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天地伝

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逢魔伝シリーズ第二弾です。 天狗のタイマと、鬼の八枯れ(やつがれ)が、あの世から、明治大正時代へ転生。 現代の妖怪架空伝記です。 シリーズものですが、独立して楽しんでいただけます。
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#幻想小説

天地伝(てんちでん) 3-2

天地伝(てんちでん) 3-2

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    二

 登紀子が五つを迎えるころ、原因不明の発熱を起こした。
 咳や鼻水などは出ないので、おそらく風邪の類ではないのだろうが、熱を出した時は、しばらく床に伏せってしまう。そのため、守役のわしは座敷を一日中、離れることができなかった。こんな時は、特に思う。人は弱い。
 熱に浮かされている時の登紀子は、苦しそうだった。脂汗を額に浮かべ、息も絶え絶えに、目をうるませている。焦

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天地伝(てんちでん) 3-1

天地伝(てんちでん) 3-1

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目次

第一章

第二章

第三章

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16

第四章

あとがき

   第三章

    一

 由紀が、登紀子を生んだ夜のことはいまでもよく覚えている。
 月のない夜だ。その日はやけに、空が荒れていた。すでに秋支度を済ませた枯れ木を、右へ左へとゆさぶり、横倒しにするのではないかと思うほどの強い風が、激し

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天地伝(てんちでん) 2-18

天地伝(てんちでん) 2-18

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    十八

 庭に降り立ってすぐ、白い頭が目に入った。縁側に腰かけている男は楓の木から視線を下して、相変わらずの快活な笑みを浮かべる。
 「やあ、八枯れ」
 それに軽く尾を振って応え、池の縁石を飛び越えると、縁側の上に飛び上った。隣に坐して、ようやく息をつく。
 燃え残った炉の匂い、鈴虫の鳴く声と合わせて、時折、庭の木々がゆるやかに葉をこすらせ、風のあることを知らせる。なつ

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天地伝(てんちでん) 2-17

天地伝(てんちでん) 2-17

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    十七

 「お犬さまは、死なのでございますか」
 口にくわえていた狸がそんなことを言った。わしは苦笑を浮かべ「死ではないが、生でもあるまい」と、低くつぶやいた。
 「死は、それを忘れた者の命を、奪うのでございます」
 「それならわしは、とうに生を奪われているはずじゃ」そう言って着地すると、地面にくわえていた狸を転がした。「去れ。どこへなりと行くが良い」
 狸は目を瞬かせ

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天地伝(てんちでん) 2-16

天地伝(てんちでん) 2-16

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    十六

 「もう少しですよって。我慢してください」
 「何を言っているんだ、貴様は」
 こんな時でさえも、飄々とした態度を崩さない東堂に、苛立ちは募ってゆく。低くうなり、体をばたつかせるが、案外と奴の押さえる腕の力は強い。わしの頭を押さえて、ため息をついた。
 「冷静になりや。下手なことしたら、君もやられてまう。僕は凡夫やさかい、君がつかまってもすぐには助けられんよって

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天地伝(てんちでん) 2-15

天地伝(てんちでん) 2-15

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    十五

 「結局、あいつは何をしに来たんだ」
 深夜、わしと東堂は町外れにある祠を目指して、歩いていた。天心に登る月明かりを頼りに、川沿いを下って行く。白い息を吐き出しながら、つぶやいたわしの言葉に、東堂は茶色い角刈りをなでながら、苦笑を浮かべた。
 「おそらく旦那は、待ってはるんや」
 「何をだ」
 そう言って怪訝そうに顔を上げると、東堂はわしをちら、と見下ろした。

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天地伝(てんちでん) 2-14

天地伝(てんちでん) 2-14

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    十四

 老朽化している板が、ぎしぎしと軋んだ。階段を降りて来たのは東堂だ。焼け焦げた二階の部屋を見てきたのか、ははあ、と言って肩を落としていた。
 「勘弁してもらいたいわあ。なんぼする思うてんの」そう言って座敷に上がると、瑠璃色の座卓の前にしゃがみこんで肩を鳴らした。大通りから店に入って来たタイマが、戸をぴしゃりと閉めて、鍵までかけた。
 「今日はもう休業にすべきだ。

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天地伝(てんちでん) 2-13

天地伝(てんちでん) 2-13

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    十三

 「おい、こんなそばで事が起こっているんだ。見ないフリは無いんじゃないか?」
 そう言って、タイマはわしの頭をつかみ、玄関の方へ無理矢理、顔を向けさせた。わしはそれに抗いつつも、じょじょに視界の端に厄介なものが、入りこんでくるのを防ぐことができなかった。
 先に外へ出た東堂の足が、戸口の向こうに見えた。その足元には、女が横たわっていた。若い娘だ。おそらくタイマと

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天地伝(てんちでん) 2-12

天地伝(てんちでん) 2-12

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    十二

 しばらくの沈黙のあと、タイマは勝手に淹れたのだろう、茶をすすっていた。白い湯呑を、琉璃色の座卓の上に置いて、背を向けて丸くなっていたわしの背中に触れた。そうしてなぜか、小さなため息をついていた。
ちらと視線を向けて、タイマの鋭い双眸を見つめる。白い頬は色つやもよく、白髪も相変わらず痛みを見せず、さらさらと流れていた。その顔に快活な笑みを浮かべて、頬づえをついて

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天地伝(てんちでん) 2-11

天地伝(てんちでん) 2-11

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    十一

 翌日、目を覚ますと、洋服姿の東堂がわしの顔をのぞきこんでいた。
 あまりのことに驚き、身を引くと「あ、ようやっと起きた」と、言って灰色の眼を瞬かせ笑った。馴れ馴れし過ぎやしないか。そう思い睨んだが、気にした風でもなく、「下においで。いい加減で、手伝ってもらいまっせ」と、言って部屋を出て行った。
 わしは大きなあくびを一つもらして、起き上がる。廊下に出ると、床板

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天地伝(てんちでん) 2-5

天地伝(てんちでん) 2-5

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    五

 由紀と出会ってから、五年後の一八八五年一月某日。坂島恭一郎は、二十歳を迎えると共に、旧姓、嶋田改め坂島由紀と結婚した。
 由紀はこの時、十六を迎えるところだったと聞いた時、タイマもわしも、しばらく絶句した。出会った当初が、まだ十になったばかりだと言うのだから、女は恐ろしいものだと、思う。同時に、そのような子供が、あれだけの作法を振るまえたと、言うことに、由紀のそ

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天地伝(てんちでん) 2-4

天地伝(てんちでん) 2-4

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    四

 「何の話をしていたんだ?」
 西日が射すころ、由紀と東堂を残して屋敷を出た。行きは頭を悩ませた坂道も、下りとなると、可愛いものだ。タイマは、わしを見下げて快活に笑うと、「毛皮さえなきゃ、調節するのも楽だろうな」と、嫌味を言った。わしは、雀の羽根の色に染まってゆく、雲を見上げながら鼻を鳴らした。
 「喰えん男じゃ。貴様によう似とる」
 「そうだろうか」タイマは苦笑

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天地伝(てんちでん) 2-3

天地伝(てんちでん) 2-3

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    三

 「緊張するわ。君から誘ってくるとは、思わんかった」
 庭の縁石の上に腰かけながら、東堂はふざけたことを言って、にやにやと笑った。わしは、それを睨みながら、牙をのぞかせる。威嚇のつもりが、意にも介していない。うっすらと微笑を浮かべたまま、膝の上で両手を組んだ。
 「どちらだ」
 東堂は「は」と、つぶやいて、まじまじと見つめてくる。「何のことやろ?」
 「とぼけるな

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天地伝(てんちでん) 2-2

天地伝(てんちでん) 2-2

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    二

 座敷に上がると、茶の匂いがした。
 塗の机の下に足をつっこむと、タイマはにこにこと笑っていた。由紀は、目の見えないことが自然なようで、慣れた手つきで茶を淹れ、配っていた。向いに座る東堂が、湯呑を受け取ると同時に、苦笑を浮かべた。
 「旦那、そんなにじっと、見てたら穴が開いてまうで」
 「なに、穴など、そうそう開くもんじゃないよ。美しい娘さんを見るな、と言うほうが

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