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【小説】ロックバンドが止まらない(50)



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 対バンイベントに招かれている手前ということもあって、神原たちは全員で佐川たちのリハーサルを見ることにした。

 佐川たちの演奏はさすがキャリアを積んでいるだけあって、自分たちとは安定感が段違いだと神原には感じられる。安定した土台の上に、確かな熱と勢いが乗っていて、間違いなく今の自分たちが目指すべき演奏だ。演奏された曲も新譜の収録曲だったが、既に神原は佐川たちの新譜を何回も聴いていることもあって、リハーサルの段階でも高揚感を覚える。

 今日のライブはきっと佐川たちのファンが多く来ることだろう。ホームの雰囲気で佐川たちがどんな演奏をするのか。緊張している神原も期待を抱く。

「神原君、お疲れ。今日はオファー受けてくれてありがとね」

 リハーサルを終えると、佐川はフロアにやってきて、神原に話しかけていた。入場が開始されるまではあと三〇分ほどしかなく、外に出るのには少し微妙な時間だ。

 神原も恐れ多いといったように、声をかけてきた佐川に応じる。

「いえいえ、こちらこそ今日は呼んでくださって、ありがとうございます。僕たちは佐川さんたちには何度もお世話になってますし、オファーをいただいたときは本当に嬉しくて、すぐに出るって決めました」

「そっか。それはなんか嬉しいな。まあ俺たちも色んなバンドにお世話になってきたわけだしね。そうやってバンドやライブシーンってのは続いてきたわけだから。俺たちもその一端を担えてるようでよかったよ」

「はい。僕も今日のライブ心待ちにしてました。今持てる全ての力で、最大限ここを盛り上げたいと思います」

「そうだね。今日は名目上は俺たちがメインみたいになってるけど、でも俺は対バンするバンドには、メインとかサブとかないと思ってるから。神原君たちも立派なメインの一組だよ。お互いに良いライブをして、観客に満足して帰ってもらおうね」

 神原は頷く。自分たちはあくまでも引き立て役だと、卑屈になることはない。自分たちは自分たちのライブをすればいい。

 そうは思っても、それが受け入れられなかったときのことを、神原はどうしても考えてしまう。表情もどこかぎこちなくなってしまいそうだ。

「とは言ったものの、神原君。大丈夫?」

「大丈夫って何がですか?」

「いや、ちょっと表情硬いなって。それにリハの演奏も、少しギクシャクしてるように聴こえたし。そんなに緊張してるの?」

「い、いや、確かに緊張はしてますけど……」

「けど?」

 佐川は神原が濁した言葉尻を逃さなかった。問い詰められているようで、神原は辺りを見回して助けを求めたくなったけれど、でもフロアでは誰もが何かしらを話していて、ポツンと佇んでいる人間はいなかった。

 だから、神原は自分の頭で考えて返事をするしかない。

 こんなことを佐川に言っていいのか。自分の愚痴に付き合わせるだけではないか。

 神原は少し迷ったけれど、最終的にはこのまだ晴れない気持ちを、誰かに吐き出したいという気持ちが勝った。

「あの、佐川さん。実は最近ちょっとしんどいことがあったんです」

 おそるおそる口を開いた神原にも、佐川は「しんどいこと?」と訊き返した後で、「いいよ。何でも言って。バンドに関わることだったら、俺も相談に乗れるかもしれないから」と言ってくれる。

 だから、神原は思い切って胸のうちを打ち明けた。

「日暮れのイミテーション」が思ったように売れていないこと、ライブをしても思うように盛り上がらないこと、ライブ後の物販で今まで何かが売れた試しがないこと、そして二週間前にライブハウスのオーナーから、「しばらくステージには立たせたくない」と言われたこと。その全てがしんどいということを、愚痴っぽくならないように気をつけながら、佐川に話す。

 佐川も時折相槌を打ちながら、神原を咎めたり否定したりすることなく、最後まで話を聞いてくれていた。それだけで神原の気持ちはほんのわずかでも軽くなるようだ。

「なるほど。確かにそれはキツイね。神原君がしんどいって思うのも無理ないよ」

「はい。インディーズでもデビューさえすれば、曲を聴いてくれる人が増えて、ライブにももっと人が来ると思ってたんですけど、現実は全然違ってて。もちろんバンドで演奏するのは好きなんですけど、最近はこれでいいのかなって、思うようにすらなってきたんです」

「ってちょっと早すぎますかね? まだデビューして半年も経ってないのに」自分たちよりもずっと長くインディーズで活動している佐川を前にして、弱音を吐いている自分が恥ずかしく思えてきて、神原は自然とそう付け加えていた。今の時点でこう感じるなんて、甘えていると思われても仕方がない。

 だけれど、佐川は「そんなことないよ」と、首を横に振ってくれる。その双眸は、神原の心を覗いているかのようだった。

「なかなか思うようにいかなかったり、結果が出なくて辛いと思うのに年数は関係ないよ。神原君たちは曲を作ったり、練習したり、できうる限りの努力をしてるんでしょ? 頑張ってなきゃ、辛いとかしんどいっていう感情は出てこないよ」

「それは確かにそうですね……」

「でしょ? で、これでいいのかなって疑問なんだけど、俺は今の神原君たちのままでいいと思ってる。俺は神原君たちの曲好きだし、きっと同じように好きだと感じる人もいると思う。今はまだその人たちまで届いてない状態なんだよ。その人たちに届く前にやめちゃうなんて、もったいないって思わない?」

「それはおっしゃる通りですけど、でもそんな人、本当にいるんでしょうか……?」

「いる。絶対いる。断言できるよ。俺は神原君たちの曲は、もっと多くの人に受け入れられるべきだと思ってるし、実は今日対バンに呼んだのもそれが理由の一つなんだ。別に助けるってわけじゃないけど、何かしら力になれないかなって」

 こんなにも自分たちのことを気にかけてくれる先輩はいない。神原は佐川の言葉を聞いて、涙腺が緩んでくることを感じた。心強い言葉に、気を抜いたら涙さえ流してしまいそうだ。

 でも、ライブ前の段階から泣くのは違う。

 だから、神原はぐっと堪えて「ありがとうございます。そう言ってもらえて凄く嬉しいです」と答えた。柔和な佐川の表情が、神原の心をより揺さぶる。

「そうだね。今日の対バン一緒に頑張ろう。俺たちも良いライブをするから、神原君たちも良いライブ、期待してるよ」

 こんな状況でなければ、神原は佐川の言葉にプレッシャーを感じていたことだろう。それでも、今は期待されていることが、とてつもなくありがたいことに思える。何としてでも応えなければならないと、強く感じる。

 神原は頷いた。自分たちが今まで積み重ねてきたものを、信じてみようという気になっていた。

 客入れの音楽が鳴り止み、ライブハウスの照明が落ちる。その瞬間を、神原たちは舞台袖でドキドキしながら味わう。

 ステージが白い光に照らされ、登場SEである洋楽が館内に流れる。

 歓声は起きず、やはり今日来ているのは佐川たちのファンばかりのようだ。今回もフロアの雰囲気は、自分たちを歓迎しているとは言い難い。

 でも、神原たちは一呼吸ついてから、ステージに登場した。申し訳程度に小さな拍手が送られる。今日ライブハウスにやってきた観客は五〇人ほど。このアウェイ感のある空気を、ライブが終わったときには少しでも、自分たちの空気に変えてやろう。

 そう神原が思えたのも、ライブ前に佐川と言葉を交わしたからだった。

 全員の準備ができたことを確認して、神原は右手を挙げ、登場SEを止める。一瞬訪れた静寂が、誰も自分たちのことを待ち望んでいないように神原には感じられてしまう。

 それでも、神原はそれを振り切るように、ギターを弾き始めた。最初の一音を鳴らすと、神原の頭は瞬時に切り替わる。ステージに立つ前は二週間前の出来事を未だに引きずって、自分たちが観客に受け入れられるかどうか不安に思っていたものの、いざ演奏を始めてみると、頭はライブのことしか考えられなくなる。

 自分の演奏に合流するように与木たちも演奏を始めていて、ライブハウスに響くバンドサウンドに、神原の胸は早くも湧き上がった。狭い貸しスタジオでは得られない開放感が清々しい。

「日暮れのイミテーション」に収録されている曲を披露しても、やはり聴いてきていないのか、観客の反応はいまいち薄かったけれど、それも今の神原にはさほど気にならなかった。

 自分たちは間違いなく二週間前よりも調子を上げている。そのことが神原を勇気づけ、歌声を弾ませていく。

 与木たちの演奏にも不備はなく、神原たちはインディーズデビューしてから一番だと思えるほどのパフォーマンスができていた。

 神原たちの調子の良さが伝わったのだろう。一曲目の中盤から徐々に観客がリズムに乗り始めているのを、神原の目は捉えた。一人だけではなくて、複数人がリズムに合わせて、小さくとだが身体を揺らしてくれている。

 二週間前とは違い反応があることは、神原たちの気分をさらに盛り上げ、演奏にも力を加える。

「日暮れのイミテーション」に収録されていない曲を演奏したときも、しっかりとした反応があって、神原は演奏しながら手ごたえを感じずにはいられない。観客の表情もどこか砕けたものになってきていて、ちゃんとライブを見てもらえている実感に、神原は熱い思いを抱いた。

 そう感じていたのは与木たちも同様だったようで、神原たちの演奏にはさらに熱が入る。それに煽られるようにして、観客もより演奏に身を委ねていく。

 少しずつ盛り上がりを増していくフロア。ライブハウスには好循環が生まれていて、神原にはこのままあと何曲でも演奏したいと思えるほどだ。このままライブMCもせず、最後まで突っ走ってしまいたい。

 しかし、ステージは照明の熱などで暑く、神原たちは休憩がてらライブMCをせずにはいられない。

 それでも、マイクを通して観客に喋る園田たちの声は明るかった。弾んでさえいる声に、今日のライブを楽しく思っていることが神原には伝わる。

 神原も「今日、モントリオールの対バンに出られて嬉しいです」といったことを喋り、早々にライブMCを切り上げた。とにかく次の曲を演奏したかった。

 久倉のカウントに合わせるようにして、神原たちは再び演奏を始める。ミドルテンポの曲でも、観客はリズムに合わせて身体を小さく揺らしている。

 それは自分たちが観客の心を掴めているのではないかと、神原に思わせるには十分なほどだった。



(続く)


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