日本酒取材ノート第6回淡麗辛口・菊正宗の脱「男酒」

400年近い歴史を有する菊正宗。同社は白鶴、櫻正宗とともに阪神間の青少年を育成するため、灘高校を設立したことでも知のられている。そうした意味では、灘の蔵元の阪神地域に果たした役割は大きい。
菊正宗は明治後半から大正にかけて宮内省御用達となり、同社は天皇の権威までを陰に陽に活用した。戦後間もない昭和22年には昭和天皇が菊正宗本社に行幸した。取材の際、一度、昭和天皇が休まれた部屋を見せてもらったが、さすがに貴賓室だけあって天井が高く、調度品も贅が凝らされていた。

菊正宗の日本酒は、淡麗辛口の酒質で「辛口ひとすじ」を貫いている。そして戦前から戦後にかけては一方で宮内省御用達でありつつ、日本酒市場では街のお蕎麦屋さんを押さえ、辛口の日本酒イメージを徹底的にアピールしていった。最近は街のお蕎麦屋さんそのものが減少しており、蕎麦屋は蕎麦割烹に変わってきているが、戦後すぐは日本人の「サラメシ」のメインストリートだった。そこで菊正宗は、お蕎麦屋さんにお店の看板のリニューアルを提案、そこに「菊正宗」の商標を付けてもらうようにした。60代以上の年配の方は記憶にあるのではなかろうか。

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