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惑星の咆吼を聴いたのだ

 クラシックの話題。佐渡裕指揮、新日本フィルのサントリーホール公演に行ってきた。曲はハイドンの四十四番とブルックナーの四番。聴きました。ものすごいものを聴きました。興奮して眠れずにこれを書いています。

 ハイドンのほうはなじみやすいものであって、ああ確かにモーツァルト以前とか同時代とかの気配、古典派の味。佐渡氏がプレトークで話していたとおり第三楽章がめさめさ美しい。天国的というのか、陶然となるような見事なやつが聴けた。こういうこともできる佐渡氏及び新日本フィル、芸達者ですなあ。かつてあたくしはこのタッグのモーツァルト、四十一番の演奏で宇宙が始まるところ(というほどの印象)を聴いていて、いやもうなにやっても素晴らしいんじゃないの、あの方々。

 さてモーツァルトで宇宙開闢を描けるこのタッグ、じゃあブルックナーをやったらどうなるの、というのが個人的な眼目だった。あたくしはろくろくブルックナーを聴いていないので四番もお初のもの、さぞかし楽しかろうと思って挑む。あちらも真剣だからこちらも真剣である。ネクタイ直して座り直して、さあ聴いてみたらば、また印象批評になりますけど、惑星が話しかけてきたらこんな感じだろうなあ、という恐るべきスケールで展開されていったその七十分であったこと。あるいは話しかけてはいない。咆吼しているのを聴いたのかもしれない。巨大な建築物だとかそんなものでは収まらず、なんだろう、明らかに人間が太刀打ちできない何らかのデッカいやつがホールに出現していた。幻視した。その何かを惑星というのがいちばんしっくりくるんだけど。すごかったですよあれ。作曲家が正気ではこれは書けないだろうし、かといって狂気の作品でもない。軽くいえば人間を超えてたんだろう。これを演奏するほうもすげえよ。

 また心の中の宝物が増えたなあ、一生もんだよなあ、とふわふわしながら家に帰った。遅い晩飯を食いつつ反芻して、のち未開封のブルックナー全集を引っぱり出した。これはヨッフム指揮のボックスであって、これから聴くものリストに並べてみた。もうすっかりブルックナーが気に入ってしまった。来年からかな、このボックスを崩していこう。ハマりそうである。

 音楽でもなんでも作品は残るから、なにかつくれば形として残せるから、すべてのクリエイターは祝福されていますよね。ネットがあるから誰でも残しやすいじゃん。どんどんいこう、どんどん。

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