見出し画像

【小説】ロックバンドが止まらない(59)



前回:【小説】ロックバンドが止まらない(58)





「神原君、改めて久しぶり。前会ったのが確か五月ぐらいだったから、大体半年ぶりだよね」

 リハーサルを終えた佐川はすぐにフロアに戻ってきて、神原に話しかけていた。柔らかな表情に、神原も変に強張ることなく応えられる。

 開場まではまだ一時間ほどあり、与木や他のバンドのメンバーも外に出たり、楽屋で休んだりしていて、フロアには神原たち以外には片手で数えられるほどの人しかいなかった。

「そうですね。あの、その節はたいへんお世話になりました」

「いいよいいよ。俺はただバンドの先輩として、アドバイスをしただけだったから。で、どうなったの? その後、その曲は」

「はい。色々考えたんですけど、やっぱり再レコーディングが必要だと思って。メンバーやレーベルの人にも頼みこんで、どうにか新しい演奏で再レコーディングをすることができました」

「そうだったんだ。うまくいった?」

「ええ。おかげで満足できる曲になりました。佐川さんのアドバイスがなかったら、僕は納得しないまま発売日を迎えていたかもしれないので。あのとき、佐川さんがああ言ってくれたことには、本当に感謝しています」

「まあ、俺はただ部外者の立場から口を出しただけだけどね。でも、神原君たちが満足できるような作品になって良かったと思うよ。実際、俺もさ『FIGHT TERROR RHYMES』は聴いたときに良いアルバムだなって思ったもん」

「本当ですか?」

「本当、本当。お世辞とかリップサービスじゃないよ。前のアルバムよりも明らかに洗練されていて、でも込められた熱量はそのままで、ちゃんと正しく成長してるんだな、進化してるんだなって思ったもん。聴いててちょっと嫉妬しちゃったぐらい」

 佐川からの評価は神原には少し大げさにも思えたけれど、それでも言葉通り受け取った。自分たちが新譜を作るためにかけた頭や時間は、それくらいの言葉でないと報われないだろう。

「ありがとうございます。佐川さんにそう言っていただけて嬉しいです」

「うん。俺もさ、神原君たちのファンみたいなところあるから。今日のライブも期待してるよ。お互いに良いライブをして、このイベントを成功させようね」

「はい!」思わず声が弾む。佐川の「期待してる」という言葉を、神原はもうプレッシャーだとは感じなくなっていた。ファンと言ってくれたことも、掛け値なしに嬉しい。今日のライブにも理想的な状態で臨めそうだ。

「ところでさ、あれどうなったの?」

 話を変えた佐川は、ほんの少しだけ神妙な面持ちをしていた。「あれ」という言葉が何を指すのか、神原にはいまいちピンと来ず、「『あれ』ってなんですか?」と訊き返す。

「いや、新譜に売り上げのノルマが課せられてるって前、神原君言ってたじゃん。確か一ヶ月で五〇枚だったっけ? あれ、達成できたの?」

 曲作りに悩んでいるときに、ノルマの話は神原も佐川にしていた。だから、佐川がそう訊いてくるのも自然なことだろう。

 神原は、できる限り表情を明るくした。続く言葉が必要ないほどに。

「はい! ちゃんと期間内に達成することができました! これで無条件にクビを切られることはなさそうで、とりあえず今はすごくホッとしてます!」

「そっか。それはよかったね。俺も自分のことみたいに嬉しいよ。実際、ここで神原君たちが契約を切られちゃったら、それこそ理不尽な話だからね。神原君たちにはまだ大きな伸びしろがあるんだから」

 その言葉を、神原はありのまま受け入れた。佐川が言うからには、自分たちの伸びしろや可能性をもっと信じるべきだと思える。自分たちは、まだまだこれからのバンドなのだ。販売ノルマの達成が、ゴールではない。

「ありがとうございます! でも、アルバムを完成させることができたのは、佐川さんからアドバイスをいただいたり、対バンでライブの機会を作ってくれたりしたことも大きいので。本当に言葉にできないほど感謝してます」

「ありがとね。でもさ、やっぱり神原君たちもバンドなんだから感謝の思いは言葉よりも、ライブや演奏で示してくれないと。今日も良いライブしてくれるんだよね?」

「もちろんです。精いっぱい頑張ります」

「そうだね。俺も思えば、神原君たちのライブを見るのは久しぶりだから。どれだけ成長したか期待してるよ」

「はい。僕たちも佐川さんたちのライブ、楽しみにしてます。きっと今日も良いライブをしてくれるんだろうなって、信頼してますから」

 神原としては、偽らざる思いを伝えたはずだった。

 なのに、佐川は本当に一瞬だけだったけれど、顔を引きつらせていた。それは瞬きほどに短い間で、すぐに穏やかな表情に戻っていたけれど、神原としては今見た表情を見なかったことにすることはできない。何か気がかりなことがあるのだろうか。

 そうは思っても「ありがとね。俺たちもその信頼に応えられるように頑張るよ」と、微笑みながら答える佐川を目の当たりにすると、神原は口に出すことは憚られる。「はい!」と、元気な返事をする。

 それからも神原は佐川としばらく話した。だけれど、このときの神原は佐川の表情に覗くわずかな憂鬱を、見抜くことはできていなかった。

 フロアに耳馴染みのある音楽が流れる。神原たちがもう幾度も聴いてきている登場SEだ。

 当然緊張は感じているし、それはこの段階でも増していく一方だが、それでも神原たちは意を決してステージへの一歩を踏み出す。

 四人が登場したとき、やはり歓声は起きなかった。でも、それは神原もある程度予期していたことだ。自分たちは今日のトップバッターだ。良いライブをしてフロアを温める、盛り上げることが一番の役割だろう。

 神原はギターを構えると、一度フロアを見回した。ざっと見た感じでは、今まで自分たちが出演したイベントの中でも、一番人が集まっている。

 それは自分たちの他の二組を目当てに来た観客かもしれなかったけれど、神原にはそれでも構わなかった。今日のライブを通して、誰か一人でもいいから自分たちのことを知って、ファンになってくれればいい。

 そう前向きに捉えられたのも、ライブ前に佐川から褒められたことが、神原の中では大きかった。

 登場SEを止めて、一瞬の静寂を感じた後に、神原たちは神原のギターを皮切りに演奏を始めた。

「FIGHT TERROR RHYMES」に収録されているこの曲は、以前にもライブで披露してウケがよかった曲だ。明るい曲調に、神原たちも軽やかに楽しんで演奏することができる。

 そんな神原たちの弾んだ思いが、フロアにも伝わったのだろう。リズムに合わせて身体を揺らすといった反応を示してくれる観客も何人もいて、自分たちの曲が少しずつでも着実に知られていっていることを神原は感じる。歌や演奏にもハリが増して、いいスタートが切れていると思わずにはいられない。

 一回目のサビよりも二回目のサビの方が観客の反応も大きくて、それは神原たちがしっかりと観客に受け入れられていることの証に他ならなかった。

 神原たちはライブを続けていく。今までリリースした二枚のミニアルバムの収録曲を中心としたセットリストは、観客にも好意的に受け入れられていた。

 というかこの日の観客は全体的に、今まででも一番反応が良いように神原には思える。ここにいる全員が自分たちのアルバムを二枚とも聴いてくれているとは思えないから、元々明るい気質の人が多いのか、それともよほど音楽が好きなのか。

 どちらにしても曲を披露する度に、目に見える形でリアクションを返してくれることは、神原たちにとってもやりやすい。

 自分たちは相変わらず調子の良いライブができているし、このまま最後まで駆け抜けられたら、ライブ後の物販にも期待が持てそうだと、神原はひそかに感じていた。

 三組でのイベントとなれば、当然四組でのイベントよりも一組あたりの持ち時間は増える。だから、神原たちも前回のライブよりも多くの曲を演奏できていた。

 テンポが速めの盛り上がる曲を軸に、ミドルテンポの曲やバラードもバランスよく入れこんでいく。

 そして、その中には「波になりたい」もあった。完成形に至るまで時間がかかったこの曲を、神原たちは観客に向けてだけではなく、楽屋に控えている佐川たちにも向けて演奏する。

 この曲が完成したのは、佐川のアドバイスによるところがやはり大きい。佐川はこの曲がそうだとは知らないだろうが、それでも佐川たちと共演する今日、この曲は絶対に演奏したいと神原は思っていた。

 こんな曲になりましたよと、演奏で伝える。実際、観客の反応も大きく、ライブハウスは小さな盛り上がりを見せている。

 この雰囲気はきっと、楽屋にいる佐川たちにも伝わっていることだろう。この曲を演奏できることは、神原にとって喜びでしかなかった。

 神原たちのライブは、高いテンションをキープしたまま終わりを迎えていた。ライブが進むにつれて観客の熱量も上がっていって、最後の曲ではこのライブでも一番の盛り上がりを見せていた。

 全員が自分たちの味方みたいな雰囲気に、ステージを降りた神原は達成感を抱く。自分たちが今持てる力を十分に発揮できたこともそうだし、いい状態で後の二組にバトンを繋げられたことは、神原にとっても嬉しい。

 実際、楽屋に戻ると佐川をはじめとした他のバンドのメンバーは、口々に好意的な感想を神原たちにかけてくれていて、神原は頬が緩む。

 自分たちを認めてくれていることは、神原たちにこれからの活動に向かうエネルギーを与えていた。

 二組目のバンドも、神原が素直に良いと思える曲を演奏して、フロアの熱量をさらにもう一段階高めていた。飽き飽きする瞬間は一瞬もなく、ここまではかなり理想的にイベントが進んでいると感じられる。

 次の三組目に出る佐川たちのバンド・モントリオールも着実にキャリアを積んできているから、何の心配もいらないだろう。

 神原は一リスナーのように、佐川たちのライブを楽しみにしていた。佐川たちの演奏をまたライブハウスで聴けることに、期待しか抱いていなかった。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(60)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?