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【小説】ロックバンドが止まらない(52)



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「まずは今回、ECNレコードはChip Chop Camelとの契約を一年延長することになった」

 どちらかというと悪い事態を想像していた神原は、吉間が告げた言葉に一瞬虚を突かれたような感覚がした。でも、数秒経って内容を理解すると、自然と歓喜と安堵が湧いてくる。

 隣で園田が「本当ですか!?」と尋ね返していたけれど、吉間は飄々とした表情を崩してはいなかった。

「ああ、本当だ。正直『日暮れのイミテーション』の売り上げは芳しくなかったけど、皆着実に成長してるって、前回のライブを見て判断したから。まだ結成してから、オリジナル曲をやるようになってから日も浅いし、よほどのことがなければもう一年契約を延長するのは、最初から半ば決まってたんだ」

 それならそうと言ってくれたらよかったのに。

 神原は一瞬そう思ったけれど、きっと吉間たちは神原たちに決められた契約期間を示すことで、インディーズデビューしたバンドとしての自覚と緊迫感を持たせたかったのだろう。その意図は神原にも分かったから、素直に「ありがとうございます」と口にできる。

 与木たちも同じように感謝の意を述べていたけれど、だからといって吉間の表情は緩まなかった。「ただ」と言葉を繋げていて、神原たちは再び静かに息を吞む。

「この一年は、俺たちも皆の成長を見込んで少し甘く接してたけど、でも次の一年はそうはいかないから。ちゃんと結果で示してくれないと、さらに次の契約はないと思ってほしい」

 返事をしながら、神原たちは今一度姿勢を正す。CDが売れなくても、盛り上がるライブができなくても、大目に見てもらえた期間はもう終わるのだ。

 そう思うと、神原は背中にかすかな汗さえかいてくる。

「で、これからの一年の活動だが、まずは夏に新譜を出すことが決まった。具体的な発売日や、どの曲を入れるかという詳細はこれから詰めていくが、当面はそれが最大の活動になる」

 そう告げた吉間に、神原たちが応える言葉は「ありがとうございます」以外ありえなかった。それこそ「日暮れのイミテーション」をリリースしたときからずっと出したいと願っていた新譜が出せることは、神原たちにとって吉報でしかない。

 それでも、神原は吉間の言葉を額面通りに受け取ることはしなかった。温度の低い吉間の口調から、含まれているであろう事情を敏感に察知する。

「ただ、新譜を出すからには今回こそはちゃんと売れる必要がある。五〇枚だ。発売後一ヶ月間で五〇枚販売できなければ、契約は終わると考えてもらっていい。終了日を迎えても、それ以上は延長しない。どんなことがあってもな」

 吉間が突きつけてきた条件は、今の神原たちにはハードルが高いと言えた。「日暮れのイミテーション」は発売後半年以上かけて、ようやく五〇枚を販売した。それまでにかかった苦労は、神原にはあまり思い返したくない。

 でも、次はたった一ヶ月で五〇枚を販売しなければならない。それがどれだけ大変なことか。

 返事をした神原の中で弱気が顔を出す。

「もちろん、俺たちも新譜を売るために最大限努力はする。でも、一番は皆がどれだけ良いCDを作って、それを伝えられるかだから。俺たちがするのはあくまでも補助で、自分たちの力でCDを作って、それを売る。契約が来年以降も続けられるかどうかは、完全に自分たちの手にかかってる。そう強く自覚してほしい」

 そう言い放った吉間に、神原が返せる言葉はなかった。新譜を作る中心は、疑いようもなく自分たちなのだ。逃げや言い訳は通用しない。周囲の手も借りながら、それでも四人で力を合わせて、立ち向かっていかなければならない。

 返事をしながら、神原は心の中で襟を正していた。

「じゃあ、今から今年の分の契約書を持ってくるから。皆はまだ未成年だから、今回も親御さんの承諾を得てから、また持ってきてくれ」

 吉間が席を立って、いったん面談スペースを後にすると、四人は自然と顔を見合わせた。

 言葉にしなくても「大変なことになった」と思っているのが、三人の表情から神原には伝わってくる。新譜を出せるという嬉しさが、かすんでさえいるようだ。

 だけれど、神原たちにやらないという選択肢はあり得ない。

 どうやったら課されたノルマを達成できるのか。手段は色々あるだろうけれど、まずはクオリティの高い作品を作らないことには何も始まらない。そのためには収録される一曲一曲のクオリティを上げることしかなく、それは楽器に触れる時間を増やしたり、常に音楽のことを考える必要がある。

 結局は、一つ一つのことをコツコツとやっていくしかないのだ。

 それが分かっていたからこそ、神原は途方もなく思う。

 そこまでしても良い作品になる保証はどこにもないことが、空恐ろしくさえ感じられていた。

「ごめん、ちょっと一回やめて」

 堪えきれずに神原はギターを演奏する手を止めて、与木たちに声をかける。

 三人も応じて演奏をやめると、貸しスタジオには一瞬の沈黙が降りる。流れる空気は、いたたまれないの言葉に尽きたけれど、それでも自分から演奏を止めた手前、話し出すのは神原からしかありえない。

 神原は気まずい思いを感じるよりも先に、口を開く。

「本当に頑張って考えてくれたとこ悪いんだけどさ、園田、ベースもっと別のパターンない?」

 神原はできる限り丁寧な口調を心がける。

 新譜の発売が決まってからというもの、神原たちは新譜に収録するための曲作りに活動の軸足を置いていた。まったくのゼロから作る曲はもちろん、今まで作ってあったけれどCDに収録されていない曲も、もっと良い曲にならないかと試行錯誤を繰り返している。

「別にないことはないけど、泰斗君不満? 私はこのベースラインが良いと思ってんだけど」

「いや、俺だってまったく悪いとは思ってないよ。でもさ、今のベースってなんかありきたりっていうか、どっかで聴いた感じがすんだよな。だから、もっと他のパターンがあれば、聴かせてもらえるとありがたいんだけど」

 そう言った神原に、園田は軽く口を尖らせながらも「分かった」と頷く。そして、四人は再び曲を合わせた。

 自分でギターを演奏しながら、神原は園田のベースにも耳を傾ける。確かに、先ほどとは違うベースラインを弾いてくれている。

 だけれど、神原にはそれが最適解だとは思えなかった。どこか曲の雰囲気とは合っていないような、そんな感覚を抱いてしまう。

 それでも立て続けに途中で指摘するのは気が引けたので、神原たちは最後まで曲を演奏した。

 演奏を終えて、園田の目が神原に向けられる。「どう?」とでも言いたそうな目つきに、神原は率直な気持ちを話すことを選んだ。

「園田さ、今のベースも悪くないとは思うけど、俺としてはまだ違う気がする。落ち着いた感じじゃなくて、もっと跳ねるような感じを出してほしいっていうか。そっちの方がこの曲にも合うと思うんだ」

 神原としては、なるべく言葉を選んで伝えたつもりだった。今話しているのは、あくまでも曲の解釈についてであって、技術面やクオリティ面の話はしていない。

 でも、園田はまだ少し口を尖らせている。目が納得がいっていないことを物語っていた。

「それはあくまでも泰斗君の解釈でしょ? 私としては今くらい落ち着いた感じの方が、この曲に合ってると思うんだけど」

 園田は引こうとはしていなかった。

 もちろん自分たちはまったく同じ人間ではないのだから、一つの曲でも解釈が違ったりすることは当然あるだろう。渋々納得するよりも、そうやって自分の意図を伝えてくれる方が健全だと、神原も思う。

「いや、俺も確かに作ったときはもうちょっと落ち着いた感じをイメージしてたんだけど、でもこうやってバンドで合わせてみると、もっと弾んだ曲調にしてもいいと思ったんだ。与木や久倉も躍動感のあるフレーズを演奏してくれてるし、俺はそこは統一感を持たせたいから」

「それは私も感じたけど、でも泰斗君たちが必ずしも正しいわけじゃないでしょ? むしろ私的には、もっとテンポを落としてもいいくらいなんだけど」

 それを言ったら、そっちが正しいという保証もないだろ。というか曲作りに、「正しい」という概念はふさわしくない。

 神原は一瞬そう思ったけれど、売り言葉に買い言葉になりそうだったので、声には出さなかった。

 どうやったら園田に自分の意図を分かってもらえるだろうか。神原は一つ一つ考えながら、返事を発する。

「それも選択肢としてはあるけれど、でもそれをしたら、なんか今までと同じような感じになる気がする。既存曲の焼き直しっていうか。俺たち満足できるほど売れてないんだから、今までと同じことばっかやってたらダメだろ。もっと他のバンドやミュージシャンがやってないことをやらないと。そのためには、俺はこの曲にはスピード感を持たせる方が、得策だと思うんだ」

 神原がそう言うと、園田は少し考えこむような表情を見せた。軽く顎に手を当ててさえいる姿に、神原は自分の言葉が強すぎたのではないかと心配になる。

 与木や久倉も見つめる中で、園田は小さく息を吐いていた。

「分かった。そう言われたらやるしかないよね。もっと跳ねるパターンも、次のバンド練習までには考えとくよ。ただ、当たり前だけど決めるのは、実際にバンドで合わせてみてからだからね」

「ああ、ありがとな。助かるわ」自分の言いたいことが園田に伝わったことに、神原はひとまず胸をなでおろす。与木や久倉も頷いていて、一つ方向性が定まったような気がした。

「じゃあ、別の曲やろうよ」と園田が言って、神原はまだライブでも披露したことのない新曲を合わせようと提案する。三人も頷いて、神原たちは演奏を再開する。

 この曲を合わせるのは今日が初めてだから、あらかじめ「こういう演奏をする」とデモテープを聴かされていても、さすがにいきなり演奏がバチッと合うことはない。

 でも、それは練習を重ねて解消していけばいいことだ。

 それよりも神原は自分の胸に感じる、どこかしっくりとこない感覚の方をなんとかしなければと考えていた。


(続く)


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