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【小説】ロックバンドが止まらない(48)


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 やがて曲は鳴り終わり、「ありがとうございました!」とボーカルである女性の声が聞こえた。今日のライブが終わった合図だ。

 いよいよだと気を引き締め、神原たちはまずドアを開けて出てきた男性二人を迎える。

 だけれど、こういった物販は初めてだから、どう振る舞ったらいいのか神原には分からない。「どうぞ見ていってください」と積極的に声をかけるだけの勇気もなくて、ただ微笑んで会釈をすることしかできない。

 男性二人は物販に並ぶ商品に目をやってはいたものの、何も買うことなくライブハウスの外に出ていった。もともとこの二人は誰のライブ中もあまり乗ってはいなかったし、きっと今日のライブ自体あまり楽しくなかったのだろう。

 それでも、素通りされたことはやはり落ちこむ。神原はどうにか気持ちを切り替えて、次に出てきた観客を迎えた。

 でも、次の観客も一組目のバンドのCDを買っていっただけで、神原たちのCDやグッズに関心を持ってはくれなかった。

 それからも次々とロビーに観客が出てくる。他のバンドはCDやグッズを買ってもらったり、知り合いなのか物販に立つメンバーと話していたけれど、神原にはそのどちらもなかった。目を向けられはするけれど、誰も財布を取り出そうとはしてくれず、寄る辺ない思いが募ってしまう。

 あんなつまらないライブをしてしまった自分たちに、新たについてくれたファンはいない。それは神原にも分かっていたけれど、いざ現実として突きつけられると、悔しさや切なさ、不甲斐なさや腹立たしさが一気に押し寄せてくる。もはや、立っているだけでも辛抱が必要な状態だ。

 一人、神原のアルバイト先の先輩がこのライブには来てくれていたものの、神原と軽く話しただけで何も買わないまま帰ってしまった。最後の頼みの綱がばっさり断ち切られたことに、神原は落胆を隠せない。思わず唇を噛んでしまう。

 誰が悪いかと言えば、魅力的なライブができなかった自分たちだというのに。

「お客さん、全員帰りました。撤収してください」ライブが終わって十数分後、神原たちはスタッフに声をかけられる。その言葉を聞いた神原は、思わず俯いてしまう。

 物販の結果は惨敗だった。CDもTシャツもリストバンドも、ただの一つも売れなかった。ライブ中の手ごたえの無さから、楽観的な予測は描けていなかったが、それでも誰一人として自分たちを目に見える形で必要としてくれなかったことに、神原は気分が沈んでため息さえ出ない。吉間やこのライブハウスのオーナーに売り上げが皆無だったことを報告しなければならず、気が重い。

 それでも、スタッフの指示を受けて、どうにか売り場を片付ける。長机も片づけられたロビーは閑散としていて、ガラス扉から差しこんでくる夜が、神原の心をより塞がらせた。

「神原君、今日はお疲れ」

 楽屋に自分の楽器を取りに戻る前に、神原は佐川から声をかけられる。誰のどんな言葉にも今の神原は応えたくはなかったが、ここで佐川を無視することはあまりにも失礼すぎた。

「は、はい……。お疲れ様です……」

 無理やり絞り出したような神原の返事に、佐川は心配するような面持ちを向けている。佐川にそんな表情をさせていることに、神原には申し訳ない以外の言葉がなかった。

「今日は大変だったね。お客さんも恥ずかしがり屋なのか、冷たいのか乗ってくれない人が多くて。もうちょっと盛り上がってもよかったのにね」

「は、はい」佐川は楽屋にいたから、神原たちのライブは見ていない。でも、演奏やライブMCから盛り上がっていないことは察せられたのだろう。

 自分たち演者ではなく、観客に原因を求めようとしている佐川に、神原は胸が痛くなってくる。

「でも、さすがにCDもグッズも全部スルーされるのはありえないよね。神原君たちの曲、俺は好きだしもっと受け入れられてもいいと思うんだけど」

「それは、はい。ありがとうございます」

「まあ、神原君はさ今へこんでると思うけど、でも大体みんな最初はこんなもんだから。俺たちだってインディーズデビューして初めてのライブの後は、何一つ売れなかったし。でもさ、めげずにやってればそのうち結果はついてくるから。だから、これで落ちこまずにまた次のライブ頑張ってね」

 佐川の言うことを、神原だって正しいと思いたかった。今の自分たちには、一つ一つのライブを着実に積み上げるしかないことも分かっている。

 でも、厳しい現実に打ちのめされた今では、いつか結果が出るなんて、神原にはとても思えなかった。いつ結果が出るかは分からないし、それまで自分たちがバンドを続けていられる保証はない。神原の中で、弱気が顔を出してしまう。

 神原はそれに目を向けないように、「そうですね。頑張ります」と応える。でも、まだ次のライブすら神原たちには決まっていなかった。

 佐川は頷いて「よっしゃ、打ち上げ行こ。呑んで今日のことは忘れちゃおう」と言う。「あの、僕たちまだお酒が飲める年齢じゃないんですけど」と神原が控えめにツッコむと、「そうだった」と小さく笑っている。

 だけれど、神原は同じように笑えない。打ち上げにも、今日はあまり気が進まなかった。

 神原たちの次のライブが七月に決まったのは、月が変わって天気予報にも雨マークが増えてきた頃だった。吉間たちECNレコードが都内各所のライブハウスに「日暮れのイミテーション」を配って、ようやく声をかけてもらえたのだ。

 本当はもっと自分たちから動かないといけないのに、それを代わりにやってもらっていることに、神原たちは頭が上がらない。

 吉間たちの努力に今度こそ良いライブをして応えなければならないと、神原は使命感を抱いた。

 だけれど、迎えたそのライブも神原には正直なところ、盛り上がったとは言い難かった。

 神原たちは手ごたえがなかった前回のライブにもめげず、個人練習やバンド練習を重ね、新曲も作った。

 でも、ライブハウスにやってくる観客はそんな神原たちの努力は知らないし、ステージで見せるライブが、特に初めて神原たちを見る観客には全てだ。

 もちろん神原たちは、自分たちが今できる精いっぱいの演奏をしたし、目立ったミスもしていないつもりだ。だけれど観客の反応は鈍く、神原には自分たちの音楽が届いているという実感がない。

 そして、それは物販の際にまた自分たちのCDやグッズが一個も売れないという形で現実となり、神原たちに襲い掛かる。

 他のバンドは数個でも売れているのに、自分たちのCDやグッズはまったく売れる気配がない。それは神原の心に重たくのしかかり、打ち上げの席でも神原は他のバンドのメンバーと談笑することは、最後までできなかった。

 それでも、神原たちはバンド活動を続ける。神原たちにはバンドとしてやりたいことはまだまだあったし、何よりセカンドアルバムを出すためには、曲を作り続けなければならなかった。

 だけれど、セカンドアルバムの発売はなかなか決まらない。「日暮れのイミテーション」も三〇枚ほどしか販売できておらず、CDやグッズの制作費用はまだまだ回収できていない。それにライブで観客をろくに集められない状況では、新作のリリースなど神原たちには、夢の中の出来事でしかない。

 当然、神原たちに入ってくる収入も雀の涙ほどで、神原たちはアルバイトをして生計を立てなければならなかった。神原もギターを弾いたり曲を作っている時間よりも、ファミリーレストランでマニュアル通りに料理を作ったり、皿を洗ったりしている時間の方がずっと長い。

 現実は神原が想像していたよりもずっと厳しく、アルバイト漬けの日々に、神原は自分がバンドマンなのかフリーターなのか分からなくなるほどだった。

 八月にも一度、神原たちはステージに立ってライブをする機会に恵まれた。

 でも、目立った成果は得られなかった。

 ライブは前回よりかは盛り上がり、神原も少し手ごたえを感じていたものの、それはまたライブ後の物販で何も売れなかったことに、急速にしぼんでいく。

 確かに自分だって他のバンドのライブを見るだけで、何も買わずに帰ってしまうことは珍しくないが、それでも財布の紐を緩ませることの難しさを神原はひしひしと感じる。どれだけ盛り上がるライブをしたらいいのだろうと、途方にさえ暮れてしまいそうだ。

 それでも、これで活動を終わりにするという選択肢は神原たちにはない。今は下積みの期間なのだ。将来売れるためには、必要な時間なのだろう。神原はそう捉えるようにした。

 神原たちの次のライブは、九月に行われた。日曜日ということもあって、観客は神原たちが出演するイベントでは、今まででも一番入っている。

 でも、その中に自分たちが呼んだ観客は少ない。自分たちを知ってくれているのかと、神原は不安に思う。

 でも、自分たちは曲がりなりにも、着実に活動してきたのだ。それはきっと裏切らないはずだ。

 神原たちは自分たちを、奮わせてステージに向かっていく。今回こそうまくいくはずだと、神原は願ってやまなかった。

 でも、それはステージに立った瞬間に目の当たりにした観客の表情に、音を立てて崩れ落ちていく。

 五〇人ほどいる観客は、誰も神原たちの演奏を楽しみにしている様子はなかった。ただ義務的に拍手を送っているだけで、そこに心がこもっているとは神原には感じられない。どうして来たのかと言えば、他のバンドを楽しみにして来たのだろう。

 今までに経験したことのない人数から向けられる無関心な視線に、神原は竦みそうになってしまう。いくら自分たちの前のバンドが場を温めてくれたとはいえ、神原は演奏しづらさを感じてしまう。

 きっとそれは、与木たちも同じだったのだろう。演奏もどこかモヤがかかっていて、練習のときのようなキレが神原には感じられない。少しずつでも歯車は着実に狂っていて、神原は最初から演奏をやり直したい気分だ。すっきりとしない演奏に引っ張られて、神原の歌にもハリや力強さが減ってしまう。

 観客も神原たちの演奏が本調子ではないことに、気づいているのだろう。ほとんどの観客が微動だにしていなくて、白けたフロアの雰囲気は、神原たちの首を真綿で締めてくるようだ。

 一度生まれてしまった悪循環はそう簡単には断ち切れず、結局神原たちは最後までぱっとしないままライブを終えてしまった。こんなライブでは、自分たちのファンになってくれた人は一人もいないと、神原にははっきりと思える。

 今日もまた自分たちが理想とするライブができなかったことに、全員が悔しさと焦りを抱いているのが、言葉を交わさなくても神原には分かっていた。

 神原たちが無念さを感じていた通り、ライブ後の物販になっても、誰も神原たちのスペースには寄りつこうとしなかった。

 他のバンドは少なからずCDやグッズを販売できている中、素通りされ続けることは確実に神原にダメージを与える。今までにない人数から無視されて、その分受ける心の傷も大きい。

 これで四回連続、物販で何も売れなかったことになる。いつか自分たちのCDやグッズが、自分たちの目の前で売れる日は来るのだろうか。

 神原の心は折れそうになる寸前で、どうにか踏ん張っている状態だった。


(続く)


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