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学校行かなくていいから本を読め/死ななくてもいい場合

 何かで読んだ話、大学というのは本を読みに行くところである、という一説がある。また、他の話で読んだことには、勉強することや本を読むことを習慣づける場所が大学であるという。こういう話がどういうことなのか。大人になって学校から離れ、学ばなくなると頭が悪くなっていく一方だからだそうだ。身の回りにいるでしょう学ばない大人たち。あれらを見て反面教師とするのがまずは正しい。とはいえ社会の中で働いてると読書もままならないのも確かで、そういう場合どうすればいいのかはあたくしにもわからんところ。本を読もう、みたいなことをいい出しておいて歯切れが悪いんだけど。しかも専門の技術や最先端の研究は大学でしか学べないでしょ、という点では、どうしても大学に行くしかないのだった。

 憚りながら、その昔「金井! 本を読むなら学校に来なくていい!」といわれたあたくしである。授業中に読書してたら国語の教師にそれいわれたんだけど。たしか原田宗典の『十九、二十』を読んでいた。来なくていいな、つまらんしな、という納得の仕方をして、当時自殺未遂をやらかして救急車に乗せられたり、病気も(誰からも理解されなかったが)あったりしてたんで、なんとなくでフェードアウト、不登校からの退学となった。そういう青春があるのでいろいろ劣等感はある。おっさんにマウントもとられる。ただそれはそれ、あたくしがたまたまそんな人だっただけで、自分がアノマリーとかエラーであっても別に困らないし、それなりの生き方があったですね。ああ、でものちのち放送大学でちょっと勉強しました。あれってちゃんと試験あるのよ。学生証ももらえるし。

 皆様方におかれましては、新学期だとか進学だとかありますでしょう。そら大変でしょう。でも嫌ならやめていいと思いますから、死ぬほど嫌ならね、そんなら死なずに各種学校をやめればそれで済むからねえ。ひとりで本でも読んでればいいじゃない。独学やってればいいじゃないの。何百冊と読めばそれも無駄にはならんよ。やり続けると周りが相対的に馬鹿になっちゃって生きづらくなるけど、だいじょうぶ、そのときは自分より賢い人々と関わればいいだけだ。世界は広いのである。そのへんはnoteの人たちを見てもわかるとおり。

 とにかくまあ、死ぬな。生きて自分が楽しいと思うことをやりましょう。

 一応、蛇足ながら死にたいときの秘策を書いておきます。まず自殺の名所を調べること。そこへの行き方、電車やらバスやらの時刻表も見ておき、道具を揃え、遺書を書く。そのあたりで疲れて眠くなってくる。作業を中断してひと眠りする。起きたときには死ぬ気はほぼなくなっている。道具を捨て遺書を破り、そうしてまだ生きられるっていう寸法。経験からいってこれは効果がある。あたくしの場合はよく青木ヶ原樹海を調べてました。

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