【小説】ロックバンドが止まらない(60)
ステージの転換中に鳴っていたBGMは止み、フロアの照明は三度落とされる。神原の耳に聴こえてきたのは、これまでにも何度も聴いている佐川たちの登場SEだ。テンポが速く風通しがいい洋楽が耳に馴染む。
赤い照明に照らされたステージに佐川たちが登場すると、フロアには歓声が起こった。佐川たちのバンドは今日出演する三組の中では一番知名度も人気もある。佐川たちを目当てに来た観客も多いことだろう。
拍手と歓声を浴びながら、佐川たちはそれでも微笑んではいなかった。真剣な表情は、きっとライブに集中している証だ。
だから、神原は深く気にかけることはしなかったし、そんなつまらない思いは登場SEが止んで佐川たちが演奏を始めた瞬間に、どこかに吹き飛んだ。
佐川たちの演奏は、今日も冴え渡っていた。
ドラムが疾走感のあるビートを叩き、ベースがそれに合わせつつしっかりと土台を固める。鋭いギターに溢れんばかりの熱量を乗せたボーカル。その全てが完璧と思えるほどのアンサンブルを形作っていて、神原は圧倒される。
明らかに自分たちよりも一つ上の次元にいて、でも壁を感じることはまったくなく純粋に音楽に乗ることができる。三人だけとは思えない音の圧に、酔いしれるようだ。
フロアも一曲目から大いに盛り上がっていて、早くも手を振り上げている観客さえ見られる。きっとそれは素晴らしい曲の数々と、佐川たちが積み上げてきた経験値が合わさってなせる業だろう。
間違いなく自分たちが目指すべき演奏に、神原はすっかり当てられていた。この後の物販のことを含めた色々なことも今だけは忘れて、音楽を楽しむことができる。
チケット代を払うことなくこんなに良いライブを見られる特権を、神原はつくづくありがたいと感じた。
佐川たちはライブMCもそこそこに、立て続けに六曲を演奏し続ける。
畳みかけるように演奏された曲たちは、どれも観客のボルテージを大いに上げていた。フロアには熱狂と形容してもいいような熱量が生まれ、ライブの本懐を神原たちにも大いに味わせる。
とどまることを知らないかのようなライブは、佐川たちがまた進化していると神原に思わせるには十分だった。持ち時間があるのが惜しいとすら感じる。
このままいくらでも佐川たちの曲を聴いていたい。神原は自分だけじゃなく、フロア全体がそう思っていることを肌で感じた。
「今日は来てくれてありがとうございます! 改めてモントリオールです!」
六曲を一気に演奏してから、佐川たちはライブMCに入っていた。ここまでの演奏で確かな盛り上がりを見せていたフロアの雰囲気そのままに、観客からは拍手が送られる。
同じように手を叩くと、神原はライブハウスにいる全ての人間が一体化しているような感覚を抱いた。
「いやー、やっぱりライブは良いですね。地味な曲作りの過程も日々の地道な練習も、こうしてライブハウスで皆さんの前で演奏していると、全てが報われていくかのようです。でも、きっとそれは皆さんも同じはずで。大変な仕事や学校に押しつぶされそうになる日々をどうにか乗り切って、ここに来てくれてるんですよね。だから、もうあと少しになっちゃいましたけど、今日は目いっぱい楽しんでいってください」
フロアから再び拍手が飛ぶ。佐川たちは、観客の心を掴んで放してはいなかった。神原も次に演奏される曲が楽しみで仕方がない。
だけれど、佐川たちはすぐには演奏に入らなかった。ステージの上からフロアの様子を眺めている。
でも、それは少しも不自然ではなくて、今日のライブに感慨深い思いを抱いているのだろうと思うと、神原にも簡単に納得できていた。
「それと、次の曲に入る前に僕たちから一つ、皆さんにお知らせがあります」
改まったように口にした佐川に、神原は良い想像しか浮かばなかった。
前作のアルバムが発売されてからはもう半年以上経っているから、そろそろ次のアルバムの発売が決まったのか。それとも何かしらのライブやイベントに出演が決まったのか。もしかしたら満を持してのメジャーデビューかもしれない。
他の観客も同じように期待を抱いていることを、神原はフロアの雰囲気から感じとる。良い報告に違いないと、誰もが信じているかのようだった。
「僕たちモントリオールは、この度解散することになりました」
そう言った佐川は、どこか一点を見てはいなかった。フロア全体に向けられたような視線に、神原は口にされたことが間違いなく現実だと思い知る。
だけれど、すぐに受け入れることはできない。胸の中は佐川が何を言ったのか、訊き返したい思いでいっぱいだったし、それは他の観客も同様のようだった。フロアにかすかに戸惑いからくるどよめきが起こっている。
うまくいっていたイベントの流れを断ち切るかのような佐川の発表は、氷水に入れたかのように室内の熱気を一気に冷ましていた。
「念のため言っておきますと、僕らは誰かに言われて解散するわけではありません。もうバンドを続けられないほどの大喧嘩をしたわけでもありません。ですが、三人で何度も話し合った結果、モントリオールとしてはここでピリオドを打つのが最善だろうと、そういった結論に至りました」
佐川がそう補足しても、フロアに生じた戸惑いは少しも軽減されることはなかった。
余計になぜ? という思いが神原の中で膨らむ。頭は混乱していて、怒りや失望を覚える段階までまだ達していなかった。
「ですが、今日のライブが終わって即解散するというわけではありません。一二月の二八日。僕たちモントリオールは、ここ下北沢SKELTERでワンマンライブを開催します。それが僕たちの最後のライブになるので、年末で忙しいとは思いますが、来てくれたら嬉しいです。今まで培ってきたものの全てを出し切ります」
今日が最後ではないことを知って、観客たちはほんの少しだけれど安堵したようだ。神原も同じようにホッとしている部分がある。
でも、それでも佐川たちが近いうちに解散するという事実は変わらない。覆すことは自分たち部外者には、限りなく不可能に近いだろう。
神原は相変わらずこのライブが終わってほしくないと感じていたが、それは数分前とは意味がまるで異なっていた。佐川たちの演奏を聴ける機会が一つ減ってしまうことが、とても口惜しく感じられてしまう。
どうしたら佐川たちに解散を撤回してもらえるだろうか。神原の頭はそのことばかりを考えていた。
「僕たちからのお知らせは以上です。じゃあ、こう言った後で何なんですけど、最後の最後まで楽しんでいきましょう!」
そう佐川が宣言すると、ほとんど間を置かずにドラムがフォーカウントとともにシンバルを鳴らす。そして、佐川たちは一斉に次の曲の演奏を始めた。
神原が見ている限りでは、毎回ライブで演奏している佐川たちの代表曲の一つだ。疾走感のある演奏はどこにも不備は見られなくて、解散を発表する前と何も変わっていない。
でも、フロアの雰囲気は明らかに変わっていた。曲が始まっても、ざわついた感触はすぐに切り替わることはなく、多くの観客が音楽に乗るどころではないみたいだ。それまでは多く挙がっていた手が、サビになってもほとんど挙がっていない。分かりやすく反応は鈍くなっていたし、神原だって曲が全然入ってこない。
でも、それも佐川たちは織り込み済みかというように、駆け抜けるかのような演奏を続けていた。まるで今のライブMCがなかったかのように。
その普段通りの演奏が、かえって神原の心を抉っていた。
結局ライブが終わるまで、佐川たちが解散を発表する前の盛り上がりは戻らなかった。観客は少しずつまた音楽に乗り始めてはいたものの、フロアに流れるどこか気まずい空気は拭えない。
それはライブが終わった後も同様で、フロアには何が起こったのかという困惑がまとわりつく。
神原たちや二組目のバンドのライブは、佐川たちにいい意味でも悪い意味でもすっかり上書きされてしまっていて、神原は見当違いだと分かっていても、少し恨めしい思いを抱いてしまう。
でも、当然それを佐川に直接ぶつけることもできず、神原は悶々とした思いを抱えたまま、物販に臨んだ。自分たちのCDやグッズの売れ行きはいいとは言えなかったけれど、それも今日はある程度は仕方ないことだと思える。
それよりも、隣に立つ佐川だ。あんなことを言ったにもかかわらず、佐川は実に飄々とした表情で、物販コーナーに立っていた。何人かの観客から「本当に解散するんですか?」「解散しないでください」と言われても、表情を大きく変えずに、そつのない答えを返している。
それは神原に、解散はもう決定事項なのだと改めて突きつけるには、十分すぎるほどだった。
「あ、あの、佐川さん。今日はお疲れ様でした」
神原がビールジョッキ片手に佐川の隣に座ったのは、打ち上げが始まって一時間ほどが経った頃だった。佐川たちは他のバンドのメンバーや園田たちから質問攻めに遭っていて、なかなか解放されなかったのだ。
「うん。神原君たちもお疲れ」と佐川が応えて、二人は軽くビールジョッキを突き合わせる。まだ数えるほどしか呑んだことがないビールが、神原には余計に苦く感じられた。
「良かったよー、神原君。今日のライブ。しばらく見ない間にめっちゃ成長してて驚いちゃった。演奏も着実にうまくなってるし、グルーヴ感が段違いでさ。やっぱ今が伸び時なバンドなだけあるね」
佐川は改めて、好意的な感想を伝えることから会話を始めていた。佐川はアドバイスをするときにだってまず、褒めることから始めてくれる。
でも、「ありがとうございます」と言いながら、神原は内心では釈然としていなかった。自分たちの出番が終わった直後に楽屋で同じようなことを言われたときは素直に嬉しかったのに、今は受ける印象がまるで異なってしまっている。
「佐川さんたちのライブも良かったです」と言ってみても、それはとってつけたような意味しか持っていなかった。
「うん、ありがと。でも、ごめんね。なんか変な感じでライブ終わらせちゃって。俺もあそこまで気まずい雰囲気になるとは思ってなかったから。神原君たちのライブの印象を奪うような真似して、悪かったなと思ってるよ」
そう謝ってくる佐川に、神原は「いえいえ」と言っていたけれど、それは本当に口先だけにすぎなかった。
そう思っているのなら、どうしてあんなことを言ったのか。あれさえなければ今日のイベントは成功に終わっていたというのに。
神原の中で想いが膨らむ。口にして訊こうかどうか迷う。
でも、確かに回っているアルコールは、頭のブレーキを着実に緩めていた。
「あの」とだけ神原は発する。佐川は「何?」と反応していたけれど、何を言われるかはもう分かっているようだった。
「本当に解散しちゃうんですか?」
(続く)
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