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フォスターチャイルド(里子)の村を訪ねた時の話。

きっかけ

私の父は生前色々な支援団体に寄付をしていました。

ある時は経済的な里親として、タイのウドンタニーという所に住んでいる男の子の教育費を支援していました。

今から20年近く前の話で、まだスマホもYouTubeもない時代です。

男の子との交流手段は「手紙」でした。
男の子が書く手紙は当然タイ語です。
それを他の職員が英語や日本語に翻訳して、原本と共に送られてくるのです。

男の子が住んでいたのは、ウドンタニーの駅から更に車で2時間ほどかかるところで、日本のように郵便システムがスムーズに整っているわけでもありません。

なので一度のやり取りにとても時間がかかるのですが、手紙が届いた日は父がとても嬉しそうにしていたことを覚えています。


パイウンサック

実家にあった人形を「パイウンサック」と名付けていました。
人形の名付けにしてはやけに凝ってるなと思っていたのですが、里子の男の子の名前と聞き合点がいきました。
もし自分に男の子がいたらという憧れもあったのかもしれません。


行ってみよう!

ある時ふと思い立って、一度その村に行ってみようかなと思いました。
父の代わりにパイウンサックくんに会いに行こうと思ったんです。

日本人が来ることはほぼないとのことだったので、私が一人で持てる範囲で折り紙などの日本的な物から洋服や雑貨といったお土産をあれこれかばんに詰め込んで行きました。

日本からタイへは、首都バンコクに直行便があります。

そこから鉄道を使って約10時間かけてウドンタニーの駅までいきます。

遠い昔の話で色々と細かい部分は忘れているのですが、日本からウドンタニーまで一気に行ったのではなく、一旦バンコクに滞在してから行きました。

バックパッカーに人気のエリア、カオサン通りで宿を見つけ、事前に駅まで行って列車のチケットを購入したように記憶しています。

スーツケースは持たずに大きなバックパックと、細々した必要なものがすぐ取り出せるような小ぶりのカバンの2つを所持して行きました。

列車の乗客はそう多くはなく、列車の窓から売り子が
「お弁当はいらんかね」
という目でこちらを見ています。

ふとおじいちゃんを思い出す

首都から離れていく景色は、どこまでものどかでした。

そういえば昔、そんなにテレビを見なかったおじいちゃんが、どんな体内時計をもっていたのか
『世界の車窓から』
の時間になるとプッとテレビをつけ、石のように微動だにせず各国の車窓からの景色を見ていました。
「これだけはな、なんか好きやねん」
言葉数の少なかった祖父は何を思って見ていたのでしょう。

「この景色持ってってあげたいなぁ。」
なんてぼーっと考えながら眺めていました。


途中眠くなった時は大きなリュックにもたれかかり、貴重品をしっかり身につけて眠りました。
誰も疑いたくはないけれど、何かあったら後悔しますからね。


ウドンタニー到着

さて、ようやくウドンタニーに着くと、事前に連絡をしていた職員さんが迎えに来てくれていました。

まずは事務所に連れて行ってくれました。

ショッピングモールやこういった事務所では、タイ人の体感温度を疑うくらい冷房がキンキンに効いています。

「アイススケートでも併設してるのかな?さぶっ。」
長袖は必需品です。

職員さんは日本語は話せませんが、英語で対応してくれます。

もう座り飽きたお尻をまた車のシートに乗せ、舗装されてない道を更に進みます。
体が常に飛び跳ねてちょっとしたアトラクションに乗っているような状態が2時間ほど続き、ようやく村に着きました。

村到着!

私としてはパイウンサックくんに会って、話をちょっと聞いてお土産を渡して帰るくらいに思っていたのですが。

村人全員集合?!

おそらく、本当にそんな勢いで出迎えてくれて、びっくりしました。

日本人が村にくるということが、村の人たちにとっては大騒ぎの一大イベントだったみたいです。

「来たのがこんなみすぼらしい私でごめんなさい」
と思いながらも、思わぬ歓迎は本当に嬉しかったです。

もてなし料理で食事も用意してくれていて、村の人たちとみんなで食べました。

手を洗いたい

余談なんですが、このコロナ時代では信じられない話だと思いますし、例えビフォーコロナだったとしても単に個人的に不潔なだけと引かれるかと思いますが、、

列車からこの食事まで、一度も手を洗っていなかったんです。

丸半日以上?

さすがに食事前は手を洗いたいなって思ってたんですが、

「なんかもう座っちゃったし話しているのにそれを遮って手を洗いたいとか申し出ると話の腰を折ってしまうし誰かが手洗い場に私を連れていかないといけないと場の流れを妨げてしまうなうんたらかんたら、、、」

そんな日本人的気遣いなのかためらいなのか優柔不断なのかを発動しているうちに、

「いただきます」

になってしまいまして、、

タイの料理は地方によって味付けが違いますが、ジャスミンライス(カオスワイ)や餅米(カオニァオ)をおかずと一緒に食べるのが主流です。
残ったおかずの汁をご飯につけて食べるのも美味しいです。
竹で出来た筒型の入れ物にお米が入っているのですが、それを手で食べます。

もう自分でも汚れていると思う手でもち米を掴むと、なんともち米が真っ黒に。笑
いや全然笑えないんですが、職員さんや村の人と和やかに談笑しながらも、頭の中は
「このきったない手をどうしたものか」
という問題でいっぱいです。

「だめだ、ご飯を粗末にするのはバチが当たるかもしれないけれど、この真っ黒ご飯は食べられない。
ならば、、」

私は、更にもう少しご飯を取って、手の汚れを思いっきりご飯にくっつけました。

ベタベタベタベタ。

ご飯を使って手を洗うことにしたんです。

ここまで来てそんなことをしている自分が可笑しかったですが、真っ黒になったご飯のかたまりはそっと隠します。

次に取ったご飯は白く、ようやく美味しく食事を頂くことが出来ました。

もっと大事なシーンは他にもいっぱいあったろうに、鮮明に覚えている記憶というのは往々にして振り返るとこのように下らないものが多いと感じます。


寄付の良さ

パイウンサックくんは当時、中学生でした。
顔の前で手のひらをあわせ、挨拶をしに来てくれました。

何を話したかはあまり覚えていませんが、感謝の気持ちは伝わってきました。

おそらく日本で毎月自動的に寄付団体へ引き落とされているだけだと何も感じることはなかったと思います。

でも、父の寄付がパイウンサックくんだけじゃなく村全体の助けにもなっていることを肌で感じて、人のために使うお金の尊さを学んだ気がしました。

そんな大袈裟な話ではないかもしれませんが、自分のために使うお金も大事だけど、誰かが喜んでくれるのを見るのはすごく嬉しく感じましたし、みんなが幸せになるお金の使い方だなと思ったんです。

ミャンマーのとある村に井戸の寄付なんかもしていたんだとか。
「へぇ〜結構いいことしてるんだ」
と、父のことも誇らしく感じました。


トイレに行きたい

そんなこんなで食事も終盤になり、村の案内をしてくれるといいます。

私はその前にトイレに行かせてくれと伝えました。
そしてまた、無駄に鮮明な思い出ができました。

タイの田舎のトイレというと想像がつく方もいらっしゃるかと思いますが、そう、オープンエアです。

広々とした空間の真ん中に、トイレがポツンとあります。

囲いが広すぎて、どっかから覗かれてても仕方ないような頼りなさですが仕方ないです。

あ、もちろん紙はありません。
おおきな壺に水と桶が入っています。

見上げると雲ひとつない眩しいくらいの青空。
木々の輪郭がくっきりと浮かび上がる景色を鮮明に覚えています。
清々しいなと思いながら用を足しました。


おうちにお邪魔虫

その後村を案内してもらったあとは、パイウンサックくんのお宅にお邪魔しました。
木造の家で、家族が賑やかに暮らしているのが窺い知れます。

私が持って行ったお土産を一つずつ取り出すと、みんな大盛り上がりで喜んでくれました。

お土産とは全然関係のない、私が個人的に持っていた使いかけのマニキュアも
「かわいいー!!」
と女子軍団が大興奮笑

持てる荷物は限界があるけど、もっとたくさん持ってこれたらよかったなぁ〜と思いました。

今のニューノーマルで生きている子供たちには、
「マスク?ソーシャルディスタンス?ナンデスカ?」
というこんな時代は信じられないかもしれませんが、思い返してつくづく、コミュニケーションはアナログであればあるほど互いの距離を近づけるなと思います。

遠い昔の話ですが、ふいに思い出したので書いてみました。
旅をすると視野が広がって様々な価値観が見えてきますよね。
こんなご時世だからこそいっそう旅が恋しくなりますが、またそんな思い出話も時折綴っていこうかと思います。


ワイ

おまけのマメ知識。
顔の前で手のひらを合わせることをタイでは「ワイ」と呼びます。

このワイの位置が胸、顔、頭、と上に上がるにつれ、相手への敬意も高くなります。
神様にワイをするときは、頭より更に高く手をあげます。

気持ち手の位置を高くしてワイをすると気持ち喜ばれると思いますので、機会があれば試してください。
決まりがあるわけではないと思いますが、お腹の前とかはあまりよくないんじゃないかと思います。
顔の前あたりが無難でしょうか。
それではまた^^


タイといえばグリーンカレー。
大好きです♡


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