余命10分

2022年7月28日。母が<余命>を宣告された。母が生きているこのあいだ、日々感じるあ…

余命10分

2022年7月28日。母が<余命>を宣告された。母が生きているこのあいだ、日々感じるありのままの想いを、祈るように、どこかに記録しようと思った。これは毎日<10分>だけ綴る、日記のような手紙のようなもの。ずっと続けばいい。

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【 はじまりの日記 】 2022年8月1日 — 散歩をしていたら行き止まりだった時の感覚に似ている。

今日から8月。暑い。テレビでは熱中症に対する注意喚起の放送。前から気になっていたタイ料理屋でグリーンカレーを食べてから部屋に戻って、書いてる。先週、母が余命宣告を受けた。体調が悪いから検査をしたとは聞いていたけれど、死ぬとは思っていなかったから、突然だった。電話で病状や今後の予定を聞きながら、不思議と涙も出ないし、悲しい気持ちにもならない。散歩をしていたら行き止まりだった時の感覚に似ている。「あぁ戻らないとなあ」と心の中で小さく囁く、そのくらいの感じ。戻れないけれど。 医者

    • 余命10分 / 2023年7月26日 — リノリウムの床。

      今朝から大きな病院に来ている。小さな頃から皮膚が弱かったため、皮膚のトラブルが耐えない。今回は通院と日々のケアを続ければ治る病気だけれど、完治に1年はかかるらしい。子どもの頃によく母と皮膚の治療のために病院に通った。やわらかくてやさしい記憶だ。 大きな病院に来ると、自分が癌を患って入院・通院していた数年がフラッシュバックする。精神的に不安定な時だと眩暈や吐き気がして、母とのやわらかい思い出が床に落ちる。余命半年を宣告され、死にたくない、死んでたまるか、とベッドの上で震え続け

      • 余命10分 / 2023年7月21日 — 母の母の母。

        昨日に続いて少しだけ母の実家の話。母方の祖父母の記憶がおぼろげなのはなぜだろう。 母の父と母。つまりぼくの祖父母は、どうやら戦後にかけ落ちしたらしい。戦地・満州から命からがら引き上げてきた祖父・武史と祖母・露子の結婚は何かしらの理由で認められなかったのだ。どのくらいの程度のかけ落ちかは想像もつかないけれど、本家(つまり祖父の実家)が会津若松市内にあると聞くと、遠路はるばるというわけではなさそうだ。ただ母の葬式の時に聞いたおばさんの話によると、武史亡きいまも本家とは絶縁状態。

        • 余命10分 / 2023年7月20日 — 似ている。

          母が死んでから東京のおばさんと時々会うようになった。江戸川区に住む真理子おばさんは母の姉。次女にあたるが実は正確には三女で、母は四女。幼くして死んでしまった姉がもうひとりいたらしい。 おばさんたちのエピソードはこちらから 母方の実家は少し不思議だった。 鶴ヶ城や白虎隊でおなじみの福島は会津若松市の郊外の丘の上に、母方の実家はあった。子どもの頃、春休みや夏休みに帰省すると、坂道をトンネルのように覆う桜や、燦々と降り注ぐ夏の陽射しが、木漏れ日でもまぶしかった。遠い記憶の中で

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        【 はじまりの日記 】 2022年8月1日 — 散歩をしていたら行き止まりだった時の感覚に似ている。

          余命10分 / 2023年7月19日 — 眠い。

          昨日の日記で、母の死を前に言葉が話せなくなった少女の話を書いたけれど、ぼくの場合とにかく眠い。毎日平均して10時間は眠るようになったし、昼や夕方に1時間ほどの仮眠を取るようになった。夜はストンと隙間に落ちるように眠ってしまう。移動中はもちろん、食事中、仕事中、急に睡魔が襲ってくる。 42歳という年齢のせいかもしれないけれど、同世代の友人たちがそんなに寝ているとは思えない。 そういえば、ひとりで暮らす父の様子を見に、なるべく山形に帰るようにしているのだけれど、ある日、父も同

          余命10分 / 2023年7月19日 — 眠い。

          余命10分 / 2023年7月18日 — ぎこちない毎日。

          2023年7月18日 8月12日に母の一周忌の法要を行うことになり、なんとなく “ぎこちなく” 暮らしてきたこの数ヶ月にピリオドを打たないといけないという気がしている。朝、シャワーを浴びてなんとなくこの日記の存在を思い出し、濡れた髪のままパソコンに向かう。とにかく10分、書いてみる。 1年前は何をしていたのだろうと振り返ってみると、ちょうどコロナ罹患による2週間の自宅待機が明ける日だった。熱はなかった方だけれど、からだは重くだるく、嗅覚が人より長く鈍っていた。ちなみに母は

          余命10分 / 2023年7月18日 — ぎこちない毎日。

          余命10分 / 2023年1月12日 — 遠藤鮮魚店。

          前回のつづき 100年以上続く、海から遠く離れた山奥の古民家の食卓に、新鮮な「お造り」が並ぶ日がくるなんて、誰が想像しただろうか。父や母だけではなく親戚も知らなかったその魚屋の名前は、 「遠藤鮮魚店」 聞けば、ここ宮内の地で140年以上の歴史を誇る老舗中の老舗だった。 父も母も、そのお魚の鮮度とおいしさに感動していた。もちろんぼくも妹も。山形の、特に山間部は、お刺身がおいしくないというのが相場だったから、それはなおさらだった。 それから、実家での少しの贅沢は「遠藤鮮

          余命10分 / 2023年1月12日 — 遠藤鮮魚店。

          余命10分 / 2023年1月11日 — こんなところに魚屋さんが。

          少し昔の話。と言っても10年は経たない気がする。 めずらしく年末帰省していて、父と母の買い出しに付き合っていた。実家がある山の上から車でくだって、その麓に広がる「宮内」という小さな町で買い物をする。「ヤマザワ」というスーパーに行くのが定番で、おなかが空いていたらどこかのラーメン屋に入る。1年に一度帰るかどうかという町だけれど、子どもの頃から通っていれば見慣れた景色だ。 ただその日は、なんとなく、しっかりと町の景色を目に焼き付けていた。東日本大震災の後だったのかもしれない。

          余命10分 / 2023年1月11日 — こんなところに魚屋さんが。

          余命10分 / 2023年1月10日 — ただ通り過ぎるのもおかしな場所。

          台所と、みんなでごはんをいただく大広間のあいだにはかつて土間で囲炉裏があった小上がりのような部屋がある。掘りごたつがあって、テレビがあるだけの部屋。家にあがったお客さんとひざをついてあいさつをする部屋。 祖父が元気だったころは、こたつの上座は祖父のコックピットのようだった。祖父の手が届く範囲に大事なすべてがしまってあったかのように思える。耳かきからつまようじ、印鑑から昔の思い出の写真まで、座って手を伸ばせば届くところから、手品のようにいろいろなものが出てきた。 祖父が亡く

          余命10分 / 2023年1月10日 — ただ通り過ぎるのもおかしな場所。

          余命10分 / 2023年1月9日 — 今年の牡蠣。

          2022年12月30日 晦日 ぼくがしゃぶしゃぶを用意しているあいだ、東京から山形まで4時間とちょっとの運転で疲れた父はテレビを見ながら静かに晩酌をはじめる。妹と姪は、弟が家電量販店で務めていて、ニンテンドー DS を大画面でプレイできるモニターをこのあいだ設置したらしく、ゲームに夢中だ。 ここ数年の加藤家の年末の恒例といえば「岩牡蠣」だったらしい。ぼくも帰省の際に1度か2度、食べた記憶がある。恒例とまでは知らなかった。 聞けば「岩牡蠣」は毎回、母が予約をして取り寄せて

          余命10分 / 2023年1月9日 — 今年の牡蠣。

          余命10分 / 2023年1月8日 — いろんなにおい。

          待つ人のいない古い日本家屋は外気温、もしくは陽が当たらない分、外よりも冷えているように感じた。白い息を吐きながら電気をつけると、同時に父が部屋中に置かれたストーブたちにスイッチを入れる。灯油の燃える香りが部屋中に漂う。この匂いが好きだ。 電気とストーブをつけると部屋があくびをしているみたい。 奥の仏間に行って、母や、祖父母、曽祖父母たちに線香をあげる。この匂いも好きだ。 ぼくは車から途中のイオンで買ってきたたくさんの食材を台所へと運び入れる。母が寒くないようにと台所の足

          余命10分 / 2023年1月8日 — いろんなにおい。

          余命10分 / 2023年1月7日 — 俺の家の話。

          東北自動車道は福島まではまったくと言って良いほど積雪がない。さらに豊穣して山形に入ると徐々に、トンネルを超えるごとに雪が降り積もる。 高速を降りて町を走っているあいだも、あまり雪は目立たない。しかし実家のある山の中へ入ると一気に雪は深くなる。 かつての母がそうだったように、昔はこの家が大嫌いだった。昔の家の大半がそうであったように、大きくて立派な日本家屋であることには間違いない。土間をあがると囲炉裏があり、何十畳も広がる広間があり、立派な仏壇がある仏間がある。大黒柱や天井

          余命10分 / 2023年1月7日 — 俺の家の話。

          余命10分 / 2023年1月6日 — ただいま、という相手がいない。

          途中から読んでくれているひとのために改めて整理。 そう。毎年、父と母はこの雪深い実家にこもって年末年始を過ごした。つまり母がいなくなってはじめての年越しになった。 妹と弟は毎年帰っていたようだけれど、ぼくは時々だった。20代の頃は3年に一度くらいだったと思う。30歳も超える頃は長男という自覚が目覚めたのか2年に一度くらいになり、ここ数年はいろいろあって毎年のように帰ってきていたから、母のいない年末の空気はズンと重くのしかかった。 ただいま、という相手がいない。 例年、

          余命10分 / 2023年1月6日 — ただいま、という相手がいない。

          余命10分 / 2023年1月5日 —そっちじゃない。

          祖母も祖父も死んでしまってからのこの家は、父と母が週末だけ農園をやるための大人の秘密基地のような存在になっていた。たまに帰ると、祖父母の暮らしていた頃の面影はきちんとそのままで、でもところどころに父と母の「使い勝手」が侵食しているように見えた。 ばあちゃんの「使い勝手」に合わさなければ行けなかった頃の母は、この「実家」に帰るのが少しだけいやだと言っていた。昔からの理不尽なルール。暗黙の了解。男尊女卑。古い家だったから、そういうのはあたりまえだったと思う。嫌なら嫌っていうこと

          余命10分 / 2023年1月5日 —そっちじゃない。

          余命10分 / 2023年1月4日 — 台所。

          改めて説明すると、これは10分で書きあげる、天国にいる(はずじゃなかったけど)母のための日記です。 -- この年末年始の帰省では、台所担当は妹でも弟でもなくぼくがやった。それは料理の腕に多少自信があるから⋯と言いたいところだけれど、自分の食べたいものをしっかりと確保するためだったと思う。 年末の恒例のすき焼きにしゃぶしゃぶ。できあいの惣菜で済ませていた葬式の前後よりも工夫して、ちょっとした付け合わせは作った。 かつて「かまど」があってもおかしくないくらい古い台所は広く

          余命10分 / 2023年1月4日 — 台所。

          余命10分 / 2023年1月3日 — 人に話すことでもないけれど。

          この年末年始は山形で過ごした。父と母が暮らしていた山形市内の方のアパートではなく、父方の実家の方。この日記を読んでくれているひとならわかるかもしれないけれど、母が病床に伏せていた家(じいちゃんち)。祖父母が生きていた頃はもちろん、年末年始は父も母もここで年を越すのが定例だった。妹はほぼ毎年帰省して姪の顔を見せていたように思うけど、ぼくはろくに帰っていなかったように思う。気まぐれで帰ったこともあったけれど、それはあくまで自分のためで、つまり「ノスタルジー」や「親孝行」という言葉

          余命10分 / 2023年1月3日 — 人に話すことでもないけれど。