日本酒取材ノート <第2回>30年前の日本酒が置かれていた状況

私が日本酒の取材を始めたのは、今からおよそ30年前、1990年代の初めだった。ちょうど1992年に、それまでの等級制度が廃止され、特定名称酒による区分に変わる時期だった。しかし、特級酒、1級酒、2級酒による区分は、情緒性が何もない差別的呼称そのもの。
それが許されたのは、戦後のモノ不足、食料や酒類不足があったればこそ。戦後しばらくは、醸造設備や原料の米がともに不足し、日本酒は作れば作るだけ売れる状態だった。そのため、灘や伏見の蔵では、地方の蔵から樽買いした日本酒を、自分の商標で出荷した。
こうした製造者責任を無視した商売は、当然消費者の反発を招いた。それとともに、ビールやウイスキーなども復活、飲酒シーンの多様化が進行し、日本酒市場の縮小が始まった。
日本酒市場の縮小に拍車をかけたのが、地方の有力蔵による「地酒」の確立だ。大手日本酒メーカーの樽買いなどに、批判的だった日本酒ファンは、伝統的な日本酒醸造にこだわった地酒を支持、1980年代後半には、「地酒」「NB日本酒」「地方酒」という日本酒支持ヒエラルキーになっていった。つまりNB日本酒は仕方なく飲む日本酒、本当に日本を味わいたい時は、お金を出して地酒を楽しむという逆転現象が起こった。

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