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【小説】ロックバンドが止まらない(53)



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 それからも、神原たちは貸しスタジオに入っての楽曲制作に多くの時間を割いていた。散発的に入っているライブにはもちろん全力を注いでいるけれど、それ以上に新曲の制作に使う頭の方が大きい。

 財布と他のバンドとの兼ね合い、スケジュールのギリギリまで神原たちが貸しスタジオに入っていると、季節はあっという間に過ぎた。神原の家の近くにある公園では、桜のつぼみが徐々に大きくなり始めてきている。

 次にリリースするのは再びミニアルバムで、その収録曲も既に決まった。だから、神原たちは少しでも曲のクオリティを上げることに専念していた。

「……やっぱ、なんか違うんだよな」

 曲をいったん最後まで演奏し終えてから、神原は呟く。それは小さな違和感だったが、神原には無視できなかった。

「なんかって具体的には何なんだよ」

 そう訊いてくる久倉を、神原は当然だと思う。「なんか」という抽象的な言葉では、何一つ伝えられない。

 それでも神原には、この違和感にぴったり当てはまる言葉は、すぐには思いつかなかった。

「いや、うまく言えないんだけど、『なんか』は『なんか』なんだよ。今の演奏じゃなくて、もっとこの曲に合うフレーズが絶対にあると思うんだよな」

「そんなこと言ったってどうすんだよ。今日もう合わせてる時間ねぇぞ。それにレコーディングはもう再来週に迫ってるんだし。そこまでには『こんな曲をやります』って、吉間さんや野津田さんに伝えとかないとダメだろ」

「いや、それはそうなんだけどさ、まだ一回バンドでここに入れる時間があるわけじゃんか。だから、俺はギリギリまで粘りたいんだけど」

「そうか? 俺は今の感じでも十分良いと思うけどな」

「いや、そこをなんとか頼むよ。キツいだろうけれど、今のとは違うパターンを次のバンド練習までに考えてきてほしい。俺もまた新しい演奏を考えるからさ。頼む」

 神原は久倉に向かって手を合わせた。何としても自分の言うことを分かってほしい。その一心だった。

 久倉も神原に押されたのか、「分かったよ。何か考えとくよ」と了解してくれた。園田や与木も、また別の演奏を考えることに同意してくれている。

 神原は、三人に感謝の言葉を述べた。少しでも曲のクオリティを高めるために協力してくれていることは、当然と言えば当然だけれど、それでも神原にとってはありがたかった。

 神原たちは後片付けをして、使用終了時間に間に合うように貸しスタジオを出る。入ったときには明るかった空もいつの間にか暗くなっていて、神原の頬に涼しい風が触れる。

 神原たちは、今日はこのまま解散する。と思いきや、帰路に就こうとした神原を、園田が呼び止めていた。

「ちょっとご飯でも食べながら話できる?」と言われれば、神原はその提案を断るわけにはいかない。どのみち今日の神原に、この後の予定は入っていなかった。

 神原たちが入ったのは、駅前の牛丼チェーンだった。二人の懐事情を考えると、ここが一番安く済むからだ。

 夕食時ということもあって店内は混雑していたが、運よく奥のテーブルが空いていたので、二人は向かい合って腰を下ろす。

 注文した牛丼は、数分と待たないうちに二人のもとにやってきた。

「今日の最後に合わせた曲のことなんだけどさ」

 牛丼を食べ始めてから、園田は単刀直入に切り出した。神原も「おう」と応じる。今日の最後に合わせた曲について、思うところがあるのは自分も同じだった。

「私は最後に合わせた感じで良いと思ってるんだけど、泰斗君は違うんだよね?」

 園田の言葉が予想通りで、神原はため息を漏らしたくなったけれど、どうにか堪えた。同じように牛丼を食べながら、返事をする。

「ああ、俺はあの感じじゃ納得できないから。絶対もっと良い演奏があると思ってる」

「まあ、その気持ちは分からなくもないけどさ、でも私たちはあれでいいと思ってるんだよ? もうちょっと私たちの意思を尊重してくれてもいいんじゃないかな」

 その言葉が、神原には少し信じられなかった。なかなか言葉にして伝えるのは難しいが、満足していないものを世に出すのは違うと感じた。

「いや、俺が言ってるのはそういうことじゃなくて。レコーディングギリギリまでもっと良い演奏がないか考え続ける、探し続けるのは当たり前だろってことで」

「その気持ちは私も分かるよ。もちろん、言われたからにはまた違う演奏も考えてみるつもり。でもさ、せっかく私たちが考えた演奏が採用されないとなると、少し精神的にきちゃう部分はあるから。それは私だけじゃなく、瞳志君や澄矢君だって思ってると思うよ」

「何? じゃあ、俺はお前らが考えてきた演奏を、全て受け入れればいいわけ? たとえ納得がいってなくてもか?」

「いや、そういう極端な話は今してないじゃん。あの曲を作ったのは泰斗君だから、泰斗君が自分の思い通りにやりたいって気持ちも分かるよ。でも、私たちはバンドなんだから。私たちの演奏だってちょっとは受け入れてくれていいんじゃないかな。もちろん、明らかに違うなってときは私たちでも直すけど、それでもさ」

 いつの間にか、園田は牛丼を食べる手を止めていた。いつになく真剣な目をしている園田に、神原もどんぶりを下ろす。

 きっと園田は、自分の演奏が形になったという手ごたえがほしいのだろう。

 でも、だからといって神原は素直に頷けない。

「そりゃ俺だって、もちろんそうしたい気持ちはあるよ。でもこれは作品のためなんだから。良い作品にするためには、ギリギリまでもっと良い演奏がないかって、粘るのは当然のことだろ」

「泰斗君、こんなこと言いたくないんだけどさ、作品のためって言ったら、何でも許されると思ってない?」

「そんなことねぇよ」神原はとっさに否定したけれど、それはこの場を丸く収めようという意味しかなかった。

 本心では納得がいっていない。自分たちは良い曲を、良い作品を作るためにバンドをやっているのだ。それがさらなる評価、ひいてはメジャーデビューにも繋がる。馴れ合うためにバンドをやっているわけではない。少なくとも神原は、そう認識している。

 でも、即座に口にした言葉は「いや、そう思ってる部分あるって」と、園田に即座に見抜かれていた。

「言い方は悪いんだけど、Chip Chop Camelって、泰斗君のソロプロジェクトじゃないからね。私たちは泰斗君の頭の中にあるものを、忠実に再現するためにいるんじゃないから。思いもよらない解釈や演奏が出てきて、曲が持つ可能性がどんどん広がっていく。それがバンドの醍醐味ってもんじゃないの?」

 棘のある園田の言い方に、神原には承服できなかった。思わず「そのくらい分かってるよ」と、キツい声色の返事が出る。

 それでも、園田は「そう。分かってくれてるならいいけど」と受け流して、再び牛丼に箸をつけていた。苛立っている自分が子供っぽく思えて、神原は口を尖らす。

 でも、少しすると再び食事に戻った。自分は正しいことを言っているはずなのに、どうしてこうもイライラしてしまうのか。その感覚の正体を、神原は掴めずにいた。

 翌週のバンド練習。三人は神原が頼んだ通り、別のパターンの演奏を作ってきてくれた。自分で言い出した手前、神原も今までとは違う演奏を用意している。

 だけれど、いざ合わせてみても、曲は神原が思い描くような形にはならなかった。むしろ、イメージしていた理想形から遠ざかっているような感覚さえする。

 翌週にはレコーディングを控えているため、これ以上の変更は神原たちには難しく、結局先週の最後に演奏したものを採用した。

 もちろん神原だって、決定した演奏がまったく悪いとは思っていないものの、それでももっと別の、より曲に当てはまる演奏があったのではないかという思いは捨てきれない。

 でも、締め切りは何よりも優先される。だから、たとえ口惜しい思いを抱いていても、神原は決まった形を受け入れるしかなかった。

 今回のレコーディングは、一週間のうちに集中して行われる。高校を卒業したことで、神原たちは平日にもレコーディングスタジオに入ることが可能になったためだ。

 前回と同じレコーディングスタジオに神原たちが赴くと、室内では今回も野津田が待ってくれていた。

 軽く挨拶をして、神原たちはさっそくレコーディングに入る。

 既に「日暮れのイミテーション」での経験があるからか、レコーディングは前回と比べると、多少なりともスムーズに進んでいた。録音にかける時間もテイクを選ぶ時間も、わずかにだが短縮できている。与木たちももう慣れてきているのか、大きなミスはしていない。

 それでも、神原はレコーディングブースに入ると、新鮮な緊張を覚える。全員の目が自分に向けられている中で、改まった雰囲気があるブースで演奏することは、この先もなかなか慣れることはないのだろうなと、神原は感じていた。

 レコーディングは、神原たちの予想以上に順調に進んだ。録るテイク数も減り、一日を経るごとに録り終わった曲も一曲ずつ増えていく。

 神原も手ごたえを感じていたが、四日目はそうはいかなかった。この日レコーディングした曲は、最後までベストな着地点を見つけられなかった、あの曲だった。レコーディングはサクサク進んでいたものの、それでもテイク数が重ねられていく度に、神原の中で違和感が増していく。

 本当にこれでいいのだろうか。そうは思っても、一度決まった演奏をこの期に及んでひっくり返すことはできなくて、神原は決定した演奏を繰り返すしかなかった。

 これがベストな演奏なのだと、自分に言い聞かせる。でも、それも神原にはあまり意味を持たなかった。

 四日目のレコーディングを終えて、神原たちは帰路に就く。駅で三人と別れて、電車に乗ろうと改札に向かい始めた、その瞬間だった。

 改札から、ギターケースを背負った佐川が出てきたのだ。立ち止まっている神原に佐川も気づいたのか、歩み寄ってくる。

「神原君、奇遇だね。どうしたの、こんなとこで」

「あの、今用事が終わって帰るとこなんです。そういう佐川さんこそ、どうしたんですか?」

「俺? 俺も帰るとこだよ。ここが最寄り駅だからね」

「そうなんですか」返事をしたはいいものの、神原にはその後が続かない。

 今自分たちは、通路の真ん中に立っている。これでは通行人の邪魔になってしまうだろう。

 それを改めて自覚して、神原は「あの、じゃあ僕これで」と改札に向かおうとする。

 だけれど、佐川は「今時間ある?」と神原を呼び止めていた。

「あっ、はい。あります」

「そう。ご飯は? もう食べた?」

「いえ、まだですけど」

「そっか。俺もまだなんだ。だったらさ、その辺でなんか食べてこうよ。せっかくこうして会えたんだからさ」

 佐川の提案に、神原も頷いた。実際、今日はこの後に予定がないし、どうせ夕食を食べるなら、一人も二人も変わらない。

「はい、お願いします」と言うと、「うん。じゃあ、行こっか」と、佐川が北口へと歩き出す。神原もその後をついていく。

 外はもう完全な夜で、人々が足早に行き交っていた。


(続く)


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