し時間がかかりましたけど」

「ありがと。そう言ってくれると少し救われる気がするよ。俺もさ、なかなかライブには行けなかったけど、神原君たちの活動は常にチェックしてたから。『バンドCのために』も発売日に買いに行ったしね。レコード会社と契約できたこともそうだけど、神原君たちが今日までバンドを続けてきてくれたことが、俺は何より嬉しいよ」

「ありがとうございます。でも、僕たちは僕たちがやりたいからバンドを続けてるだけですから。佐川さん最後に会ったときに言ってましたよね。『俺たちの分までとか思わなくていい』って。だから、もちろん聴いてくれる人のためもありますけど、僕たちはまず僕たちのために今日までバンドを続けてきました」

「うん、それでいいと思うよ。それが一番健全なバンドのあり方だと思う。でも、神原君分かってるよね? 今日がゴールじゃないってことは」

「はい、もちろんです。今日はまた新しいスタートだってことは重々承知しているつもりです。僕たちはまだまだバンドをやりたいですから。これからも曲をどんどん作っていって、ライブもバンバンしたいです。そのためにはいくらレコード会社と契約したからとはいえ、そういう環境を自分たちで作っていかなきゃですね」

「うん、分かってんじゃん。俺もこれからの神原君たちの活躍を、ファンの一人として応援してるよ。それでさ、また気が向いたらライブに行っていいかな?」

「もちろんです。いつでも来てください。いつ、どんなときでも僕たちはライブハウスで待ってますから」

「そうだね。じゃあ、都合のついたときにでもまた行かせてもらうよ」

「はい。ぜひ」

 二人は微笑み合う。寒さなんてまるで感じていないかのような暖かな笑みに、神原も感慨深い思いを抱く。こうして佐川と二人で話せていることがまるで夢のようにも、ここまで頑張ってきた自分へのご褒美のようにも感じられる。冷たい空気に身をかがめながらでも、まだいくらでも佐川と話せていられそうだ。

 でも、神原のズボンのポケットの中で、携帯電話が振動する。その音は佐川にも聞こえていたようで、「そろそろ中戻ったら? ここじゃやっぱ寒いでしょ」と言われる。

 いくらまだ話していたくても、寒さは現実として神原を苛んでいたから、神原も「じゃあ、お言葉に甘えて」と応えた。

 別に今日で佐川とのつながりが途切れてしまうわけではない。たとえライブハウスで会えなくても、お互いにまだ携帯電話の番号やメールアドレスは把握している。その気になれば、いつでも連絡することができるだろう。

 だから、神原はキリがいいタイミングで「佐川さん、改めてですけど今日はありがとうございました」と口にする。佐川も「うん、こっちこそありがとう。これからも頑張ってね」と笑顔で応えている。その表情を、神原は目に焼きつけた。

「じゃあ、また」「うん、またね」そんな短い言葉を交わし、神原は店内に戻る。

 与木たちや飯塚たちに暖かく迎え入れられて、神原はこのバンド、Chip Chop Camelこそが自分の居場所だという思いを新たにしていた。


(続く)


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