自分を豊かにしていく簡単な方法
説教をたれるわけでもないが。
こないだ落選した小説に書いたのは芸術への賛歌だった。それだけを書いたのでもないが、話の大きな軸は芸術についてだった。力不足で扱い切れなかったのは否めない。しかし登場人物がいうには、芸術にふれることによって生きるための希望が自分の中につくられる、そういう話が出たりする。いいこといってんなと思う。いや、書いたのはあたくしなんだけど。
芸術作品、広くエンタメ作品も含めての、すべての表現されたもの、それをかっくらっていくことが必ず精神の栄養になる。これは絶対だ。経験上ガチだ。薄っぺらな状態を、というと例えば昔のあたくしですが、その状態を脱して内面を広く深くしていくためには、芸術やら表現やら、つまり作品ですか、そういうのにふれていくという方法はあるのだと思う。あたくしは本を読まなければ思考しなかっただろう。映画を観なければ感動がなかっただろう。音楽を聴かなければ死んでいただろう。もう大いに助かっているのである。まじで感謝あるのみの話だ。ありがたいありがたい。
だからタイトルの、自分を豊かに、というのは芸術にふれろって話に尽きる。本を読んで映画を観て音楽を聴いて、それだけやってりゃ内面の世界は宝のような果実にあふれていく。はず。芸術というと絵画や演劇とかも含まれてきますけど、いろいろふれていったらもう他のことしなくていいくらい充実しますよね。せっかくなんかいろいろ楽しいものはあるんだから、味わわない手はない。と、ここで問題なのは味わい方である。わからないものはわからない、とそのときにどうすんのか。そしたら別のにね、次にいきましょうと。わかるもんだけ食っていけばいいんじゃないの。なんでも栄養価のあるものを食っていけばいいことあるよ。
結局説教たれてるみたいになってしまった。あたくしもよくいる鬱陶しいおじさんなのだろう。
ノリントンとシュトゥットガルト放送響のブラームスを聴いている。ぜい肉のない、かといってゴリゴリの筋肉質でもない、健康的ですらっとした感じであるなあ。あたくしはブラームスがわからなかった時期が長いのであったが、フルトヴェングラーの指揮によってやっとわかったのだった。最初はマゼールとザンデルリングあたりから何度も挑戦して、そのあとの話で。いまはわかりますよ、ブラームスの交響曲。一方カッチェンによるピアノ曲全集には最初からハマった。あれは大いなる遺産だ。人類が滅ぶまで残しておいたほうがいい。
さて日づけも変わって。がんばりましょう。
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