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【小説】ロックバンドが止まらない(54)


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 神原たちは駅前のファミリーレストランに入っていた。佐川は本当は居酒屋に行きたかったようだが、神原が未成年であることを考慮した結果だ。夕食時ともあって人でごった返す店内で、神原たちは奥の席に座る。

 注文を済ませると、佐川は改めてといった表情で神原に向き直っていた。

「で、神原君は今日ここに何しに来たの? ライブ?」

 それは、佐川にとっては純粋な疑問だったのだろう。佐川だって同じインディーズバンドをやっているのだ。秘密は守ってくれるだろうと期待して、神原はありのままを伝えることにした。

「いえ、そうじゃなくてレコーディングです。僕たち今度新譜を出せることが決まったので」

「えっ、マジで! よかったじゃん! いつ?」

「八月です。七曲入りのミニアルバムになる予定です」

「そっか。じゃあ、発売される頃になったらまた教えて。俺、買いに行くから」

 そう言ってくれる佐川を、神原は確かにありがたいと思う。言葉通りに佐川が自分たちの新譜を買ってくれるであろうことも、容易に想像できる。

 だけれど、「ありがとうございます」と伝えたとき、神原は笑っていなかった。かすかに顔が引きつってさえいる。

 神原にとってはごくわずかなつもりだったけれど、佐川は受け流さなかった。「ん? どうかしたの?」と軽い調子で尋ねられる。

 神原には迷ったけれど、それでも最終的には佐川なら自分たちの事情を理解してくれるだろうと、信じることを選んだ。

「あの、佐川さん。ちょっと話聞いてもらえますか?」

 神原が尋ね返すと、佐川は期待通りに「うん、いいよ」と言ってくれた。だから、神原も今一度決心を固める。そして、最近の自分たちに起きたことを一つ一つ順序だてて話し始めた。

 新譜の売り上げにノルマが課されたこと、新曲も作っているが完成度の面で、一つ納得がいっていない曲があること。それを今日、納得がいっていない状態のままレコーディングしてしまったこと。

 不満を吐き出していると思われないように、神原はなるべく落ち着いた口調を心がける。でも、声色から自分がストレスを感じていることが分かってしまう。家族連れも多いファミリーレストランでこんな相談をするなんて、神原は自分たちが少し浮いてしまっていると感じる。

 それでも、佐川は相槌を打ちながら、神原の話を最後まで聞いてくれていた。

「それは大変だね。売り上げにノルマが課されて、それを達成しないと契約が終わっちゃうなんて」

「はい。佐川さん、僕たちどうすればいいんでしょうか?」

「どうすればいいって言われても、俺たちは幸いなことに、そういったノルマを課されたことはないからなぁ。俺たちのレーベルと神原君が所属しているレーベルじゃ、ちょっと方針が違うのかもしれないね」

「そんな……」神原は思わず落胆しそうになってしまう。

 ノルマを課されたことがないということは、佐川たちのCDはそうする必要がないくらい売れているということだろう。そのことが神原には羨ましさを通り越して、今だけは恨みがましくさえ思えてしまう。

 言葉を失いかけた神原に、佐川はすぐに「いや、でもさ」というフォローを入れた。

「結局は一つ一つの活動を全力でやっていくしかないんじゃないかな。一つ一つのライブを大事に熱意をもって取り組んだり、レーベルが打ってくれるプロモーションにはしっかり協力したり。そうした一つ一つの積み重ねでしか、CDは売れないと思う。もちろん良い曲を作ることが、全ての前提としてあるけれど」

 佐川がくれたアドバイスは、神原にとっても大部分が既に周知のものだった。だからこそ、揺るぎようのない真実として突き刺さる。

 やはり地道にやっていくしか道はないのだ。それがどんなに大変であっても。

 だけれど、今の神原はその前提が揺らいでいて、「でも、その肝心の曲が……」と漏らしてしまう。

「そうだね。神原君にはもうレコーディングをしたものの、それでも出来栄えに納得がいっていない曲があるんだもんね」

「はい。自分が納得できていない曲が世の中に出ていくのが、悔しいですし少し恐ろしくもあります」

「その気持ちは俺も分かるよ。その曲は神原君が作った曲なんだっけ?」

 神原は頷く。佐川は、なおも優しく語りかけてきた。

「その気持ち分かるなぁ。ウチのバンドも俺がメインで曲作ってるから、メンバーがイメージとは違う演奏を持ってきたときは、『どうして思った通りにやってくれないんだよ』って何度も思ったなぁ。ていうか、実際に口に出しちゃったこともあったし」

「それって大丈夫だったんですか?」

「さすがにそのときはちょっと険悪な雰囲気になったけど、でも後でちゃんと謝ったら、あいつらも分かってくれたよ」

「そうなんですね」

「うん。でも、それから俺もちょっと考え方を変えてさ。自分のイメージだけにこだわるのは、こだわりじゃなくて頑固だなって思ったんだ。メンバーが考えてきてくれた演奏も、まずは一回柔軟に受け入れてみて、それでも違うとなったら、言葉を選びつつ指摘する。その方がバンドを続けられるなって、考えるようになったんだ」

「それはつまり、僕にもそうやって他のメンバーが作ってきたものを受け入れろってことですか? たとえ納得がいってなくてもってことですか?」

「いやいや、これはあくまで俺の場合の話だから。神原君のとはまたちょっと違うよ。でもさ、他のメンバーだって精一杯頭をひねって、演奏を考え出してるわけでしょ? それに対する想像力はちょっと持っといた方がいいんじゃないかって、俺は思うけどね」

 佐川が言っていることは、神原にももっともだと思えた。受け入れる方を選ぶべきだということも、感覚的に分かる。

 それでも、神原は完全に自分を納得させることはできなかった。自分の方こそが正しいはずだと、子供の部分が顔を出す。

 不服そうにしている様子が漏れていたのだろう。「やっぱ難しい?」と訊いてくる佐川に、神原ははっきりとした返事ができなかった。

「まあ、本当に納得できないなら、新しい演奏を用意してもう一度レコーディングするって方法もないわけじゃないけどね」

 神原は目を瞬かせる。「そんなことできるんですか?」と、率直な感想が口をついて出た。

「まあ、一〇〇パーセント不可能ってわけじゃないけど、かなり難しいだろうね。当然だけどレコーディングにはお金がかかるし、スタジオやエンジニアの人のスケジュールもあるから。もしかしたら新譜の発売日だって延期になるかもしれない。何より一度レコーディングしたものを録り直したいって言うからには、メンバーやレーベル、色んなとこに頭を下げないといけないしね。でもって、もしも再レコーディングができたとしても、元の演奏を超えられる保証はどこにもないし。俺としてはそんな安易に『録り直せばいいじゃん』とは言えないかな」

 何に対しても積極的な態度を見せることが多い佐川がここまで慎重な姿勢になるということは、それだけ再レコーディングは現実的とは言えないのだろう。自分一人のエゴがどれだけ周囲に影響を及ぼすか、神原には身につまされる。

「そうですよね……。やっぱり難しいですよね……」という返事は、現実という壁の高さを見上げて出たため息だった。

「うん。でもさ最終的には神原君がどうしたいかだから。どっちにしたって大変なことには違いないけど、まあよく考えて選んだらいいよ」

 そう言って決定権を自分に委ねた佐川を、神原は無責任だとは思わなかった。間違いなくこれは自分の、自分たちの問題なのだ。誰かにこうしろと指図された通りにするわけにはいかない。

「そうですよね……」と神原が煮え切らない相槌を打つと、店員が料理を運んできた。ハンバーグとライス、それにスパゲティがテーブルに置かれる。

「まあ、この話はひとまずこれくらいにしてさ、ご飯食べようよ」と言う佐川に、神原も頷く。

 ミートソーススパゲティを食べながら、神原の頭はこれからどうすべきかということで占められていた。

 レコーディングは予定されていた通りのスケジュールで完了した。

 最後のボーカルのテイクを録り終えたとき、与木たちが安堵したような表情を浮かべているのを、神原は目の当たりにする。三人が感じているであろう達成感は、自分にもないわけではない。

 だけれど、神原の胸にはまだモヤがかかったままだった。レコーディングを終えて大きく息を吐いても、完全には出ていかなかった。

 レコーディングを終えた四人は、スタジオの外に出る。暖かな風が吹く中、「終わったー」と身体を伸ばしている三人に、神原は声をかけた。適当にレコーディングの打ち上げがしたいからと理由をつけて、三人を夕食に誘いだす。三人とも断ることはしていなかった。

 四人が入ったのは、駅前のファストフードチェーンだった。注文したハンバーガーセットを受け取って、混雑している店内の奥のテーブルに座る。

 席に着くやいなや、三人はハンバーガーセットを食べながら今回のレコーディングについて話していた。当然反省点はあるものの、それでも三人とも確かな手ごたえを得ているらしい様子が、その口ぶりから察せられる。

 それは神原にもある程度頷けることだった。確かに今回のレコーディングは概ねうまくいった実感がある。

 でも、それはたった一曲を除いてという話で、神原はその心残りを無視できなかった。

 ハンバーガーセットを食べる手を止めて、「ちょっといいか?」と三人に改めて声をかける。三人も神原の問いかけを真剣に感じたのか、同じように食事を中断してくれていた。

「あのさ、『波になりたい』のことなんだけどさ」


(続く)


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