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天地伝(てんちでん) 2-3

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    三

 「緊張するわ。君から誘ってくるとは、思わんかった」
 庭の縁石の上に腰かけながら、東堂はふざけたことを言って、にやにやと笑った。わしは、それを睨みながら、牙をのぞかせる。威嚇のつもりが、意にも介していない。うっすらと微笑を浮かべたまま、膝の上で両手を組んだ。
 「どちらだ」
 東堂は「は」と、つぶやいて、まじまじと見つめてくる。「何のことやろ?」
 「とぼけるな。貴様もあのじじいの差し金なんだろう」
 低くうなると、東堂は顎をなでながら、宙空に目をやって首をかしげた。視線の先で、楓の葉が散った。
 「ははあ、差し金っちゃ、差し金やけど。でも、これは僕の仕事やし。恭一郎さんが、由紀さんのこと知るには、てっとり早いと思うたんやけど」
 「何を企んどる」
 「企む?」
 わしはいい加減で、噛みついてやろうと、低くうなった。ひらひらと交わすように話す口調や声が、やけに癪に障る。じりじりと近づき、飛びつこうとしたが、それより早く東堂が口を開いた。
 「僕は、旦那が好きなだけです」
 その言葉に、思わず足を取られ、その場でバランスを崩した。緊張の糸が途切れ、得体の知れないものへの侮蔑感へと、変化した。否、この男が嫌になったのだ。血の気が引き、鳥肌が立つ。
 「何ですか、その目。僕のこと変態か、何かと勘違いしてはる?」
 「近づくな。気色が悪い」
 「ひどいなあ。君のことも、結構気に入ってますよ」
 飄々と言う、東堂の笑顔を見ていると、力が抜けていった。ばかばかしくなってうなだれる。なるほど、タイマの言っていた通り、言動も外見も奇天烈だった。そして、この周りを煙に巻く態度や、やり方には既視感を覚える。
 これよりも、もっと奔放で、質が悪く、勢いのある、自分勝手な振る舞いである。言うまでもないが、こいつもタイマと同じ属性だ。つまりは、「狂い」の一人と、言うことだ。
 わしは、うなだれたまま東堂の顔を見上げ、ため息をついた。
 「それより、あの女」
 東堂は、ああ、とうなずいて、灰色の目を細めた。
 「由紀さんやろう。君も大概、過保護やね」
 「何の話じゃ」
 「まあ、ええわ。旦那が言っていたように、由紀さんには予知能力があるんや。夢の中で、断片的とは言え、大分、先のことまで見えてしまう。
 だから、旦那と同じように、気味悪がられてな。隠し部屋で、長いこと飼われとったようや。それは、いま向こうでも、きちんと説明してるやないか」
 そう言って、愉快そうに笑った東堂に、鼻を鳴らした。
 「そんなことはどうでもいい。聞きたいのは、貴様のことじゃ」
 「はあ。僕が何か?」
 東堂は短い頭をぽんぽん、とたたきながら、わしの顔を見つめる。尻尾を振って、起き上がると、目を細めて東堂の双眸を睨んだ。
 「どこまで知っている?」
 「どこまで、とは?」
 あくまでもしらを切ろうとする東堂に、鼻を鳴らして、笑った。
 「わしと、あの男が何か、貴様は知っているのか?と、聞いている」
 「ははあ」
 「返答に注意しろ。うっかり琴線に触れると、喰ってしまうかもしれん」
 「いやあ、犬にも心があるんやね。知らんかったわ」
 東堂は笑みを崩さずに、縁石の上で足を組んだ。ワイシャツの襟を正して、わしを、まっすぐに見つめた。
 「僕がね、何でも屋って仕事をやっているのは、この外見のせいですわ」
 「話をそらすな」
 「そらしてませんて。疑り深い子やね。旦那とは大違いや」
 「あいつは頭がおかしいだけじゃ」
 わしは、東堂の頭の後ろでゆれている、楓の葉を見上げた。鮮やかな緑が、茶色い髪の毛に、よく映える。そのうちの一枚が、風に吹かれ、ゆらゆらと空を舞う。左右に揺れながら、ゆっくりと足元に落ちた。東堂はそれを拾って、指先で弄びながら、微笑を浮かべた。
 「僕はね、イタリアとの合いの子なんですよ。本名は、東堂・ファットーリ・志麻夫。長いから、覚えんでええよ。だから、東堂シマオって、名乗っとります。生まれは日本ですが、関西で育てられましてね。しゃべり方まで、江戸じゃあ、浮いてまって。髪の毛も目の色もこれでしょう」
 「知ったことか」
 「でも、洋服はよう似あいますやろ」
 「ふざけているなら、喰うぞ」
 「僕は君らと違ごて、なんの力もありませんよ」
 東堂はにや、と笑みを浮かべて、持っていた楓の葉を弾いた。白い指の先から舞った緑が、わしの尻尾の上に落ちる。
 「それほど不粋やないってこっちゃ」と、言ってわしをじっくりと、探るように眺めた。尻尾の先を舐めながら、「なるほどな」と牙をのぞかせて、笑みを浮かべた。
 「タイマも、そこまで阿呆ではなかったようだな」
 「なんです?」
 「信頼はあっても信用はないって、ことじゃ」
 不思議そうな顔をして、眉をよせた東堂を見つめながら、鼻で笑った。こいつは、本当に何も知らないようだ。おそらく何かを、勘ぐってはいるのだろう。だが、会話の端々で、真実を濁し、うやむやにして、じりじりと、こちらの喉もとまで迫ってくるやり方は、タイマとは違う。まるで蛇のような男だ。
 「ところで」と、話を変えた。追及する気がないのか、東堂もわしの顔を見つめながら、にっこりと笑んだ。黄色い目を細めて、その笑いを見据える。
 「貴様が、この体を調達したらしいな」
 「あ、そうそう。旦那をね。最初、永代橋の辺りで見つけた時は、驚きましたわ。妖怪かと思て、退治しようとしたら、かえりうちにあってまって」
 「だろうな」間髪入れずそう言ったわしに、東堂は苦笑いを浮かべた。
 「で、いろいろ話していくうちに、気があってまって。恭一郎さんが、最初、僕のこと見て、なんて言ったかわかります?」
 「ろくでもないことに決まっとる」
 それはあんまりやなあ、と東堂は嬉しそうに笑って、鼻の頭をかいた。
 「こんなきれいで、奇天烈な人間、見たことがない。こそこそしないで、堂々と見せびらかして歩いたらどうだ。勿体ない。って、あの心底わからないって顔で、はっきり言いはった。もう、僕は言葉の通り、仰天しましたよ。すごいお人に出会ってしまった」
 「またか」わしは、舌打ちをして、ため息をついた。それに東堂は怪訝そうな表情をして、「何です?」と、言った。
 「ここにも信者がおる、と思ったら、うんざりしただけじゃ」
 「信者じゃないですよ」東堂は苦笑を浮かべて、立ち上がった。「それから念のため言うときますけど、僕は敵でも味方でもないですって。旦那には大恩があるから、それを返しきったら、敵になる可能性も、まあ、ありますけど」
 ポケットに手をつっこむと、座敷に向かって歩き出した。茶髪の角刈りを眺めながら、「そりゃいつだ?」と、問うて笑った。長い足が、苔むした縁石をひょい、と飛び超えてから、わしの方を振り返ると「命が尽きてから、でしょうな」と、言って笑っていた。
 その天の邪鬼ぶりに、呆れたため息をついたが、なかなか面白い奴だと、見解を改めた。もちろん、油断のならない男であることに変わりはないのだが、タイマを見る時の穏やかなまなざしだけは、うそではないようだった。


    四へ続く


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