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【小説】ロックバンドが止まらない(89)


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 神原たちが日を改めて話し合った結果、バンド練習を一回だけ全員で休むことが決まった。

 二度目のワンマンライブが近づいてきているなかで、貴重な全員での練習の予定を取り消すことは神原には不安しかなかったが、それでも背に腹は代えられなかった。きっと何とかなるだろうと、神原たちは自分たちを信じるしかない。

 幸い一度休んだことで、園田も調子を取り戻したのか、休み明けの練習は滞りなく進んだ。絶好調とはいかないまでも、リズムキープは正確性を増し、目につくようなミスもしていない。神原も、ワンマンライブにはさほど支障は出ないだろうと思えた。

 そうして迎えたワンマンライブの日は、朝から冷たい雨が降っていた。厚手のアウターを羽織ってもなお寒さが感じられて、神原は一年の終わりが着々と近づいてきていることを思う。

 駅に集合し、この日の会場である下北沢SKELTERに到着すると、既に機材の準備は整っていて、四人はすぐにリハーサルを開始できた。マイクやアンプからちゃんと音が出ていることを確認し、四人は先日発売されたばかりのシングルのリード曲である「STAND UP ME」を演奏する。相変わらず緊張はしていても、まだ肩に力は入っていないからか、四人は練習した通りの演奏ができた。神原には気がかりだった園田のベースも問題なく、バンドの一パーツとして溶け込んでいる。

 昨日もアルバイトをしていたそうだが、その疲れは少なくともリハーサルの段階では見られなかった。

 開場時間になってフロアに観客が入り始めてからしばらくして、神原の耳は客入れのBGMとともに聴こえてくる観客の話し声を捉えた。数十分前に確認したときには、まだ雨は降り続いていたが、それでも自分たちのワンマンライブに足を運んでくれたことに、神原は感謝の念を抱かずにはいられない。

 あくまで前売り券の段階だが、八千代から聞いた限りでは前回のワンマンライブよりも、チケットは売れている。

 どうせライブをするのなら、一人でも多くの観客の前で演奏したい。明確な言葉にしなくても四人ともが同じように感じていることが、神原には楽屋に流れる空気から分かった。

 開演時間になるとフロアは照明が落とされて、観客はにわかに沸き始める。

 そして、神原たちの登場SEが流れ出すと、期待する空気は曲のリズムに合わせた手拍子に姿を変えた。それは前回と比べるとわずかに小さかったが、それでも神原たちのモチベーションをもう一段階高めていく。

 そして、登場SEがサビに差しかかったタイミングで、神原たちはステージに登場した。その瞬間観客から上がった歓声は、前回よりは少しトーンダウンしていた。

 それもそのはず。今日やってきた観客は大きく減ってはいなかったものの、それでも前回と比べると少ないことが神原には感覚的に分かってしまう。

 かすかに落胆はするものの、それでも『STAND UP ME』は『RHETORIC SUMMER』よりもセールス面では上回っていた。自分たちの人気が落ちたわけではなくて、外で降っている雨が今日来るはずだった人たちを億劫にさせているのだと、神原は思いこむ。

 実際、天気のせいにすることが誰にとっても一番角が立たなかったし、たとえ観客が何人だろうと、神原たちがやることは少しも変わらなかった。

 登場SEを止めると、神原たちは視線を交わして一斉にそれぞれの楽器を鳴らし始めた。観客に向き直って、神原は「こんにちは! Chip Chop Camelです! よろしくお願いします!」と呼びかける。

 観客も手を挙げたり拍手をして反応してくれる者が多くて、この天気のなか来ているということは、相応に自分たちの曲が好きなのだろうと、神原には感じられる。その期待に恥じないライブをしなければと、より強く思える。

 神原たちは、そのまま一曲目の演奏に雪崩れこんだ。『FIRST FRIEND』の収録曲であるこの曲は、シンプルなエイトビートが乗りやすい曲だ。

 この日もぴったりと揃った演奏を披露する神原たちに、観客もリズムに乗ることで応えてくれる。ライブハウスの雰囲気は滑らかで、今日も悪くない滑り出しができたと、演奏しながら神原には思えていた。

 神原たちは、立て続けに三曲を演奏する。どの曲もメジャーデビューしてからリリースした曲だったから、観客も思い出しやすかったのだろう。反応は上々で、ライブハウスの雰囲気だけで言うなら、観客の人数は少し減っているものの、それでも前回のワンマンライブにも劣っていないように神原には感じられた。

 それは三曲を演奏し終えて、短いライブMCを神原が行ったときにも反映される。神原が改めてバンド名を名乗ると、観客は再び拍手で応えてくれた。その音量は全員が手を叩いていると錯覚させるほどのもので、神原は思わず感じ入ってしまいそうになる。

 ここまでは四人ともが最適な演奏ができているし、前回の反省を生かして、飛ばしすぎているという自覚も神原にはない。この調子でいけば、自分たちの理想とするライブに少しでも近づくことができるはずだ。

 しかし、そんな神原の期待は早々に泡と化す。四曲目はインディーズ時代から何度も演奏している曲だからよかったものの、五曲目に神原たちが演奏したのは『STAND UP ME』に収録されているカップリング曲だった。

 変則的なリズムを持ち、曲の構成も少し複雑なこの曲を、神原たちはこの日初めてライブで披露する。もちろん難しい曲だと分かっていたから、他の曲よりも練習に多くの時間を割いている。

 しかし、それでもなおこの日の演奏は、神原にとっては理想的なものではなかった。大きな破綻はきたしていないが、テンポは微妙にずれてしまっていて、演奏しながら神原は違和感を覚えずにはいられない。練習不足という言葉が脳をかすめる。

 同じように感じているのか、観客の反応もそれまでの四曲よりは薄かった。発売されたばかりのシングルのカップリング曲だから、元々そこまで浸透していないのかもしれない。

 でも、歯車がいまいち噛み合っていない印象は、神原には拭えない。心がざらついて、演奏時間も引き延ばされたかのように長く感じられる。

 それでも、六曲目はシンプルな曲構成の「SIXTY DICE」だったから、神原たちはいくらか持ち直すことができていた。歯車もまた噛み合い始める。

 それでも、フロアには少し微妙な雰囲気が漂ったままだった。まるっきり反応がないわけではない。それでも、一つ前の演奏で水を差されたかのように盛り下がってしまっている。

 自分たちは不備のない演奏ができているのに、たった一曲うまくいかなかっただけで、ここまで空気は変わってしまうものなのか。神原はライブが水物だということを、改めて痛感していた。

 それからも、ライブハウスの雰囲気は少しずつ上向いてきてはいたものの、その変化はとても緩やかで、神原たちをじわじわと追いこむかのようだった。そんななかでも神原は、練習でできていた通りの演奏をしようと努める。

 それでも、隣で聴いていて園田のベースがわずかずつでも狂い始めていることを、神原は感じ取ってしまう。ここ最近のアルバイトの連続で、間違いなく今一番疲れているのは園田だ。疲労もあって、フロアからの影響を受けやすくなっているのだろう。

 演奏には少しずつハリが失われてきて、久倉との息が合わない場面も、ぽつぽつとだが見られるようになってきた。現時点ではまだ一〇曲にも達していなくて、最後まで持つのだろうかと神原はにわかに焦り始めてしまう。

 それでも、園田は自分以上に焦っているはずで、今神原たち他の三人にできることは、正確な演奏を心がけて、園田を助けることしかなかった。

 神原たちが特別なことはせず、普段よりもレコーディングした原曲通りの演奏に努めたおかげか、園田も大きく崩れることはなく、なんとかライブ本編が終わるまで持ちこたえてくれていた。

 そのせいで臨場感は少し犠牲になって、フロアも前回のワンマンライブよりは盛り上がっていなかったが、それもこの日の神原には致し方ないことだと思える。

 もちろん満足はいっていないが、それでも無理にボルテージを上げたら園田はついてこられず、演奏は破綻をきたしていただろう。それよりも、神原たちは着実にライブを完遂することを選んでいた。

 ライブ本編を終えて神原たちがいったん楽屋に戻ってくると、園田は崩れ落ちるかのように椅子に座り込んでいた。汗も四人のなかで一番かいていて、顔には疲労の色がはっきりと滲み出ている。その姿は、再び立ち上がるにも少し時間を要しそうに神原には見えた。

 でも、そんな園田の姿なんて観客は知る由もなく、フロアからはアンコールを求める手拍子が聴こえてくる。

 最高のライブができたとは言い難い今日の出来でも、まだ自分たちを求めてくれることは神原には純粋にありがたい。でも、疲れた様子の園田を見ていると、いささか厳しい要求のようにも神原には思えてしまう。

 当然、アンコールに応えたい気持ちはある。でも、今の園田を見ていると、無理やり引っ張ってでもステージに立たせることは、神原には気が引けていた。

「どう? 園田。いけそう?」

 手拍子にかき消されないはっきりとした声で、神原は尋ねる。園田は少し呼吸を整えると、わずかに口元を緩めていた。

「うん、行くよ。これだけ待ってくれてるんだから、行かないわけにはいかないでしょ。アンコールは一曲だけでしょ。それだったら何とか持ってくれると思う。その代わり、あとちょっとだけ休ませてくれる?」

 そう言った園田に、神原たちは頷くほかない。強制ではないけれど、アンコールには応えたいと四人ともが思っていた。

 座ったら身体も休んでしまいそうで、神原たちは立ったまま、しばし園田がしたいように任せる。

 園田は「よし」と、二分と経たないうちにまた立ち上がっていた。ゆっくりとした動作に、疲労のほどを改めて神原は感じる。

 それでも、「じゃあ、いこっか」と園田が言って、四人は再びステージに向かった。手拍子が続く中、ステージに登場する。

 再び起こった拍手や歓声を聴きながら、神原たちは楽器を構えた。演奏が始まる前に神原は、ちらりと横目で園田を見る。大きく息を吐く姿は、この日最後の曲に向かうエネルギーを、自分の奥底から掘り起こそうとしているようだった。


(続く)


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