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「いい子」ってなんだろう。わたしの思う「いい子」の定義。

「いい子にしていましたか?」

ここは産婦人科。
一ヶ月検診中で、新生児ルームの前で診察の番が来るのを待っていた。

ママさんが自分の診察のため、赤ちゃんを助産師さんに預けて、戻ってきてから、開口一番、尋ねられていた言葉。

「いい子にしていましたか?」

「泣かずに待っていましたよ」

赤ちゃんを受け渡しつつ、助産師さんは答える。
その言葉に、ホッとしたのか、ママさんの頬がゆるむ。

いい子、か。

泣かずに待っていたらいい子、なのか。

腕の中ですやすや眠っている我が子を見ながら思う。
確かに、わんわん泣き喚いていたら、周りに迷惑がかかる。ママも大変。
すやすや眠ってくれてありがとう、とは思う。

けれど。

いい子ってなんだろう。


「いい子にしていましたか?」と聞いて、モヤモヤしてしまった、このわけを考えてみたい。そして、わたしの思う「いい子」とは何か、言葉にしてみたい。




いい子だね。
お利口さんだね。

そんな言葉が発せられる場面はこんな時だ。

泣かずにおとなしくしている。
ぐっすり眠って、夜泣きをしない。
親の言われた通りにマナーを守っている。

では、それとは反対の行動をしている場合は?

静かにすべき場所で泣き喚いている。
夜泣きがひどく、なかなか寝ない。
親の言うことを聞かずマナーを守らない。

困った子、となるのだろうか…


「いい子」と呼ばれる子の共通点は、「大人の手がかからないこと」だろう。

「いい子」の基準は、親から見た基準。
育てやすくて、親の言うことをよく聞く。

けれど、それが、果たして、
「よいこと」なのかどうかはわからない。

いや、よいことじゃない場合もあると思う。

あまりぐずることもなく、苦労せず育ったのであれば、子どもと接する機会はおのずと減るだろう。泣き喚く子ならば、あの手この手で、子どもをあやし、子どもとの接し方を自然と学んでいく。「親」としての成長の機会が、たくさんあるということにもなる。

親の言うことをよく聞く子ならば、逆を言えば、主体性を欠いているということにもなりうる。親の指示、注意には敏感。必然的に受動的な行動を取ることになる。親の支配下、制限のある行動ばかりになり、子どもの個性が発揮しづらい状況に陥るだろう。




話は変わるが、先日、レストランに行った際に、長男がレストラン内を駆け回っていた。母親であるわたしが、何度注意しても、言うことを聞かない。

普段と違う場所。大好きな人たち。
長男はうれしくてたまらなかったようなのだ。

行動だけを見たら、
「よくない行動」

いい子とは程遠い。

けれど、長男の個性が爆発していて、その視点から見ると、とても素敵なことだと感じていた。

もちろん、ルールやマナーをこれから学んでいく必要があるし、親として教えていかなければならないことがある。けれど、子どもの個性がいかんなく出せる環境は、望ましいことだと思える。


いい子ってなんだろう。

わたしの思う「いい子」とは、
「その子がその子らしくあること」
そう定義したい。

noteで、何度か紹介している、大好きな詩。

やんちゃ者からはやんちゃ者の光
おとなしい子からはおとなしい子の光
気の早い子からは気の早い子の光
ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光
天いっぱいに 子どもの星を かがやかせよう

東井義雄「子どもは星」より一部抜粋

やんちゃ者は思う存分やんちゃ者でいることが「いい子」であり、おとなしい子は思う存分おとなしい子であることが「いい子」である。

その子が、思う存分、自分の光を輝かせられていたら、「いい子」なんじゃないのかなぁ。

だから、ほんとうは、
みんな「いい子」

それぞれの光を輝かせられたら、
みんな「いい子」なのだ。

輝かせられる環境。
輝かせられる大人。

子どもにとって、そういう環境があり、そういう大人がいることがしあわせなことなんだと思う。


親として、また一つ、小さな学びをさせてもらいました。


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