余命10分 / 2023年1月10日 — ただ通り過ぎるのもおかしな場所。

台所と、みんなでごはんをいただく大広間のあいだにはかつて土間で囲炉裏があった小上がりのような部屋がある。掘りごたつがあって、テレビがあるだけの部屋。家にあがったお客さんとひざをついてあいさつをする部屋。

祖父が元気だったころは、こたつの上座は祖父のコックピットのようだった。祖父の手が届く範囲に大事なすべてがしまってあったかのように思える。耳かきからつまようじ、印鑑から昔の思い出の写真まで、座って手を伸ばせば届くところから、手品のようにいろいろなものが出てきた。

祖父が亡くなってからは、なんでもない空間になってる。

例えば大広間へ持っていくお客さんのお茶を準備したり、父がひとりテレビで違う番組を見たい時の部屋になったり、姪が宿題やお絵かきに集中する場所になったり、みんなが寝静まったあとぼくがひとりで(かつては台所しごとを終えた母とふたりで)、しっぽりとお酒を飲む空間でもあった。

そこを通らないと台所やトイレ、お風呂場には行けないので、誰かが通りすがるたびに、そこにいる人になにかしら声をかけていくのがおもしろい。ただ通り過ぎるのもおかしな場所だ。

ここに座っていると今にも母がガラガラと扉をあけて台所や大広間から出てくるような気もするし、料理を運んだり、トイレに行くたびにここを通ると、向こうの大広間に、もしくは向こうの台所に、母がいそうな気がするのだ。

もしかして、と思う時、決まってそれは妹だったりする。背中や横顔が似てきた。


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