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【小説】ロックバンドが止まらない(88)


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「では、皆さん。今日はお疲れ様でした。乾杯!」

 そう神原が音頭を取ると、四人掛けのテーブルを二つ合わせた席から口々に、「乾杯」との声が上がる。神原も与木たちやCLUB ANSWERのスタッフらと、生ビールが入ったジョッキを突き合わせる。

 苦味を伴った喉ごし。でも、それが気持ちいいと思えるくらいには、神原は打ち上げで飲む酒に慣れてきていた。

「いや、ひとまずは最後までライブができてよかったよな。練習で何度も通して練習してきたとはいえ」

「そうだね。練習と本番はやっぱり別物だもんね。私も無事にライブを終えられて、今はとてもホッとしてるよ」

「ああ、俺も達成感がある。実際、今日は俺たちの初めてのワンマンだったんだけど、成功したって言っていいと思う」

「そうだな。演奏にも気になるところはあったけど、致命的なミスは全員なかったわけだし、観客も盛り上がってた。初めてのワンマンにしては、なかなかいいライブができたと俺も思ってる」

「最初の『RHETORIC SUMMER』から盛り上がってたもんね。『待ってました!』って感じで。一曲目に持ってきて正解だったなって思えたよ」

「だな。それからも、俺たちの演奏もフロアの熱も落ちなかったわけだし、何より観客が俺たちの曲を好きなのが、一番後ろにいてもはっきりと感じられて嬉しかった」

「アンコールも盛り上がってたしな。きっと多くの人が『良かった』って思いながら帰ってくれたと思う。初めてのワンマンでそういったライブができて、俺も自信になった」

 テーブルの中央に座った神原たちはビールを飲んだり、料理を食べたりしながら話を弾ませる。長丁場のワンマンライブを終えた疲れはあるものの、それもビールと料理と店内の雰囲気に、心地よい感覚に変換されつつあった。神原もアルコールが回り始めて、気分が良くなり始める。

 でも、そんな良好な雰囲気の中で、与木はぽつりと刺すように呟いた。

「……でも、全部がうまくいったわけじゃねぇだろ」

 その言葉に、神原はハッとした。今日のライブが百点満点かと言われると、それは絶対に違う。その思いが、与木にはとりわけ強いようだった。

「そうだな。初めてとはいえ、フロアの半分も埋められなかったわけだしな。俺たちの知名度はまだまだなんだって思い知らされたよ。もっと曲作って、CD出して、ライブやって、人気を獲得していかねぇとな」

 神原だって充足感はあるものの、それでもここで満足してはいられないという気持ちも同時に抱いている。だから、与木に同調することにもためらわなかった。

「そうだな。人気もそうだけど、演奏ももっと向上させてかなきゃな。今日は今までにないくらい多くの曲を演奏したから、さすがに最後の方には疲れも見えてたし。俺も後半になるにつれて、ちょっとずつリズムキープが雑になってきてたから。それは本当に悪いと思ってる」

「そんな、瞳志君だけじゃないよ。疲れてたのはみんな一緒なんだから。それでも今日はどうにか堪えられたけど、今後に向けてもっと体力をつけたり、長時間の演奏にも全員が慣れていく必要はあるよね」

「ああ。まあ、それはこれから頑張るとして、とりあえず今日は呑んでお互いを労おうぜ。ほら、与木も。疲れてるのは分かるけど、そんな暗い顔すんなよ」

「……別にしてねぇけど」

「そうだな。お前が思ってるように、これで満足はしてられねぇよな。俺たち、まだまだこれからだよ。さっそく来月には、次のシングルのレコーディングも控えてるわけだし。これからよりいっそう、バンド頑張ってこうぜ」

 神原がそう言うと、与木も小さく頷いていた。お互い目指すところは一緒だ。もっと人気のバンドになって、音楽一本で生活できるようになって、いずれは武道館でのライブを成功させる。同じ画を描けていたからこそ、与木の小さなリアクションが神原には心に沁みた。

 それからも、神原たちはCLUB ANSWERのスタッフとともに、打ち上げを楽しんだ。「また、うちでライブをしてよ」と黒島に言われ、神原たちは「もちろんです」と、考えるまでもなく頷いていた。

 メジャーデビューしてから初めてのフルアルバムのリリースが決まった。そう神原たちが八千代から伝えられたのは、二枚目のシングルのレコーディングを終えたその翌週だった。

 神原たちはサニーミュージックと契約する際に、最低でも一枚はフルアルバムを出すという約束を取り交わしていたから、そのことは神原もあらかじめ分かっていたが、それでも事務所に集められて八千代の口から直接聞いたときは、やはり嬉しさは計り知れず、思わず「やった!」と子供みたいな声を出しそうになるほどだった。園田たちも、目に見えて表情を明るくしている。

 アルバムをリリースするというミュージシャンの本懐が果たせることは、誰にとっても栄えあることだ。たとえ、発売日は来年になると言われても、それくらいの時間がかかるのは当然だし、神原はまったく構わなかった。

 二枚目のシングルが一一月に発売されるまで、神原たちには五回ものライブの機会があった。どれもワンマンライブという訳ではなかったが、その全てが神原たちにとって大事なライブであることには違いない。神原たちの練習にも、より熱が入っていく。

 一回一回が、自分たちのファンやリスナーを拡大できる貴重なチャンスだ。だから、神原は個人練習もバンド練習も、一つも疎かにしなかった。たとえ、アルバイトがある日にも毎日ギターに触れるようにした。

 ライブでは、日々の積み重ねが如実に表れる。だから、一日たりとも神原は無駄にできなかったし、それは園田たちも同じで、スタジオに入る機会が増えても、バンド練習は毎回高い集中力を保って行われていた。

 ライブやバンド練習と並行して、神原たちはミュージックビデオの撮影や取材等のプロモーションにも精力的に取り組んだ。雑誌にウェブメディアにラジオ。四人で取り組むものもあれば、神原一人の出番のものもあって、それはバンド練習と同じ日に入れられることもあった。

 取材やラジオ出演の依頼は着実に増えていて、少しずつでも人気が出つつあることに神原も手ごたえを得る。アルバイトをする日も含めて、神原のスケジュールは毎日何かしらの予定が入っていて、それなりに大変ではあったものの、忙しいことは神原には幸せなことに思えた。

 それは二枚目のシングル『STAND UP ME』が発売されて、二週間が経った日だった。

 その日も神原たちは、サニーミュージックのスタジオに入ってバンド練習をしていた。翌週には『STAND UP ME』のリリースを記念した、二回目のワンマンライブが予定されている。神原たちもセットリストを通しての練習に余念がない。

 それでも、その日は普段と少し様子が異なっていた。神原は集中していたのだが、他の三人の演奏はどことなく本調子ではなかった。特に園田が精彩を欠いていて、リズムキープもうまくいかなかったり、普段ではしないようなミスも見られた。

 それでも、神原は少し不満に思いつつも口うるさく責めることはしない。人間なのだから、誰だって調子の波があるのは当たり前だろう。本番で満足のいく演奏をしてくれればいいだけの話だ。

 それでも、園田の調子は練習が終わるまで上がりきらなかった。自分でも不十分な演奏をしてしまったことが分かっているのか、練習が終わるとすぐに「ごめん」と謝ってくる。

 その少し焦った表情に、神原は心配せずにはいられない。

「園田、お前どうかしたのかよ。今日あんま調子よくなかったじゃんか」

 万が一にも責めていると受け取られないよう、神原は何気ない口調を心がけた。久倉と与木も、気がかりだという目を園田に向けている。三人分の視線を浴びて、園田はバツが悪そうな顔をする。

「それは自分でも分かってた。今日私足引っ張っちゃってたよね。本当にごめん。次のバンド練習までには、どうにか立て直すから」

「いや、それならいいんだけどさ、本当に大丈夫か? なんか気がかりなことでもあったのかよ」

「う、うん。ちょっとね。でも、大丈夫だよ。泰斗君たちには関係ないことだから」

「いや、関係あるだろ。お前が精彩を欠いた演奏をして困るのは、俺たちなんだから」そう久倉がツッコむ。神原も同感だ。今の園田は、調子が悪いことを観客にも感づかれてしまいそうなほどだった。

「そうだよ。よければ話してみてくれよ。いや、俺たちが力になれるかは分かんないんだけど、それでもさ」そう神原は投げかけてみる。

 園田は少しためらう様子を見せた後に、「あの、怒らないで聞いてね」と前置きをしてくる。だから、神原は最悪の事態まで想定して、内心で身構えた。

「バンド練習さ、少し減らせないかな……?」

 園田がそう言った瞬間、スタジオの空気がかすかに張り詰めたことを神原は感じた。それくらい園田が言ったことは、デリケートな問題だった。

 想定していた最悪の事態よりはまだマシだったけれど、それでも神原は反射的に否定したくなる思いを抱える。

 自分たちはメジャーデビューして初めてのフルアルバムを発売しようとしている、大事な時期なのだ。ライブもいくつか控えているなかで、バンド練習の機会を減らすなんてありえない。

 でも、それは園田だって分かっているだろう。神原は頭ごなしに否定することをせず、一呼吸置いてから「どうしてだよ?」と尋ねる。でも、その言い方は少し高圧的で、園田は若干委縮してしまっていた。

「実はね、今バイト先がえらいことになってるんだ。ちょっと前に一人辞めてただでさえ人手不足なのに、先週になってまた一人が辞めちゃって。人が足りなくて、私もほとんど毎日シフトに入ってるような状態なんだよね」

「それって、今日みたいなバンド練習の日でもか?」

「うん、そう。弱音を吐きたくはないんだけど、でも正直言うと、最近ちょっと疲れてきちゃって。もちろん今が大事な時期だっていうのも、バンド練習の機会を減らすべきじゃないっていうのも理解してるよ。でも、まだ新しくバイトを入れる見通しが立ってない今は、私がシフトに入るしかないんだよ」

 そう訴えてくる園田に、神原は「そっか。それは大変だな」としか言えなかった。アルバイトを辞めればいいと言うのは簡単だけれど、園田が陥っている状況を考えたら無責任すぎるだろう。

 メジャーデビューをしたとはいえ、まだCDや曲の印税だけで食べていけるまでには、神原たちはまだなれていない。バンドを続けることはただでさえお金がかかる上に、日々の生活も神原たちは送らなければならないのだ。

 だから、アルバイトを辞めるという選択肢は、あまり現実的ではなかった。神原だって同じ状況になれば、アルバイトを続けているだろうと感じる。

「うん。だからさ、本音を言えば少しだけ休む時間がほしいんだ。今日だって、帰ったらすぐにまたバイト行かなきゃなんないし。本当どうにかなんないかな?」

 縋るような園田の目は、嘘を言っているようには神原には見えなかった。

 当然、神原だって何とかしたい気持ちはある。でも、これは自分の力が及ぶ範囲ではないとも感じてしまう。当人である園田にさえ、解決できない問題だ。

 だから、神原たちができることは、せめて理解を示すことくらいしかなかった。

「そういうことなら、俺はバンド練習のペースを少し落としてもいいかな」

「おい、神原」そう口を挟んだ久倉の口調には、「嘘だろ」とでも言いたげな色が含まれていた。神原だって、自分が進むべきでない方向に歩み出そうとしていることは分かっている。

 だけれど、園田の現状を解決できるような妙案は、神原にはすぐには思い浮かばなかった。

「いや、俺だってできればペース落としたくねぇよ。でもさ、だからって俺たちに何かできるか? このまま無理して練習して、ライブ本番で疲れてうまく演奏できなかったら、そっちの方がダメだろ」

「いや、それはそうだけどさ……」

「分かってるよ。今が頑張んなきゃならない時期だってのは、俺だって。でも頑張りすぎて身体でも壊したら、元も子もないだろ。俺は少しでも長くこのバンドを続けていたい。そのためには、たぶん今の園田には少し休息が必要なんだよ」

 園田の肩を持つのは当然だ。神原はそう感じていた。自分だって同じ状況に陥ったら、同じことを言われたいと思うだろう。

 言葉に加えて目でも訴えかけたことが効いたのか、久倉は「まあ、また少し話し合ってから決めようぜ」と一定の歩み寄りをしてくれた。与木も頷いて同意を示している。

 まだどうなるかは分からない。でも神原には、園田の表情に少しだけ安堵の色が滲んだように見えた。


(続く)


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