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【小説】ロックバンドが止まらない(49)


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 物販が終わるとバンドのメンバーは、ライブハウスのオーナーにそれぞれ売り上げを報告しに行く。場を提供したライブハウスにも、収益は何割か入るからだ。

 だけれど、まったくのゼロだと報告することは、神原には気が重いという言葉では足りない。

 それでも、他のバンドのメンバーの報告が終わった段階で、このライブハウスのオーナーである新保(しんぼ)に声をかけた。

 神原が売り上げはゼロだったことを報告すると、新保は軽く頭を抱えていた。ため息さえついているそのリアクションに、神原は事態の重さを感じずいられない。自分たちがバンドとして不合格だと詰られても、仕方がないとさえ思う。

「あのさ、こういうことはあまり言いたくないんだけどさ」

 そう口を開いた新保に、神原は肩を落としたい気を抑えて背筋を正す。その口ぶりから良い内容だとは想像できなかったけれど、神原に耳を塞ぐことは許されていなかった。

「俺たちも遊びや慈善事業でやってるわけじゃないんだよね。神原君は知らないと思うけど、ライブハウスを経営するのってとても大変なことなんだよ? 何とか一日一日運営を続けていくので、こっちは手一杯なんだから」

「は、はい」

「俺たちは、ちゃんと神原君たちにもギャラを払ってるわけ。だったらさ、良いライブをするのはもちろん、収入面でもそれに応えてくれないと。神原君たち、チケットのノルマも達成できてないよね? それで物販の売り上げもゼロって。こっちは完全な赤字なんだけど。どうしてくれんの?」

 新保の言葉はまだ二〇歳にもなっていない人間にかけるには、厳しすぎるように神原には思われる。手心はないのだろうか。

 だけれど、新保は自分たちをちゃんと一人前のバンドとして扱ってくれていて、神原はその思いを無下にはできなかった。

 自分たちは、曲がりなりにもインディーズデビューをしたバンドなのだ。ただ趣味でやっているバンドでは、もうない。

「……そ、それは申し訳ありませんでした」

「いいよ、謝らなくて。もう今さらどうしようもないことだし。でもさ、神原君バンドをやってくってことを、ちょっと甘く見てない?」

「い、いえ、そんなことは……」

「いや、まだ甘いんだって。チケットを売るのもそうだし、ライブ自体ももっと一生懸命、それこそ死に物狂いでやんないと。自分たちはまだ若い、これから先もある、また次があるって、心のどっかで思ってんでしょ?」

「いえ、それは……」そう答えながら、神原は核心を突かれた感覚がした。

 自分たちはまだ発展途上にある。たとえうまくいかなかったとしても、また次の機会に挽回すればいい。

 そういった気持ちがまったくないとは、神原には言い切れない。

「言っとくけど、次なんてそう簡単にあるわけじゃないからね。バンドってのは、一寸先は闇なんだから。このライブが自分たちの最後のライブになる可能性は、常にあるんだからね。売れなきゃ、成果を出せなきゃ簡単に首を切られるのがこの世界なんだから。他に才能があるバンドなんて、いくらでもいるしね」

「それは、はい。おっしゃる通りだと思います」

「本当にそう思ってる? じゃあさ、神原君たちは今日のためにどれだけ練習してきたの? バンド練習は何回やった? 新曲はどれくらい作ってる?」

 簡単に自分を逃がそうとはしない新保の質問に、神原は答えに窮してしまう。ありのままの数字を言ったら「それだけ?」と言われそうだし、盛った回数を答えたら、その瞬間に嘘をついていることを見抜かれてしまいそうだ。

 神原は、俯きそうになってしまう。自分たちは、何も間違ったことはしていないはずなのに。

「答えられないってことは、やっぱり神原君たちのバンドに懸ける気持ちは、それまでってことなんだよ。また次がある。次頑張ればいい。そんな生半可な気持ちでバンドをやってる人間を、俺はウチのステージに立たせたくないね」

 新保の言葉は辛辣で、裏表がなかった。だからこそ、神原の胸の深いところにまで刺さる。

 ここまで言わせてしまっているのも、全て自分たちに原因がある。

 でも、神原にはそれを認めたくない気持ちも一パーセントくらいはあって、「つまりそれって……」という言葉が漏れる。

 軽く呆れたような表情をしている新保を見て、神原の胃はさらに縮んだ。

「だから、今のままならしばらくは、ウチのライブハウスには出ないでほしいってこと。もっと評価を高めて、インディーズでも稼げるようなバンドにならないと、ウチには出さない。だって、今のままの君たちを出演させても、現状ウチは損しかしないからね。もう一度言うけど、ウチも遊びや慈善事業でやってるわけじゃないから」

 冷たく突き放す新保の態度には、神も仏もなかった。

 自分たちはまだミニアルバムを一枚しか出していない。これからの成長を信じて、待ってはくれないか。

 神原はそう思ったけれど、そんな言い訳が今の新保に通用しないことは、火を見るよりも明らかだった。

 自分たちは今一度、バンドとして一人一人が、音楽への向き合い方をより真剣に考える必要がある。

 でも、現状でさえ精いっぱいの自分たちが、ここから何かを変えるには、計り知れないほど大きなエネルギーが必要な気がして、神原の気分は沈んでしまう。そんなことを言っている場合では、とうにないのに。

「吉間さんには後で俺から言っとくから。とにかく今のままじゃダメだってことは分かってね。もっと売れて評価されて、俺に『お願いですから、ウチのライブハウスに出てください』って、頭下げさせるようになってよ。俺は君たちが嫌いなんじゃなくて、神原君たちのことを思って言ってんだからね」

 追い打ちをかけるように言ってくる新保に、神原はますますうなだれそうになってしまう。吉間にまで自分たちがこのライブハウスから実質的な出禁を言い渡されたことが伝わるのは、神原にはしんどいなんて言葉ではとても言い表せない。愛想を尽かされて、もう自分たちのためには動かなくなってしまう可能性さえある。その果てに待っているのは、一年間の契約終了と共に訪れるクビの宣告だ。

 その未来がリアルに想像できて、神原の心はますます塞ぎこんでいく。

 言いたいことを言い終えたのか、「じゃあ、頑張ってね」と、新保は神原のもとから去っていった。

 もうフロアには神原一人しかいなかったが、それでも神原はすぐにその場を動けなかった。この後の打ち上げに、どんな顔をして出ればいいのだろう。

 神原はいっそのこと尻、尾を巻いて逃げ帰りたかった。

 吉間はライブがあった日のうちに新保から、「しばらくはウチのライブハウスには出ないでほしい」と伝えられていたようで、打ち上げ中に神原たちを呼んでいた。

 吉間はライブの間、他に担当しているミュージシャンの仕事に取り組んでいて、神原たちがどんなライブをしたのかは見ていない。禁止事項や何か危険なことをしたのではないかと追及されて、神原は事情を詳しく説明する。

 原因は、単純に自分たちの実力不足にある。改めて口にすると、神原はじわりじわりとがけっぷちに追い詰められているかのようだ。

 事情を知った吉間は「まあ、まだまだこれからだよ」と励ましてくれたが、まさにその姿勢が新保に咎められたのだと思うと、外見では頷きながらも、心では忸怩たる思いを抱く。

 家に帰っても、寝て起きてみても、今日のことはしばらく忘れられないだろうと、神原は感じた。

 だけれど、神原たちに立ち止まる時間や下を向く時間は与えられてはいなかった。

 次のライブは、早くも二週間後に迫っている。佐川たちのバンド・モントリオールが新譜をリリースして、その記念ライブの対バン相手として、神原たちが指名されたのだ。

 何かと自分たちを気にかけてくれることがありがたくて、話を貰ったときにも、神原たちは二つ返事でオファーを受けていた。

 でも、そのライブに出演するのは神原たちと佐川たちの二組だけで、神原たちはこれまででも一番多くの曲を演奏する必要がある。そのためには、練習時間も相応にかけなければならない。

 だから、神原たちは財布に余裕がない中でも貸しスタジオに入る回数を増やして、バンド練習に明け暮れていた。

 でも、いくらギターを弾いて歌ったところで、神原の期分はなかなか晴れない。自分たちに現状次のライブの予定はなく、もしかしたらこれが本当に最後のライブになってしまうかもしれない。

 かき消すように力をこめて演奏をしても、懸念は神原の中で消えることなく留まり続けていた。

 ライブ当日。電車に乗って、神原はライブハウスの最寄り駅へと向かう。

 でも、窓ガラスに映った自分の顔は少しも冴えていなくて、それは神原が二週間前の出来事を未だに引きずっていることを如実に示していた。

 最寄り駅で与木たちと落ち合って、ライブハウスに向かっている間も、会話はあまり弾まない。今日という日の緊張と、まだ頭に残り続けている無念さが混ざり合って、神原たちの周囲にほのかに澱んだ空気を作る。

 頭上には雲一つない青空が広がっていても、神原は見上げようと思いさえしなかった。

 それでも、今日ライブをするのが今までにも何回か出演していているCLUB ANSWERであることは、神原たちにとっては数少ない好材料だった。

 館内に入るとフロアにはまだ数人のスタッフしかおらず、自分たちが先に演奏することを神原は改めて思い知らされる。

 オーナーである黒島に挨拶をすると、神原たちはそのままステージへと向かった。リハーサルの手順ももうすっかり慣れたもので、神原たちはスムーズに曲の試奏に入ることができる。

 でも、良いイメージのあるライブハウスのはずなのに、神原は自分たちの演奏が乗り切れていないことを感じていた。それはきっと四人ともが、本番で盛り上がらなかったらどうしよう、ライブ後の物販でまた何も売れなかったらどうしようという不安を抱えていたからで、今考えるべきことではないと分かっていても、神原の頭からは強力な磁石のようにくっついて離れない。

 悪いイメージは折り重なって、神原にすっかり刷りこまれてしまっていた。

 佐川たちがやってきたのは、神原たちがリハーサルをしている最中だった。フロアに入って黒島といくつか言葉を交わした佐川たちは、そのまま神原たちのリハーサルを眺めている。

 神原としてはリハーサルとはいえ、佐川たちの前では成長した演奏を見せたかったのだが、でも実際の姿は思い通りになっているとは言い難かった。四人とも演奏にぎこちなさが見え、リズムも微妙にだけれど合っていない。きっと佐川たちも、違和感を覚えていることだろう。

 今日の主役は佐川たちで、自分たちはいわば引き立て役だ。その役目が果たせるのかどうか、神原は心配でしかなかった。

 ステージから降りた神原たちは、リハーサルに向かう前の佐川たちと二、三言葉を交わす。

 新譜の発売おめでとうございます。今日は呼んでくれてありがとうございます。そういったことを伝えると、佐川たちも柔らかに微笑んでくれた。

「じゃあ、またリハーサルが終わった後にでも話そうね」と言われて、神原は「はい」と頷きながらも、内心負担に感じてしまう。誰とも話したくないといったら大げさだが、それでも今の神原は、人と積極的に話をしたい状態ではなかった。


(続く)


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