【recri体験レポ】国立西洋美術館に初めて行ってきた
recriとはエンタメのサブスクを謳っているサービスです。個人の趣向に合わせて毎月ランダムでエンタメのチケットを送ってくれます。今回は、国立西洋美術館リニューアルオープン記念の企画展示「自然と人のダイアローグ」のチケットが届きました。
「自然と人のダイアローグ」とは
国立西洋美術館リニューアルオープン記念として、ドイツ・エッセンのフォルクヴァング美術館の協力を得て、自然と人の対話(ダイアローグ)から生まれた近代の芸術の展開をたどる展覧会を開催します。フォルクヴァング美術館と国立西洋美術館は、同時代を生きたカール・エルンスト・オストハウス(1874-1921)と松方幸次郎(1866-1950)の個人コレクションをもとに設立された美術館です。本展では開館から現在にいたるまでの両館のコレクションから、印象派とポスト印象派を軸にドイツ・ロマン主義から20世紀絵画までの100点を超える絵画や素描、版画、写真を通じ、近代における自然に対する感性と芸術表現の展開を展観します。産業や社会、科学など多くの分野で急速な近代化が進んだ19世紀から20世紀にかけて、芸術家たちも新たな知識とまなざしをもって自然と向き合い、この豊かな霊感源から多彩な作品を生み出していきます。足元の草花から広大な宇宙まで、そして人間自身を内包する「自然」の無限の広がりから、2つの美術館のコレクションという枠で切り出したさまざまな風景の響き合いをお楽しみください。自然と人の関係が問い直されている今日、見る側それぞれの心のなかで作品との対話を通じて自然をめぐる新たな風景を生み出していただければ幸いです。(原文抜粋)
美術館に行く前に
僕はこれまで美術館というところに行ったことが無かったので、上記の開催コンセプトを読んでも、ほとんど何も理解できませんでした。予備知識無しで突撃しようとも考えましたが、得るもの無しで帰ってきそうな予感がしたので、ある程度下調べをして行ってきました。
・美術館とは
美術館とは、博物館の一種 であり、美術作品を中心とした文化遺産や現代の文化的所産を収集・保存・展示し、またそれらの文化に関する教育・普及・研究を行う施設である。
※博物館とは、特定の分野において価値のある対象、学術資料、美術品等を購入・寄託・寄贈などの手段で収集、保存し、それらについて専属の職員である学芸員が研究すると同時に、来訪者に展示の形で開示している施設である。
・美術館の定義
高価な美術品や歴史的に貴重なものが所狭しと並ぶ美術館や博物館へ、「美しい物を見たい」という目的で訪れる人も多いはず。しかし歴史やアートに関する映像を制作するThe Art Assignmentによると、美術館や博物館といったミュージアムは「美」よりも重要な目的を持っており、ゆえに人は何度も美術館を訪れるべきだと説明しています。何百年もの間、人は歴史的なもの、高価な金属、アートなど、「価値がある」と考えるものを安全な建物の中に保管してきました。美術館や博物館といった「ミュージアム」が、その最たる例です。この作業を行ってきたのは、主に権力を持つ特権階級。ただし、歴史上の権力者の多くは所有していたり盗んできたりした物を、建物に保管するだけで、一般の人々がアクセスできるようにはしていませんでした。2018年現在、数多くの都市が「貴重なものを保管・展示した建物」を1つ以上有しています。なぜ博物館や美術館といった施設は必要で、私たちはなぜ何度もこのような施設を訪れるべきなのでしょうか?それには、美術館がどのような歴史から生まれ、どのような役割を持っているのかを理解する必要があります。
「Museum(博物館)」という言葉は、古代ギリシャの女神ミューズに由来し、「mouseion(ミューズの席)」という意味を持ちます。古代ギリシャのアレクサンドリアに存在したミュージアムは数々の書物を保管する、現代で言えば図書館や大学のような建物だったと言われています。また、古代ローマにおけるミュージアムは哲学的な議論を行うための場所だったとのこと。今日のミュージアムには美術品や芸術品が飾られていますが、古代では、神をたたえる絵画などはアクロポリスに、彫像は公共の場に飾られていました。一方で、今日のお金持ちと同じように、裕福な人が家に美術品を飾ることもありました。ルネサンスの時期になると、フィレンツェの実質的な支配者として君臨したメディチ家が、数々の芸術品を収集しだします。そして、メディチ家は最終的に、これらの芸術品を公共財として扱いました。裕福な人々が、自分たちの死後もコレクションが保存され、人々に共有されることを目的に寄贈を行ったのです。そして、フランス革命が1789年に起こったことで、王室関係者たちのものだったコレクションが、一般公開されるようになりました。「美術品の収集」は、それが戦争の記念品であっても、芸術家が作ったアートであっても、非常に難しいもの。なぜなら、作品は、作者や生まれたコミュニティーといった「文脈」から切り離された状態になってしまうためです。オブジェクトの出どころはどこで、どのような歴史をたどったのかということを明るみにするのは困難な作業。そのため、時に訴訟沙汰にまで発展します。略奪されたものが何十年、何百年も後になって持ち主の元に戻るということも少なくありません。しかし、ミュージアムは収集物を「保管」するだけでなく「公開」することで、人々が歴史のある物について楽しみ学べるようにし、それが「もともとの所有主を見つけて返す」ということにも役立っています。そして、「どのようにコレクションを展示するのか」ということも、年月と共に変化しています。生き物の剥製や珍しいコレクションをキャビネットや壁に所狭しと並べるのは16世紀~17世紀にヨーロッパで採られた方法。サロンの様式で床から天井までびっしりと絵画を壁に飾るスタイルは19世紀のルーブル美術館で採用されました。そして現代は、白い空間「ホワイトキューブ」の中で展示が行われ、テクノロジーの発達によっても、コレクションから人々が学ぶ方法が大きく変わりました。同様に、建物の形も変化しています。ピラミッドから始まり、古典的な建物新古典主義建築は、ミュージアムの形として数多く採られています。古典建築の隣にモダンなキューブの建物がある施設が存在すれば、独特の形状をとるミュージアムも存在します。しかし、どのようなミュージアムであっても、「現代より前に作られ、使われていた価値のあるものを、現代の人々が触れられるようにする」という目的を持っています。ミュージアムにあるものは、それらが作られた場所や時間、作った人がどのようなものだったのかを明らかにするヒントをくれます。また、「作られた時の状況」だけではなく、オブジェクトが販売され、持ち主を変え、どのようにコレクションに入ったのか、そして一般展示されたなかった時期やされた時期はいつか、という歴史についても説明します。オブジェクトは、過去・現在・未来にわたって価値が変化してきたことを視覚化しており、何度もミュージアムを訪れることで、私たちは歴史を復習して、歴史の中で掻き消された声や虐げられた物語をよみがえらせることが可能なのです。ミュージアムのコンテンツはさまざまな組み合わせで展示されることがあれば、何年も同じ組み合わせで展示され続けることもあります。このような「組み合わせ」によっても、歴史は「後ろ向きに続く1列のライン」ではなく、複数の糸が絡まったものなのだと、人々は理解できます。ミュージアムは誰がリーダーになるかや、どの財団が支援するかによっても大きな影響を受けるもの。そのため、時にはスタッフの給与や料金について無謀な決断を行います。しかし、これらの決断は、いつ何時でも、オブジェクトを人々に公開しつづけるという任務を果たすために行われます。山火事が起こった時や、海面が上昇した時のような緊急時でも。これらのスタッフが、あらかじめ決められたプランを実施できるようにしています。また、歴史あるオブジェクトが今後も適切な形で残されていくよう、修復管理者が作業を行い、トレーニングを積んだガードマンがコレクションを守ります。コレクションを梱包したり、移動させたり、展示するにも専門技術が必要です。展示されているものを通して歴史について語り、コレクションについての研究は、過去を明らかにし未来を予測し、社会にとっての利益を生み出します。美術館の業務に関わるスタッフは、その多くが学びや訓練を積んだ専門家なのです。そして近年は、ボランティアの手によって、ミュージアムを訪れなくともコレクションを見られるようにする試みも行われています。はっきりさせておくべきなのは、ミュージアムは「ふんぞり返って楽しめるエンターテイメント」ではないということ。ミュージアムの真価は、「美によって人をうちのめす」ことではなく、「見た人に歴史について再考させ、私たちが今どこにいて、どうすれば未来を変えることができるのかを理解させること」にあります。ただ展示されているものを見るだけでなく、好奇心と我慢強さを持って考えることをやめなければ、ミュージアムは大学や図書館のようなものに変わるとのこと。ミュージアムに何度も足を運ぶべきなのは、このため。人は年月と共に変化するので、何度も通うことで、違った「気付き」が得られるのです。
・芸術の定義
芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動を表す。文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などが、芸術の諸分野である。「人間が自らの生と生の環境とを改善するために自然を改造する力」と定義している。その中でも特に、芸術とは、予定された特定の目的に鎖されることなく、技術的困難を克服し、現状を越え出てゆこうとする精神の冒険性に根ざし、美的コミュニケーションを志向する活動であるとする。この活動は作品としてコミュニケーション媒体となる。時代や場所によって、その形態や機能は変化する[1]。芸術の定義をめぐる問いは美学の分野で議論・研究されている。
・美術の定義
原始時代の洞窟壁画(ラスコーの壁画など)は呪術的な目的で描かれ、人間、牛の姿を巧みに捉え、日常的な実用性を離れた表現となっており、美術史の始めのページを飾るものである。美術は多く宗教とともに発達してきたが、近代以降は宗教から独立した一分野を形づくるようになり、個性の表現としても捉えられるようになってきている。美術は芸術の一分野である。芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動である。とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。
・印象派とは
印象派または印象主義(いんしょうしゅぎ)は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動であり、当時のパリで連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。この運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。この絵がパリの風刺新聞『ル・シャリヴァリ(フランス語版)』で批評家ルイ・ルロワの槍玉に挙げられ、皮肉交じりに展覧会の名前として記事の中で取り上げられたことがきっかけとなり、「印象派」という新語が生まれた。
印象派の絵画の特徴としては、小さく薄い場合であっても目に見える筆のストローク、戸外制作、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングルなどがあげられる。
印象派は登場当初、この時代には王侯貴族に代わって芸術家たちのパトロン役になっていた国家(芸術アカデミー)にも評価されず、印象派展も人気がなく絵も売れなかったが、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医師、歌手などに市場が広がり、さらにはアメリカ合衆国市場に販路が開けたことで大衆に受け入れられていった。ビジュアルアートにおける印象派の発展によって、ほかの芸術分野でもこれを模倣する様式が生まれ、印象主義音楽や印象主義文学(英語版) として知られるようになった。
・西洋美術史について
印象派という言葉を調べた結果、それは美術史における時代、または流行みたいなものということが分かりました。印象派自体の定義は上記の通りですが、きちんと理解するためには、印象派が生まれるきっかけになった歴史が前提知識として必要でした。西洋美術史についても調べましたが、まとめきれないので、参考サイトと動画を貼っておきます。
自然と人のダイアローグ展 感想
上記のことを予備知識として事前に入れて、いざ、国立西洋美術館に行ってきました。自然と人のダイアローグ展では、印象派と後期印象派の絵画が中心に展示されていたので、風景画が多く展示されていました。
まず行ってみて最初に思ったのは、絵画を生で見るのとデータで見るのとでは全然違う、ということでした。油彩で描かれた絵画は、画家のタッチなどがとてもリアルで、情熱というか、うまく言葉で表現できませんが、データや教科書では感じられない何かがあるということが、直感的に理解できました。
印象に残った絵画はいくつかありますが、ジャン=バティスト・カミーユ・コローの「ナポリの浜の思い出」は、迫力とエモさが両立している素敵な絵でした。写真では伝わりませんが、絵画自体1mくらいの大きさで、目の前にすると、まず語彙が無くなり、ただただ「すげえ・・・綺麗だ」と思いました。ナポリの浜の思い出というタイトルなのに、浜辺をダイレクトに描かず、森の奥に見せる画面構図にとても好感を持ちました。例えば自分が旅行で観光に行ったとき、その場所が期待外れだった場合、そのまま立ち去りますが、とても感銘を受けた場所だった場合、名残惜しく振り返ったりするなぁと思いました。画家のコローさんもナポリの浜のことをとても気に入って、名残惜しく、後ろを振り返ったときの風景がとても綺麗で、それを絵にしたのかな、とか思うとめっちゃエモい気分になりました。
他にも、もっと印象に残る絵画はたくさんありましたが、まだまだ自分なりに解釈出来る絵画は多くなく、ほとんどの絵画は単純に絵が綺麗だとか、これは分からんとか、そういう感想しか出なかったのが本音です。
ただ、絵画をデータで見るのと生で体感するのとでは天と地ほどの差があることを理解できたことと、印象に残る絵画については、自分なりに解釈するということが楽しいと思えたのが、とても良い収穫でした。recriで初めて美術館に行くきっかけが出来て、本当に良かったです。また今度は自分の意志で美術館に行こうと思いました。
recriに加入して届いたチケット遍歴
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