励ましの言葉なのに、心苦しくなる私。
『今日』
「今日」
という詩をご存知でしょうか。
原作者は不明ですが、ニュージーランドの子育て支援施設に張り出されていたそうです。
その詩は世界中に広まり、日本語訳は伊藤比呂美さんがされています。
まずはご一読ください。
お母さんへの応援歌
2〜3歳のお子さんをお持ちで、子育てを中心に生活を組み立てているお母さんであれば、大なり小なり共感できる詩ではないでしょうか。
一応ことわっておくと、お父さんが中心で子どもを見られている場合ももちろんあります。
ただこの詩はおそらく、お母さんに向けて書かれたものじゃないかと感じました。
きっとこの作者は、
「今日も何も出来なかった、、」
と感じているお母さんに、
「そんなことはないよ、あなたはとっても尊い仕事をしているんだよ」
と抱きしめるような気持ちで書いたのではないでしょうか。
この詩は女性には強く共感されると思いますが、男性に響く言葉かけはもう少し論理的な言い回しの方が納得されるのではないかと思いました。
男性への言葉かけとは例えば
「一見生産性の低い時間の過ごし方に思えるかもしれませんが、長期的視点から見るとそうとは言えません」
こんなかんじでしょうか。笑
これは私の個人的な感じ方ですので賛否あると思いますが、以後も母親目線になりますことご了承頂けると幸いです。
私も初めてこの詩を読んだとき、埃っぽくなっていた部屋の隅っこを思い出しながら、
「何も出来ていないと自分が思ってても、そんなこともないのかな、、」
と、自分を肯定してくれているように感じました。
子どもと四六時中過ごしていると、なんの自己成長もない、自分だけ止まったまま置いて行かれているような気持ちになることがあります。
だからこの詩を読んで励まされたお母さんはたくさんいたと思います。
「何も生み出していないかに思える毎日も、ちゃんと子どもの成長に貢献しているんだ」って。
子育ては尊いとわかっているのに、出口の見えない毎日に焦りを感じているようなお母さんに読んでもらいたい詩です。
何故か励まされなかった私の気持ち
ただ私は、作者が伝えようとしたかった意図はなんとなくわかりつつも、その意図通りに慰められなかった自分に気づき、心苦しさを覚えました。
この詩を最初に読んだのはもう10年も前のことですが、当時はその心苦しさの理由がわからないままでした。
今回久しぶりにこの詩を思い出し、その時の自分の気持ちを紐解きたいと思いました。
おそらく私の感じ方はマイノリティであると思いますが、もしかしたら同じように感じる人もいるかもしれないと思ったので共有させて頂きます。
10年前に感じた心苦しさの理由
読後私に見えたのは、
「自分が肯定すれば、詩で語られていたような1日に意義があるお母さん」
でした。
この詩に全面的に共感できたらどれだけ楽だろうと思う自分と、このような1日を過ごしたらどれだけ夫に怒鳴り散らされることかと思う自分がいました。
つまり、ここで肯定されるお母さんには、
「それを肯定してくれる旦那さんの存在がある」
ということです。
でも私にはない。
だからこの詩を読んでも100%救われた気持ちになれず、心苦しさを覚えたのだと思います。
幼少期の子育ては確かに大変でしたが、その頃に大変だったこととして真っ先に思い出されるのは子どもではなく夫です。
子育ての大変さが追いやられるくらい、夫の顔色ばかり伺っていました。
例えば築50年超のあまりきれいじゃないアパートでも、細かい掃除もな〜んも気にせず、ただ子どもとの時間を過ごせたらどれだけ幸せだろうと想像していました。
もし床に食べかすが散らかっていたら。
もし台所にお皿がたまっていたら。
もしベッドがぐちゃぐちゃのままだったら。
もし窓が汚なかったら。
人格のかけらも残らないくらい、木っ端微塵にボロクソ罵られるでしょう。
ずっと家にいてあんた何してんだよ。
あっちもこっちも汚ったねぇなー
子どもと遊んでいるだけじゃねーか。
代われるもんなら代わりてぇわ。
母親の自覚あんのかよ。
そんな環境で子ども育てるなんて虐待だろ。
普通への嫉妬
ママが集まると一つやふたつパートナーへの不満が出ます。
でも、子どもがいたらおもちゃが出たままだったり、夕飯が簡素になってしまうことは仕方ないと理解している旦那さんもたくさんいると思います。
普通、なんだと思いますが。
当時の私はたぶん、その「普通」に嫉妬したんだと思います。
この作者が励ましている、たくさんの見えないお母さんたちの輪にも入れない自分は、もっとずっとかわいそうでみじめに思えて、逃げ出したくなったんです。
言葉の意味付けは受け手がする
人は見たいものだけを見ると言います。
どちらかというと物事は自分に都合よく解釈する場合が多いですが、自己肯定感が低いとその逆に解釈してしまいがちです。
10年前の私はまさにそうだったのかもと今になって思います。
少し極端な結論付けですが、今子育て真っ只中で、この詩に純粋に励まされる人はきっと、そこそこ良い夫婦関係を築けているんじゃないかと思います。
「大多数がこういう反応だろう」
と想定される発信に対して、自分はそうは感じないという場合、単に価値観の違いの場合もありますが、その反応を阻害する他の要因があるのかもしれません。
この10年ずっとこの詩を気にかけてきたわけではありませんが、今回自分なりに理由を導き出せたことでちょっとした解放感を感じています。
これをお読みの方で、もし同じようにすんなり入ってこない言葉があったとしたら、それを阻害している要因を探してみるのもいいかもしれませんね。
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