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【小説】ロックバンドが止まらない(47)


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「でもさ、インディーズデビューできたからって満足しちゃいけないよ。アルバムは一枚目を出すよりも二枚目を出す方が、ずっと大変なんだから。分かってると思うけど、デビューはあくまでもスタートラインに過ぎないから。頑張って曲作って、ライブをし続けないとね」

「本当にその通りだと思います。僕たちも次のアルバムを作るにはまだまだ曲が足りないですし、ここからが勝負だと思ってます」

「そうだね。インディーズデビューは通過点にすぎないもんね。だって、神原君たち多分メジャー行きたいんでしょ?」

「い、いや、それはまだちょっと話が早いと言いますか……」

「いいよ、ごまかさなくて。インディーズで活動してるバンドは、九九パーセントがメジャーに行きたいと思ってるから。だって、そっちの方が売れるし、音楽だけで食っていけるからね。もちろん、俺もそのうちの一人だけど」

「そ、そうですね。確かにメジャーに行くのは目標の一つではあります」

「そうだよ。メジャーに行って、アルバムを何万枚も売って印税生活しようよ。だって、それくらいできないと、武道館なんて夢のまた夢だからね」

 佐川の口から出てきた「武道館」という単語に、神原は驚いて一瞬言葉を失った。「えっ、それは、いや、その……」としどろもどろな返事しか出てこない。

 だけれど、そんな神原にも佐川は優しい表情を崩さなかった。

「いや、WEBのインタビューで言ってたじゃん。『武道館を目標にしてる』って。あれは嘘だったの?」

「いや、嘘じゃないんですけど、こうなったらいいなっていう願望みたいなもので……」

「いいよ、謙遜しなくて。分かるよ、その気持ち。だって、俺たちも武道館目指してるからね」

「えっ、そうなんですか?」

「うん。あまり人に言ったことはないんだけどね。でも、絶対メジャーに行って、何年かかっても武道館公演を成功させたいって思ってるから。あっ、これは内緒にしててね。不言実行したいから」

 確かに、不言実行にも不言実行の格好良さはある。だから、神原は「はい」と素直に頷けたし、元よりフロアには佐川たちと神原以外の人間はいなかった。

 澄ました顔をしている佐川に、神原も納得したような表情を浮かべる。夢を語り合う自分たちは、紛れもない同志だと神原には思えた。

 会話がいったん途切れたタイミングで、モントリオールのメンバーが「佐川、そろそろリハやろうぜ」と声をかけている。「ああ」と返事をしてから、「じゃあ、神原君。また後でね」と言って、佐川はバンドメンバーと一緒に楽屋の方へと向かっていった。

 佐川たちがフロアから去っても、神原はライブハウスを後にしなかった。コンビニエンスストアなら、まだいくらでも行くタイミングがある。

 その前に、今は佐川たちのリハーサルを見ていきたいと感じていた。

 一組目のバンドは、ライブハウスに確かな熱気を生んでくれていた。スカやファンクの要素を取り入れた曲たちは観客にも受け入れられ、フロアに音楽を聴く態勢が整っていることを、神原は楽屋にいながらでも感じる。

 実際、楽屋に戻ってきたバンドメンバーは手ごたえを得ているような表情を浮かべていた。

 イベントは全員で作り上げるものだ。だから、神原は自分たちも良いライブをして良い状態で、次の佐川たちにバトンを渡さなければならないと、背筋を伸ばした。

 スタッフに呼ばれて、神原たちは舞台袖にスタンバイする。待っている時間が神原たちの緊張を煽っていくなか、転換時間に流れていた音楽は止み、フロアの照明は落とされる。青い照明に照らされるステージ。

 神原たちが登場SEとしている洋楽が鳴り始めたときに、歓声は起こらなかった。それは四人が登場したときも同様で、拍手はしてくれているものの、全員が自分たちのことを歓迎しているわけではないことは、ステージに一歩足を踏み出した瞬間から、神原には分かってしまう。

 今日集まった観客は三〇人ほどで、今までのライブハウスよりもフロアが狭いこともあって、人と人との距離が近く熱気は生まれやすいだろう。

 でも、神原にはその中の数人が、早く他のバンドの出番になってほしいと、表情で語っているように思える。

 だけれど、そういった人たちだって、これから自分たちの音楽で魅了すればいいだけの話だ。神原は前向きな思考を心がけた。

 全員の準備が整ったことを確認してから、神原は右手を挙げて登場SEを止める。登場SEがフェードアウトしていった後に訪れる一瞬の静寂。

 それをはっきりと感じてから、神原たちはドラムスティックを叩いてカウントを刻んだ久倉に合わせて、演奏を始めた。

 最初に演奏するのは「日暮れのイミテーション」の三曲目に収録されている曲だ。王道のエイトビートに、神原たちが何日もかけて考えたリフが乗るロックチューンである。

 今日も神原たちは演奏に破綻をきたすことなく、良い意味で練習通りできている。

 だけれど、サビに入ってもフロアはいまいち盛り上がらなかった。誰もがまず曲を受け入れることに時間を使っているようで、神原は誰も自分たちの曲を聴いていないんだ、CDを買っていないんだと、否応なく感じてしまう。たかだか二三枚の販売数では、広がりなんてたかが知れていたが、それでも想像以上の反応の薄さに、神原は空気を掴もうとしているような、手ごたえのなさを覚えてしまう。

 それでも、自分たちは曲がりなりにもCDを出しているのだ、インディーズデビューをしているのだというプライドが神原たちをステージに立たせる。

 二曲目も三曲目も「日暮れのイミテーション」に収録されている曲だったが、観客の反応はいまひとつだった。リズムに乗ってくれている人も、一人か二人くらいしか見られない。

 それはちゃんとまとまった演奏ができているのに、自分たちに原因があるのではないかと思わせるには十分で、神原は自分のかいている汗が、冷や汗のようにすら感じられた。

 三曲を演奏し終えて、ライブMCの時間に入ったときも、ライブハウスは神原たちが気軽に話をできるような空気ではなかった。冷めた表情から、全ての観客が自分たちの話を求めていないようで、神原には息が詰まるような感覚がしてしまう。

 園田がまず「今日は来てくださってありがとうございます!」と言ったときの反応も薄くて、神原はいたたまれなく思う。園田や久倉はどうにか事前に用意していたであろうライブMCを喋っていたが、声にはどこか焦りの色が見られ、早く自分の番を終えたいと言っているようだった。与木も二言三言しか喋られていない。

 神原たちを歓迎する空気はフロアのどこにもなく、ストレスさえ感じているような観客の視線が、四人の身にグサグサと突き刺さる。

 それでも、神原はただ黙って演奏を再開させるわけにはいかない。

 それはこのしらけたムードの中で、どうにかライブMCをした三人の手前でもあるし、何より今日のステージでライブMCの時間はここしかないのだから、神原はCDやグッズの宣伝をしなければならなかった。

 なんとか顔を上げて、自分たちの着ているTシャツやつけているリストバンドをライブ後に販売しますと言っても、観客の目から興味を持たれていないのは明らかだった。CDも一緒に販売しますと言っても、観客の関心はいつ神原たちのライブが終わるかだけに向けられているように感じられる。

 声も次第に小さくなりそうだったけれど、神原はすんでのところで堪えてライブMCを終える。

 そして、神原たちは園田のベースから四曲目の演奏を始めた。ミドルテンポのこの曲は、今日のセットリストのうち唯一「日暮れのイミテーション」に収録されていない曲だ。過去にライブで披露したことはあるものの、誰も聴いてはいないだろう。

 初めて聴く曲にフロアは沈黙し、神原たちをじりじりと苛む。冷え切った空気をあと二曲で温めることが、神原にはとてつもなく難しく感じられていた。

 自分たちのライブは盛り上がったか。ステージを降りた瞬間にそう訊かれたならば、神原は間違いなくNOと答えていただろう。

 アルバム未収録の四曲目はもちろん、五曲目のバラードは観客が退屈しているのがありありと分かってしまったし、六曲目の「FIRST FRIEND」も神原たちはどうにか熱をこめて演奏したのに、その熱は完全に空回ってしまっていた。せっかく一組目のバンドが温めてくれたフロアの雰囲気を、ライブが始まる前以下に下げてしまったことに神原は申し開きの言葉さえない。

 自分たちの演奏は特段悪くなかったはずだが、それでも観客には一切と言っていいほど受け入れられなかったことが、神原には悔しかった。思わず次に出番を控えている佐川に、「すいません」と謝ってしまったほどだ。

 佐川は「気にしなくて大丈夫だよ」と言ってくれたものの、それでも神原の心からずしりと沈む感覚は抜けない。ライブハウスを演奏しづらい空気に変えてしまったことが情けなくて、気を張っていなければ涙さえこぼれてきそうだった。

 楽屋に戻っても、神原たちはあまり言葉を交わせなかった。他のバンドのメンバーに慰められても、気を遣わせてしまっていることも相まって、神原はなかなか顔を上げられない。インディーズデビューをしたとはいえ、自分たちはまだまだ全然実力も経験も足りていないことを思い知らされる。

 楽器の転換が終わって佐川たちのライブが終わっても、神原はしばらく椅子から立てなかった。自分たちが作ってしまった微妙な空気の中で佐川たちがどんな演奏をしているか、見るのが恐ろしく感じられた。

 それでも、神原は重たい身体をなんとか持ち上げて、楽屋を出てフロアに向かった。せめて一曲だけでも佐川たちのライブは見たいと思った。

 神原がフロアに出たときには、ライブMCも終えて、ちょうど佐川たちが曲を演奏している最中だった。勢いのあるパンク曲が観客の身体を揺らしている。自分たちのライブよりも明らかに良い反応に、ライブハウスの空気は再び暖められつつあった。

 自分たちが白けさせてしまったフロアをここまで回復させた佐川たちに、神原は頭が上がらない思いがする。踵を小さく鳴らしてリズムを刻んでいると、気分もほんの少しだけ軽くなるようだった。

 同じくフロアにやってきた与木たちと一緒に、神原は四組目のバンドのライブも見続ける。でも、ライブを最後まで見ることは神原にはできなかった。

 ライブが終わる一〇分ほど前に、神原はフロアを出てロビーに向かう。すると、そこには長机が二脚置かれていた。スタッフが準備してくれたのだろう。長机の上にはCDの現物が置かれ、Tシャツやリストバンドといったグッズの写真が貼られ、神原は自分のスペースに立つだけでよかった。

 佐川と三組目のバンドのベース担当との間に立つと、神原には緊張感がぶり返す。今までは売るものがなかっただけに、今日が初めてのライブ後の物販だ。

 スタッフから軽く説明を受けて、神原たちはライブが終わるのを待つ。フロアから漏れ聞こえてくる曲が終わりに向かうにつれて、神原の祈る思いもまた増していた。


(続く)


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