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日本酒取材ノート&日本酒余話

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過去30年余の日本酒業界の動向を取材を通して得た、情報をもとにまとめてみました。主として灘・伏見のNB日本酒メーカーを取材しており、大手メーカーの動向と関連する地酒、地元酒などの…
このマガジンを読む大手日本酒メーカーの過去のマーケティングが読み取れます。 また、そうした動きから…
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2023年10月の記事一覧

日本酒余話<3>税金とお酒の話

つい最近、10月1日からビール系飲料やワインの税金が変わり、店頭では第3のビールを中心に…

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日本酒取材ノート最終回 日本酒ヒカリは北へ!

日本酒の取材を始めた30年前と今を比較すると随分と変わってきた。私の場合はNB日本酒メーカ…

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日本酒取材ノート第8回 オーナー企業ではない日本盛多角化の「功罪」

日本盛を語る時、枕詞のようになっているのが、灘の日本酒蔵には珍しくオーナー企業でないこと…

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日本酒取材ノート第7回 若年層開拓を目指した白鹿の「挫折」

日本酒メーカーに共通する課題は、ユーザー層の高齢化である。ユーザー調査をすると、60代以…

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日本酒余話〈2〉淡路島の3つの酒造蔵

私の出身地である淡路島には3つの日本酒の蔵がある。かつては酒の名産地として「南灘」と呼ば…

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日本酒取材ノート第6回淡麗辛口・菊正宗の脱「男酒」

400年近い歴史を有する菊正宗。同社は白鶴、櫻正宗とともに阪神間の青少年を育成するため、…

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日本酒取材ノート第5回 灘・西郷の中堅蔵沢の鶴の転身

灘五郷の西端「西郷」にするする沢の鶴。本社工場か車で5分も走れば、神戸最大の繁華街三ノ宮に着く。そうかと思えば同社横の都賀川には、時々ボラの大群が遡上してくるなど、都市化されつつ、自然のなかにある環境下で操業している。 同社は昔から謹厳実直ともいえる姿勢の企業だった。生酛づくりの日本酒、純米酒など伝統的な酒造りには定評があった。しかし、その反面、主力ブランドもそれほど知名度はなく、地味な印象は否めなかった。 その一方で熱烈なファンがいることも事実。つい先日も神田の寿司へ行って

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日本酒取材ノート第4回 日本酒の革新を目指した大関の蹉跌

「恋をするなら命懸け、酒は大関こころいき」。これは最初、昭和36年に田宮次郎、昭和45年…

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日本酒余話〈1〉古今亭志ん朝の受難

2001年10月、63歳の若さで亡くなった古今亭志ん朝。立川談志と並ぶ、戦後の東京落語の天才とし…

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日本酒取材ノート 第3回価値観変化の時代に伸びた白鶴

阪神電鉄神戸線、御影駅から徒歩5分ほどの位置にある白鶴酒造本社。同一敷地内には大正時代の…

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日本酒取材ノート <第2回>30年前の日本酒が置かれていた状況

私が日本酒の取材を始めたのは、今からおよそ30年前、1990年代の初めだった。ちょうど1…

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日本酒取材ノート 第1回うんちくを語れるお酒「日本酒」

日本酒というのは不思議なお酒だ。国酒といわれながら、今のように清酒主体になったのは、せい…

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