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【小説】ロックバンドが止まらない(87)


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 神原が出演したラジオ番組は、さっそく収録されたその週の土曜日に放送された。

 神原もリアルタイムで放送を聴いたが、序盤こそ緊張が見えたものの、自分が思っていたよりも、ラジオの中の自分はスムーズに喋っていた。きっとうまく喋れたところだけを抜粋して、編集しているのだろう。神原は、編集作業が及ぼす影響の大きさを思い知る。

 ラジオの中の自分は澱みなく話していて、きっと宣伝効果はあるだろう。この番組を聴いて、自分たちを知ったり興味を持ってくれる人もいることだろう。

 そう考えると、神原は何度もシミュレーションをしながら収録に臨んだ甲斐があったと、まだ何の結果も出ていないのに感じられた。

『RHETORIC SUMMER』が発売された八月一六日は、一週間続く晴れ間が今日も覗く、うだるように暑い一日だった。

 とはいえ、神原はCDショップに行って、『RHETORIC SUMMER』が置かれているか確認することはしなかった。翌々週に控えた初めてのワンマンライブに向けて、練習が佳境に入りつつあったからだ。

 そのライブはインディーズ時代も含めた、自分たちの現時点でベストと言えるようなセットリストを組む、いわば現時点での神原たちの集大成でもある。演奏する曲も今までの倍ほどあり、神原たちは一曲一曲の練習に余念がない。

 ライブが成功するように、神原たちは新たに組んだセットリストを何回も最初から最後まで通して演奏する。お互いに対する要求も増していく。

 一五曲ほどの演奏は、神原たちにとっても未知の領域だったから、通しでのバンド練習はいくらしてもしすぎることはなかった。

 迎えたワンマンライブ当日は、残暑という言葉の意味が分からなくなるほど、強い日差しが絶え間なく降り注ぐ日だった。

 ただ立っているだけで汗をかきそうな陽気の中、神原たちはこの日の会場であるライブハウスに到着する。今までで一番ライブを行っているCLUB ANSWERだ。

 馴染みが深いこの場所で初めてのワンマンライブを開催できることに、フロアに足を踏み入れた瞬間から、神原は緊張に加えて早くも感慨深い思いを抱く。

 オーナーである黒島も、喜色満面といった様子だ。初めてライブをしたときから神原たちを見ているだけに、感じる思いもひとしおなのだろう。「今日は期待してるよ」と、プレッシャーになるような声をかけている。

 でも、それも今の神原たちは前向きな意味で捉えていた。

 黒島に挨拶をしてから、神原たちはリハーサルのためにステージに上がる。楽器をセッティングし、音量のバランスを調整してから、神原たちは「RHETORIC SUMMER」の一番部分を演奏した。

 リハーサル自体はもう何度も行っているから神原たちには慣れていたし、それが勝手知ったるCLUB ANSWERならなおさらだ。

 だけれど、当たり前の話だけれど、リハーサル中に他のバンドが入ってくることはなくて、神原は今日は自分たちしか出演しないのだということを、改めて自覚する。ライブが成功するかどうかは、自分たちの責任にかかっている。

 神原はそう意識しないようにしていても、徐々に緊張を強めてしまっていた。

 開場時間を迎えると神原たちは楽屋に入って、開演時間になるのを待つ。その間神原は園田たちと話していながら、祈るような気持ちを抑えられなかった。

 今日のワンマンライブのチケットの売り上げは、八千代からあらかじめ聞かされている。昨日の時点で八〇枚ほどが販売できているらしい。

 だけれど、一人も来なかったらどうしようと、神原は気が気ではなかった。もちろんそんなことはあり得ないのだけれど、でも今日は他のバンドを目当てに来る観客は一人もいない。

 誰もが自分たちのために来てくれると思うと、神原は嬉しさの反面、ガラガラに空いたフロアも想像してしまって、どうしても不安に駆られていた。

 それでも開演時間が近づいてくるにつれて、楽屋にいる神原たちのもとにも、客入れの音楽とともにフロアから、人の話し声が聞こえてくる。観客がそれなりに入っているようで、神原は少し安堵しながらもそれ以上の緊張を抱えてしまう。

 かつてないほど長い時間自分たちだけでステージに立つことが、改めて未知の領域だと思ってしまう。その不安はいくら園田たちと話していても、完全には解消されない。

 初めてのワンマンライブがあと数分で始まることに、神原は胃がひっくり返りそうになるような心地がしていた。

 スタッフに呼ばれて舞台袖にスタンバイすると、神原の緊張はピークに達した。園田たちと「大丈夫」とか「やれる」とか声をかけ合っても、バクバクと鳴る心臓の鼓動は少しも収まらない。

 それでも、開演時間は着実にやってきて客入れのBGMは止み、フロアの照明は落とされていく。

 そして、神原たちの登場SEが流れ出したとき、神原の耳は初めて聴く音を聴いた。登場SEが流れた瞬間、フロアから歓声が聴こえたのだ。それは小さかったけれど、神原たちに届くには十分なほどで、神原の心は揺さぶられる。

 ここには自分たちの曲を好きで聴いている人しかいない。そのことに思い至ったとき、神原の緊張はわずかでも軽くなっていた。

 今日来てくれた観客は、全員自分たちの味方だろう。そのなかで演奏できることは、バンドマンとしてかけがえのない喜びだと思えた。

 登場SEのリズムに合わせて、フロアからは手拍子が聴こえるなか、サビに入ったタイミングで神原たちはステージに向かって歩き出す。

 神原たちが登場すると、今度ははっきりとした歓声が上がった。

 ざっとフロアを見回した限りでは、観客の数は八〇人よりもいくらか少ないように、神原には見える。きっと急用ができて、来られなくなった人もいるのだろう。

 それでも、確かに生まれた歓声に、神原は思わず表情を緩めてしまいそうになる。ステージに上がる前は緊張でガチガチだったのに、今は早く演奏がしたいとウズウズする。

 神原たちが楽器を構えて演奏の準備を整えると、登場SEもフェードアウトしていく。ライブハウスに生まれる一瞬の静寂。

 それを切り裂くような与木のギターソロから、神原たちの初めてのワンマンライブは始まった。与木が最初のフレーズを弾いただけで、フロアには「おおっ」とでも言うような空気が生まれる。

 そして、神原たちもタイミングを合わせて一斉に演奏を開始した。先々週にリリースされた神原たちのファーストシングル。その表題曲となっている「RHETORIC SUMMER」だ。

 きっと多くの、いやほとんどの観客がもうシングルを買って聴いてきているのだろう。イントロからリズムに乗ってくれる観客は何人もいた。

 目に見える反応があることは神原たちにも嬉しく、早くも前向きな気持ちになれる。ライブでは数回しか披露したことがなくても、練習を何十回と重ねたおかげで演奏もぴったり合っていて、神原の心も一曲目から弾んでいく。緊張も演奏を始めたことで、少しなりとも軽くなってきた。

 もちろんミスがないように、他のメンバーの演奏も聴きながら演奏する必要はあったが、それでも神原はかすかな高揚感さえ感じ始めていた。

「RHETORIC SUMMER」に続いて、二曲目も三曲目も軽快なリズムを持つ曲で、神原たちはライブの口火を切る。

「RHETORIC SUMMER」で観客から思っていた以上の反応を引き出せたことで、神原たちの演奏も少しずつ勢いに乗っていく。

 観客も心から音楽に乗ってくれていて、サビでは手を振り上げてくれる者さえ現れていた。少なくとも自分たちが、現時点で観客の期待を裏切るようなライブをしていないことが、神原にはとても喜ばしい。演奏しながら心地よささえ感じる。

 三曲目を演奏し終えると、神原たちは水を飲んだりチューニングを確認したりと、小休止に入る。そして、それらを一通り終えると神原たちは、自分たちをじっと待ってくれていたフロアに再び向き直った。

 神原からは観客一人一人の顔がつぶさに見える。その一人一人に呼びかけるように、神原は口を開いた。

「こんばんは! Chip Chop Camelです!」

 神原がそう言うと、フロアからは拍手が生まれた。暖かな拍手が、まるで自分たちの今までの道のりを労っているかのように聞こえて、神原は心をくすぐられる。もしかしたら、観客のなかには今日が神原たちの初めてのワンマンライブだと知っている者もいるかもしれない。

 神原たちは鳴り終わるまで、その身に浸透させるかのように拍手を聴いていた。

「今日は来てくださってありがとうございます。特別なことは言いません。最後まで楽しんでいってください」

 一人一人の動きは見られなくても、フロア全体が頷いていることが神原には雰囲気で分かった。やはり今日の観客は全員、自分たちの演奏を楽しみに来ていると改めて知る。

 そして、スティックを重ねながらフォーカウントを発した久倉に続いて、神原たちは次の曲の演奏を始めた。インディーズ時代の曲だったが、ちゃんと聴いてきてくれているのか、観客の反応は落ちることはない。そのことが神原たちに自信を抱かせる。演奏も積極性を増していく。

 それからも神原たちはフロアに生まれている前向きな流れに乗るようにして、ライブを続けた。観客はどの曲にも調子のいい反応を見せてくれていて、神原たちも練習以上の演奏ができているように感じられる。

 何一つ欠けることのない、理想的なライブ。

 それでも、疲労は徐々に神原たちに押し寄せていた。腕はきしむように痛み、指は弦の感覚をより鋭敏に感じるようになり、上がり始める息は神原の歌を少しずつ不安定なものにさせていく。

 神原たちが今までにライブで演奏した最多の曲数は九曲だったから、一〇曲目からは完全に未知の領域だ。

 疲労を感じているのは園田たちも同様なのだろう。ほんの少しずつだが演奏が噛み合わなくなってきている。幸い観客はまだ大して違和感を覚えていない様子だったが、神原にはこのままでは不味いと思えてしまう。

 もちろん、数曲演奏するごとに軽くライブMCをしたりと、小休止を挟んではいる。セットリストを通しての練習だって、何回も繰り返してきた。

 でも、いくら練習していても自分たちの他には誰もいないスタジオで演奏するのと、目の前に観客がいるステージで演奏するのとはわけが違う。ライブハウス独特の雰囲気が、神原たちの疲労をより重くしている。

 もしかしたらウケがよかったあまり、序盤で飛ばしすぎたのかもしれないとも神原は思う。これからもワンマンライブを行いたいと思ったら、ペース配分のようなものは覚えていかなければならないと、演奏をしながら疲れ始めた頭で感じた。

 ちょうど一〇曲を演奏し終えたところで、神原たちは長めのライブMCに入る。メンバー紹介も兼ねたライブMCだ。少し息を整えてから、神原たちは今までと同じように園田から、メンバー紹介がてら少し話し出す。

 園田や久倉は「今日を迎えられて嬉しい」と決まりきってはいるけれど、それでも本音には違いないことを言ったり、最近起こった出来事や観客にはどうでもいいと思われそうな雑談を喋っていた。軽く笑いも生まれていて、ライブハウスの雰囲気はいくらか和む。

 でも、そんななかでも与木も含めて誰も「疲れている」ということはもちろん、「今日が自分たちにとっての初めてのワンマンライブだ」とは言わなかった。そんな言い訳めいたことは、観客には関係ない。

 たとえ、初めてだろうと何度目だろうと、良いライブをして観客に満足して帰ってもらう。自分たちがすることはそれだけだと、神原には思われた。

 神原も今日を迎えられた思いなどを、今までのライブMCよりも少し長めに喋ってから、四人は演奏を再開させる。立て続けに四曲を演奏する、最後のブロックだ。四人がまず演奏したのは、バラード調の曲だった。ゆったりとしたテンポ。

 でも、神原たちは当然小休止できるはずもなく、それどころか疲れている状況ではテンポの遅い曲の方がかえって辛いと、神原には思えてしまう。

 それでも、続けてミドルテンポの曲も演奏しきると、神原たちは最後の二曲にアップテンポな曲を演奏した。最後はこの日一番の盛り上がりを見せて終わりたかった。

 ライブ開始から数えて一三曲目に演奏された「FIRST FRIEND」は、おそらく今日来てくれた観客のほとんどが知っている、現時点での神原たちの代表曲だ。

 フロアにはライブ終盤になってこの日一番の熱が生まれていて、神原たちに演奏を続けさせる燃料になる。神原たちもラストスパートだと、渾身の力を込めて演奏する。

 そして、神原たちは最後の曲も駆け抜けるように演奏して、どうにかライブを終えた。

 神原たちが一斉に演奏を終えると、フロアには大きな拍手がこだまする。人数に見合っていないほどの大きさに、演奏を終えた神原たちは、清々しい思いに浸る。

 園田たちが一足先にステージから引き上げていき、最後に残った神原が「今日はありがとうございました!」と言うと、フロアにはさらに大きな拍手が鳴った。一人残らず拍手をしているのが、神原の目からもはっきりと見えて、達成感に包まれる。

 神原がステージを後にしても、拍手はしばらく続いた。そして、その拍手は次第に手拍子へと変わっていく。少しずつ速くなっては、また元に戻ることを繰り返す手拍子。それが何を指しているのか、神原たちも当然のように分かる。

 四人で顔を見合わせ合う。そして、神原たちは誰からともなく表情を緩めた。形式的なものではない、紛れもなく今日のライブは良かったと伝える手拍子は、疲れていても神原たちを容易に笑顔にする。

 そして、少し息を整えると、神原たちは再びステージに登場した。再度上がる歓声と拍手。

 自分たちは今幸せだと、神原はふと思った。


(続く)

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