【小説】ロックバンドが止まらない(63)
ライブの開演時間は予定通り訪れる。午後の六時をほんの少しだけ過ぎた頃、フロアの照明は落とされ、ステージは赤い照明で照らされる。
その瞬間、フロアからは歓声が上がった。佐川たちの登場SEに合わせて、手拍子が鳴らされる。そして、それは佐川たちが登場すると、より大きな歓声となって弾ける。神原たちも叩く手を止めなかった。
やはりワンマンライブである今日ここには、佐川たちのファンやリスナーしかいない。神原は沸き上がった歓声に、改めてそう認識した。
佐川が右手を挙げて登場SEを止める。手拍子や歓声が止んだライブハウスには、一瞬の静寂が訪れる。
でも、それはドラムのカウントに合わせて開始された演奏で、一気に剥ぎ取られた。
佐川たちが一曲目に演奏したのは、佐川たちの曲の中でも人気が高く、何度もライブで演奏している代表曲のうちの一曲だった。
速いテンポで駆け抜けるこの曲は、きっと今日の観客にも好きな人が多いのだろう。イントロから神原は、フロアの熱気がギアを入れ替えたかのように急に上がったことを感じる。神原も大好きな曲だから、身体が自然とリズムに乗り、サビでは手を振り上げられる。
それは他の観客も同じだったようで、ライブハウスにはまだ一曲目とは思えないほどの盛り上がりが生まれていた。佐川たちの演奏にも、今日はまた一段とキレがある。
演者と観客の相互作用で熱量を増していくライブハウスは、今日のライブが長く記憶に残ると、神原に感じさせるのには十分だった。
佐川たちはライブMCをほとんど挟まないまま、立て続けに曲を演奏していく。人気曲や定番曲が惜しげもなく披露されるセットリストは、観客を大いに沸かせていた。フロアに充満する熱気は、純粋にライブが楽しいという感情を観客たちに届けている。
佐川たちも力と熱量の限りを込めた演奏をしていたけれど、でもそれは鬼気迫るという感じはまったくなくて、あくまで観客に楽しんでもらおう、自分たちができる最高のライブを届けようということを優先させているようだ。神原たち観客も、演奏される曲たちに浸ることができる。
神原だって当然のように楽しさを感じている。でも、ふとした瞬間にこれで最後なんだという思いが浮かんで、高揚感はいったん途切れてしまう。それは考えないようにすればするほど、頭の大きな部分を占めていて、曲に合わせて身体を揺らしたり手を振り上げていたとしても、神原には時折乗りきれない瞬間が訪れる。
波のように寄せては返す感情に、神原はライブを見ながら、強く揺さぶられていた。
佐川たちは大きな間を置かないまま、一六曲を演奏しきった。佐川たちの一〇年あまりの活動期間を凝縮したようなライブは、神原たちの胸にも深く突き刺さる。ここまで心に直接届いてくるライブは、神原には久しく見たことがないと思えるほどだ。
きっと他の観客もそうだったのだろう。佐川たちの新旧の人気曲を集めたベスト盤にも等しいセットリストは、一曲残らず観客の心を掴み、ライブハウスに大きな興奮を生んでいた。最後の方では突き上げるかのような盛り上がりに、神原はフロアが揺れていると錯覚してしまったほどだ。
演奏を終えてフロアを見たときの佐川たちのやりきったかのような表情は、神原には長く忘れられそうにない。
これで終わりにしたくない。観客全員が抱く思いが、手拍子となって表れる。神原たちも迷うことなく手を叩く。
手拍子が速くなったり遅くなったりを繰り返して、数分が経った頃だろうか。佐川たちは再びステージに登場した。その瞬間に、フロアからはこの日一番とも思える歓声が上がる。
ライブがまだ続くことは、神原にとっても感謝以外の思いしかなかった。
「アンコールありがとうございます!」
そう言って佐川たちが演奏したのは、佐川たちの曲の中でも一番と言っていい人気曲だった。佐川たちがインディーズデビューを果たした頃からあるこの曲は、きっともう何十回、いや何百回と披露してきているのだろう。
本編では演奏されなかったから、アンコール用に取っておいてあるはず。そう誰もが思っていたとしても、待望の曲にイントロから、観客のテンションは再びぐっと引き上げられる。神原も何回も聴いた大好きな曲だ。意識せずとも自然に身体が揺れる。
サビで手を振り上げると、神原はこの場にいる全員が一体化しているような感覚を抱く。演者も観客も関係なく、一つの最高のライブを作り上げている。その一端を担えていることは、神原にはとても光栄なことだった。
「皆さん、改めて今日は僕たちのワンマンライブに来てくれてありがとうございます! モントリオールです!」
演奏の興奮も冷めやらないうちに、佐川はこの日初めてとも言っていいライブMCを始めていた。そう呼びかけた佐川に観客は熱のこもった拍手で応える。佐川たちはその光景をじっくりと味わうかのように、ステージの上から眺めていた。
観客たちの拍手は鳴り止むことはない。名残を惜しむかのように。佐川たちに、自分たちの想いを余すことなく伝えるかのように。
「最後のメンバー紹介をします」佐川はそう言ってバンドメンバーに話を振る。ベースの北沢やドラムの大槻が、今日を無事に迎えられたことや集まってくれた観客に対しての感謝を述べる。
重みのある言葉に、神原たち観客はじっと聴き入る。本当にこれで最後なのかと思うと、神原にはもう涙ぐんでさえきそうだ。
でも、二人は晴れやかな顔をしていて、このライブを心から楽しんでいるようだった。自分が一方的に泣くわけにはいかないと、神原はどうにか涙を堪える。できることなら、最後は笑顔で終わりたかった。
「えー、そしてギター・ボーカルの佐川匡一(さがわきょういち)です。皆さん、改めて今日は来てくれてありがとうございます!」
二人が話し終えると、佐川は再度観客に向けて呼びかけた。観客も飽くことなく手を打ち鳴らす。
「ありがとうございます。改めてですが、僕たちモントリオールは今日をもって解散することになりました」
再確認するかのように言う佐川に、フロアは水を打ったように静まり返った。きっとこれは、佐川たちの最後のライブMCだ。フロアは一言一句聞き漏らさまいという空気に満ちている。
「僕たちはこの下北沢SKELTERで出会いました。お互い別々のバンドを組んでいて、イベントで共演したのが知り合うきっかけとなりました。で、それぞれのバンドが解散してどうするとなったときに、一回貸しスタジオに入って音を鳴らしてみようと。あの日あの瞬間に感じた万能感は、今でも鮮明に覚えています。この三人ならどこまでもいけると、そう強く感じました」
結成当時を振り返る佐川に、観客は無言で頷いている。神原も、心の中で首を縦に振っていた。
「あの日からおよそ一〇年。ここでは言い切れないほど色んなことがありました。困難や挫折もいっぱい経験しました。心が折れそうになる瞬間も、何度もありました。それでもどうにか踏ん張って、この三人でここまでバンドを続けられてきたこと。それは僕たちにとって、間違いなく誇りです。この三人でバンドを組めてよかったと、僕は今心の底から思っています」
佐川の語りは、神原の胸の奥にまで染み込んでいく。その言葉には、何があっても今日までめげなかった人間のプライドが滲み出ていた。
「確かに僕たちはメジャーデビューできなかったかもしれません。どこまでもまではいけなかったかもしれません。もしかしたら、僕たちが刻んできた時間には、意味はなかったという人もいるかもしれません。でも、僕たちははっきりとそれは違うと言うことができます。僕たちがバンドを続けてきた一〇年間には、確かに意味があったんだと。それは今日ここにいる皆さんが証明しています。ワンマンライブで、ここまで多くのお客さんを集められたこと。この光景に何の意味もないなんて、絶対誰にも言わせません」
観客から今日何度目かも分からない拍手が生まれる。神原たちも手を叩く。それはここまでバンドを続けてきた佐川たちに対する祝福に他ならなかった。
「今日までバンドを続けてきた自分たちに、今日ここに集まってくれた皆さんに、そして今まで僕たちに関わってくれた全ての人たちに、ありったけの感謝の思いを込めてこの曲を捧げます! 『Be a Star』!!」
コールして佐川たちが演奏しだしたのは、これまた佐川たちの代表曲のうちの一曲だった。疾走感のあるビートが特徴のロックチューンである。
待望していた曲が演奏されたことに、フロアの熱気はまた一段階上がった。誰も彼もが音楽に乗り、手を振り上げているように神原には見える。
英語詞の曲でも、神原はその歌詞の意味を知っている。自分たちの未来が輝かしいものであることを願う歌詞は、神原の胸の深くにまで届いた。涙さえ出そうだ。
でも、神原は泣くことなく曲に乗り続けた。ここは悲しい場ではないし、それよりも佐川たちの力の入った演奏に、神原は心から魅了されていた。
(続く)
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