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【小説】ロックバンドが止まらない(61)


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「本当に解散しちゃうんですか?」

 ブレーキは緩んでいたとしても、そう訊くことは神原には思い切りが必要だった。もう何度も他のバンドのメンバーが同じ質問をするのを聞いていたから、答えは見えているというのに。

「うん、するよ」

 そう答えた佐川は、まるで何のためらいも迷いもしていないかのようだった。もう何度も耳にした答えも、改めて自分に向けられたものを聞くと、覆せない現実として確定したように神原には思われる。

 でも、信じられないという気持ちは、まだ神原にも残っていた。

「どうしてですか?」

 神原が続けて訊くと、佐川は少し考え込むかのような素振りを見せる。どう説明したらいいのか、言葉を選んでいるようだった。

「別にメンバーと喧嘩や仲違いをしたわけじゃないよ。今でも良好な関係を築けてると少なくとも俺は思ってるし、それは神原君だって感じてるでしょ」

 神原は小さく頷きかける。確かに佐川たちは楽屋でも普通に話していたし、バンドの雰囲気が険悪ならば、それは演奏に如実に表れてしまう。

 でも、今日の佐川たちの演奏からはそういった感じは少しもしなかった。

 だからといって、神原はやはり納得できない。

「じゃあ、なんでですか? 解散する理由なんてないじゃないですか」

「うん、確かに解散する明確な理由はないね。でも、苦労してまでバンドを続けていく理由もないと思ったんだ」

「……どういうことですか?」

「まあ、端的に言うとこのままモントリオールを続けても、先はないってことだね。俺たちもう何年もインディーズでやってきて、最近はずっと同じところで足踏みしてる感覚があったんだ。頑張ってもライブをしても、一向に前に進めてないっていうか。それが俺には辛くて。こんな思いしてまでバンド続ける意味ってあるのかなって、思っちゃったんだ」

「そんな。意味はありますよ」

「じゃあ、どんな?」

 佐川に訊き返されて、神原は言葉に詰まってしまう。

 自分たちが楽しければ意味なんてなくてもいい。自分たちの曲を聴いてくれたファンやリスナーの心を少しでも動かせたのなら、そこには意味がある。

 そう思っても、何を言っても今の佐川には届かないように感じられてしまった。

「俺たちさ、もう今年で三〇になったんだよね。このままいつまでも夢を追ってていいのかって話は、ずっと前からしてて。で、三〇になるまでにメジャーデビューのオファーが届かなかったら、もう解散しようって二人と決めたんだ。で、俺が最後に三〇になったのが先月で。で、オファーはとうとう来なかったから、これはもう潔く解散すべきだなって」

 そう言う佐川の論理が、神原にはこの期においても分からなかった。「年齢は関係ないじゃないですか」とも言いたくなる。

 でも、そう言えるのはきっとまだ自分たちが二〇歳かそこらだからだろう。三〇歳になった佐川はまた別のことを感じているのかもしれないし、それを完全に想像することは神原にはできなかった。

「そんな。ここで解散したら、佐川さんたちのことを好きでいたファンやリスナーはどうなるんですか? その人たちに対して思うところがないわけじゃ、佐川さんもないでしょう?」

「そりゃ確かに思うところはあるよ。勝手にこんな決断をして申し訳ないなとも思う。でも、みんな俺たちの解散を一時的には悲しんでも、すぐにまた新しく好きなバンドや音楽を見つけるんだよ。たぶん一人残らずね」

 佐川の返事は、希望と絶望を同時に併せ持っていた。この世には良いバンドや音楽がたくさんあることは、確かに希望ではあるだろう。

 でも、神原はその言葉に絶望の方を強く感じてしまう。佐川たちの音楽は、少なくとも神原にはすぐに代わりを見つけられるとは思えない。

 でも、それも一時的な感情なのだろうか。いつかは佐川たちの音楽が、その存在を小さくしてしまうのだろうか。

 そう思うと、神原には余計にやりきれなさが湧いた。

「あ、あの、佐川さんたちは音楽を続けてくれますよね? モントリオールが解散しても、これで終わりにはしないですよね?」

 縋りつくように訊く。だけれど、佐川の表情は平淡で、それだけで神原は次に話すであろうことを察してしまった。

「いや、俺はもうこれで音楽をやめるつもりだよ。他の二人もそう言ってる。たぶん解散したら、もう集まることもなくなるんじゃないかな」

「そんな……。趣味でもいいから、音楽を続けるって選択肢はないんですか?」

「うーん、それも今はまだ考えてないかな。別に音楽が嫌いになったわけじゃないけど、しばらくはいいかなって気がしてるし。ていうか、それよりも今はバンドやめたらどうしようって思いの方が大きいかな。就活しなきゃね。まあ今までバンドしかやってこなかった三十路の男を受け入れてくれるとこが、どれだけあるかは分かんないんだけど」

「って、その前に最後のライブのことを考えろって話だけどね」佐川の口調に自嘲する側面は少しも見られなくて、神原は本当に決まったことで佐川たちはとっくに受け入れてるんだ、もう覆せないんだということを改めて思う。ここで自分が何を言ったところで現実は変わらないだろうという、諦めに似た気持ちさえ浮かんでしまう。

「そうですね」と相槌を打つことしかできなくて、「いやいや、そんなに重く受け止めないでよ」という笑いながらの佐川のツッコミが、耳に虚しく響く。

「ちょっとトイレ行ってきていい?」と言われて頷くと、佐川は席を立ってしまった。神原は賑わいを見せる空気の中で一人残される。

 すぐに誰かに話に行くほど、神原は簡単には気持ちを切り替えられなかった。

 佐川たちが解散することを発表してもなお、神原たちに日々は変わることなく訪れる。次のライブはさっそく一二月上旬に入っていたから、神原たちに立ち止まることはあまり許されていなかった。

 さっそくライブの翌週から、貸しスタジオに入ってのバンド練習を再開する。誰もが何事もなかったかのように振る舞ったり、演奏していたりしていたけれど、それでも神原は四人の間に、かすかに重たい空気が流れているのを察してしまう。それが佐川たちの解散に起因しているとは、誰も言い出さなかったけれど、誰もが分かっていた。

 何度もライブやイベントで共演している間柄だ。与木たちも佐川たちとの親交は浅くない。佐川たちの解散に思うところがあるのは、三人の表情だけで神原には分かる。

 そして、自分も同様だと神原ははっきりと自覚していた。何ともないように演奏しようとしても、気持ちは未だにずしりと沈み、うまく演奏に向かうテンションが作れない。

 このままでは次のライブにも支障が出てしまいそうだったが、すぐに切り替えることはやはり、神原にとっては簡単ではなかった。

 その日は、三回目の貸しスタジオでのバンド練習だった。

 次のライブに向けて既存曲を練習しても、神原にはいまいち歯車が噛み合っていないと感じられてしまったし、新曲も一曲作ろうとしたけれど、結局最後までまとまった形になることなく、貸しスタジオの使用終了時間を迎えてしまう。

 微妙な雰囲気のまま別れる四人。だけれど、神原は思わず与木を呼び止めていた。別に調子が上がらないのは四人とも一緒だけれど、神原には与木の様子がとりわけ深刻に見えていたからだ。

 与木も頷いて、二人は電車に乗る前に二人で夕食を食べることにする。

 日が落ちるのが早くなった空は、涼しいというよりも寒く感じられる風を吹かせてきていた。

 神原たちが入ったのは、駅の近くにあるラーメン屋だった。まだ夕食の時間帯には少し早いからか、店内はほどよく空いていて、二人は並んでカウンター席に座ることができる。

 それぞれ違うラーメンを注文すると、神原はおもむろに口を開いた。

「与木さ、お前最近大丈夫か?」

 与木はもともと口数が少ないし、その上自分から誘った手前、こちらから話を始めるしかないと神原は感じていた。与木の双眸が自分に向いている。その目は「お前だってそうだろ」と言いたげだった。

「いやさ、確かに俺が言えたことじゃないかもしれないけどさ、最近お前のギターなんか調子が上がってないなって。何か気がかりなことでもあったのかよ」

 与木の目が、かすかに色を変える。「言わなくても分かるだろ」というような目だ。

 神原だって、その理由は薄々感づいている。だけれど、曖昧な状態で決めつけることは、神原はしたくなかった。

「……まあ、あるっていえばあるけど」

「何だよ。俺でよかったら相談に乗るからさ、何でも言ってくれよ」

「……佐川さんたちがさ」逡巡するように数秒、間を置いてから与木は口にしていた。

 神原は何も言わずに与木の次の言葉を待つ。やはりかと言いたくなる思いを堪えながら。

「解散するのってもうなかったことにならないのかな……」

 それは神原が想像していたこと、そしてあのライブMCのときに思ったことと、寸分の狂いもなく一致していた。

 ここで「もう無理だろ」と言ってしまうのは、与木だけでなく自分の心まで叩き切ってしまうようで、神原にはできない。神原だって毎日のように、佐川たちのバンドが来年以降も続くことを願っている。

「そうだよな。ただでさえバンドの解散は辛いことなのに、それが何度もお世話になってる先輩バンドなら、なおさらだよな」

「ああ、俺もお世話になってるのもあるけど、モントリオールは単純に好きなバンドだから辛いよ。どうして佐川さんたち解散しちゃうんだろうな……」

 あの日の打ち上げのとき、与木は佐川たちと進んで話をしていなかった。本人たちの口からもう一度「解散する」と聞かされることが、嫌だったのかもしれない。神原が佐川と話しているときも、与木はテーブルの隅っこでずっと固まっていた。だから、話の内容を聞いていないのだろう。

 佐川と話した中身までを与木に伝えることは、神原には気が引けた。与木に今よりももっと深刻な表情をさせたり、気を滅入らせることはしたくなかった。

「そうだよな。俺もあのとき佐川さんと少し話したけど、どうして解散するのかまでは教えてもらえなかったし……。きっと本人たちにしか分からない事情があるんだろうな」

「なあ、俺たち大丈夫かな……?」

「大丈夫って何がだよ」

「……このまま、佐川さんたちみたいに解散しちゃわないかなってこと」


(続く)


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