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【小説】ロックバンドが止まらない(51)


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 神原たちのライブは曲を重ねるごとに良い感触が生まれ、最後の曲では手を振り上げる観客さえ出るほどの盛り上がりを見せて終わっていた。

 ステージを降りたとき、神原には良い形で佐川たちにバトンを繋げた実感があったし、実際佐川にも「やったじゃん」と言われると思わず頬が緩む。高揚した気分のまま、軽い気持ちで「佐川さんたちも頑張ってください」とすら言えたほどだ。

「言われなくても」と口元を引き締めた佐川が、神原にはかつてないほど頼もしく見えた。

 その後も二三言葉を交わし、ライブハウスのスタッフが声をかけたタイミングで、佐川たちが舞台袖に向かっていくと、神原たちも間もなくして楽屋を出た。フロアに出て、観客の邪魔にならないように、最後方に四人で位置取る。

 思えば何回か共演はしているものの、佐川たちのライブを最初から見るのは、神原には今回が初めてだ。

 フロア全体が期待に胸を膨らませている。ほとんどの観客が佐川たちを目当てに来ているからか、ライブハウスの雰囲気は良く、それを作るのに自分たちが少しでも貢献できたことが、神原には誇らしく感じられた。

 神原たちがフロアに出てしばらくしてから、客入れの音楽は止んで、フロアの照明は静かに落とされる。その瞬間、小さな歓声が生まれた。それは佐川たちの登場SEである洋楽が流れ始めて、佐川たちがステージに登場するとより大きさを増す。

 やはり佐川たちにとっては、今日はホームと称してもいい雰囲気だ。期待が高まっているフロアは、神原にとっても居心地がいい。

 自分たちはまだ、登場したときに歓声を受けたことがない。だから、神原はステージに登場した佐川たちに、自分たちもいつかこうなれたらと、思わずにはいられなかった。

 佐川たちが最初の曲を演奏しだす。その瞬間から、神原はライブハウスのボルテージが、自分たちのときよりもさらに高まったことを感じた。全員が身体を揺らしてリズムに乗っていて、ただ立ち尽くすだけの人間はここには一人もいないように思える。

 そして、それは神原たちも同様だった。先月に発売されたニューアルバムの一曲目を飾っているこの曲は、ストレートなロックチューンで、速いテンポに身体が自然に動く。

 きっとここに来るまでに、何度もアルバムを聴いてきているのだろう。観客の反応は水を得た魚のようで、ライブハウスにこもる熱気は、よりその温度を増していた。

 ライブは疾走感を持って進んでいく。佐川たちが曲を演奏する度に観客の盛り上がりは増していくようで、その様子は神原に興奮のるつぼという言葉さえ浮かばせる。

 佐川たちの演奏はキレと勢いがあって、観客を熱狂の渦に巻きこんでいく。

 佐川たちはパンク色の強いバンドで、曲もBPMが速く盛り上がるものが多い。それを差し引いても、この日のライブハウスは出色とも言える盛り上がりを見せていた。

 テンションが上がっている観客に佐川たちも高揚感を得ているのか、演奏をする表情は真剣ながらも充足感が漂っている。

 バンドと観客の相互作用は、螺旋階段を駆け上がるような正の循環を見せていて、神原もこんなに楽しいライブは久しぶりだと心から思えた。

 アンコールを含めた佐川たちのライブは、好評のうちに幕を閉じていた。演奏する曲全てで佐川たちは観客の心をがっつりと掴んでいて、新譜をリリースしてから最初のライブにふさわしかったと、神原には感じられる。このまま何分でも、熱を持った雰囲気に浸っていたい。

 だけれど、この日も神原にはそんなことは言ってはいられない。神原は拍手もそこそこにフロアの後方、出口近くに向かう。そこには長机が二脚並んでいて、テーブルの上にはCDの現物やグッズの写真が置かれていた。CLUB ANSWERにロビーはなく、神原はフロアの中でライブ後の物販に臨む必要があった。

 ライブが終わってフロアの照明が点くと、観客の満足した心地が、神原には流れている空気で感じられた。誰も彼もが今日のライブを楽しんだようで、良い雰囲気の中で物販ができるのは、神原にとってもやりやすい。

 観客が続々と出口に、物販コーナーに向かってくる。佐川たちのCDやグッズがテンポよく売れていく。

 途中からはマネージャーだろうか、男性に替わって少し休憩を挟んだ佐川も物販に立って、観客の応対をしていた。今日のライブの感想を直に伝えられていて、神原は羨ましく感じる。

 少しずつ観客が帰り始める中で、自分たちのCDやグッズはまだ一つも売れていない。今日のライブは今まででも有数の盛り上がりを見せた実感があったのに、それでもダメなのか。もしくは佐川たちのライブに、印象が上書きされてしまったのか。

 人が途切れなく訪れている佐川の隣で、神原は焦燥感を抱いてしまう。自分たちのライブは観客に届いた。その実感が、音を立てて揺れ始めていた。

 観客が一人、また一人とライブハウスを後にしていく。その度に神原の心にかかる負荷も大きくなっていく。

 今日もまた何一つ売れずに物販を終えてしまうのか。

 そう神原がしょぼくれかけた、そのときだった。神原のもとに一人の女性がやってきたのだ。

 神原もライブ中もステージから見ていて、曲に乗ってくれていると神原も認識していたが、以前にその女性を見た記憶はない。それでも、その女性は前までやってくると、躊躇なく神原に声をかけていた。

「あの、最初にライブをしたバンドのギタボの方ですよね? 確か、名前は神原さん」

 名前を呼ばれたことに神原はかすかに驚く。メンバー紹介で一回言っただけなのに、それだけで把握してくれたのだろうか。

「はい、そうですけど。えっ、もしかして僕たちのこと知ってたんですか?」

「いえ、申し訳ないんですけど、今日初めて聴きました」

「そうですか」

「あっ、でもライブ良かったと思います。初めて聴いたんですけど、何の問題もなく乗れる曲ばかりで。今日のライブ楽しかったです」

「それはありがとうございます」そう応えながら、神原は今までにないほどの期待を抱かずにはいられない。まさかわざわざ話すためだけに、自分のもとに来たわけではないだろう。

 神原はじっと女性の次の言葉を待つ。その女性は話の流れに乗るようにして、再び口を開いた。

「あの、この『日暮れのイミテーション』一枚いただけますか?」

 それは神原がずっと言われたかったけれど、なかなか言ってもらえなかった言葉だった。思わず「本当ですか!?」という言葉が、喉まで出かかる。

 でも、それは自分たちのCDを欲しいと言ってくれた女性に失礼だろう。だから、神原は何とか堪えて「ありがとうございます!」と答える。その声には、隠しきれない喜びが溢れ出ていた。

 代金を受け取りCDを手渡すと、神原には心に大輪の花が咲いたような感覚がした。売れたのはたかが一枚でも、神原にとっては初めてだから、何十枚にも相当するように思える。自分たちの活動がようやく目に見える形で報われたことに、自然と表情が緩んでしまう。

 今までの嫌な思いも、一瞬で吹き飛んでしまうかのようだ。

「ありがとうございます。これからもバンド頑張ってください。応援してます」その女性はCDを買ってくれたばかりか、そう言葉をかけてくれてさえいて、神原の気持ちはより舞い上がる。

「ありがとうございます!」と応えた声には、バカみたいに思えるほどの明るさがこもっていた。

 女性がライブハウスを後にすると、フロアに観客はいなくなる。物販も含めて今日のライブは全て終了した。

 神原は片づけを始める前に、佐川から「よかったじゃん」と声をかけられる。佐川は本当に祝福するような表情を向けていて、神原も歯切れよく応えられる。

 売り上げはCD一枚でした。そう黒島や吉間に報告したら、それだけ? という顔をされてしまうかもしれないが、神原は自分の手でCDを売ることができた達成感に浸っていた。

 神原たちは一二月にもう一度だけライブをして、年内の活動を終えていた。

 初めて訪れたライブハウスでのライブは、凄く盛り上がったとはとても言えない。けれど、三〇人ほどの観客がまったく沈黙していたかと言われれば、それも違うと神原には思える。

 観客はちゃんと自分たちの曲を聴いてくれていたし、何人かは身体を小さく揺らしてくれていた。

 でも、フロアに熱気は生まれておらず、そのライブを形容するのには「平凡」という言葉が、しっくり来るような気が神原にはする。

 だけれど、微塵も盛り上がらなかったライブを経験した後では、平凡というレベルにまで持っていけているだけでも、自分たちは成長しているのかもしれないと神原には思えてしまう。

 実際、ライブ後に物販で自分たちのCDを買ってくれた観客も一人だけだけれどいて、神原にはたとえ亀のように遅くても、自分たちが一歩一歩足を前に進められている感覚があった。

 もちろんこの程度で満足してはいけないが、それでも神原は以前よりもバンドを続けることを、前向きに捉えられるようになっていた。

 新しい年を迎えても、神原には何ら変化は訪れなかった。二月に予定されている次のライブに向けて、貸しスタジオでバンド練習をしたり、家で新曲を作ることの繰り返し。

 毎日のように入っているアルバイトも含めて、神原は去年と同じような日々を過ごす。飯塚や吉間から新譜を出すという話もまだ聞かされていない。当然自分たちは新譜を出したいし、曲も増えてきているのだが、なかなか吉間たちは首を縦に振ってくれない。

 もしかして、このまま二作目を出せないまま、ECNレコードとの契約は終わってしまうのではないか。

 まだ契約の終了日までに日数はあったものの、一日一日が何事もなく過ぎる度に、神原には危機感が募っていた。

 その日は一月も三週ほどが過ぎ、世間の正月ムードもすっかり明けた頃に訪れた。神原たち四人は吉間から「全員で話したいことがある」と言われ、ECNレコードの事務所に集合していた。

 面談スペースに座っていると、少しして吉間がやってくる。手には何も持っておらず、神原は良い予感と悪い予感を同時に抱く。

「皆、今日は来てくれてありがとう。じゃあ、さっそくだけど本題に入るな」

 自分たちの前に立って口にした吉間に、神原は心の準備が追いつかない。口々に発せられた四人の返事には、緊張の色がはっきりと滲んでいた。

「まずは今回、ECNレコードはChip Chop Camelとの契約を一年延長することになった」


(続く)


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