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余命10分 / 2023年7月18日 — ぎこちない毎日。

この日記は母の余命宣告を受けての自分と家族の日々の記録と記憶のための日記です。この感覚がいつかだれかの役に立てばと思って1日のうちの10分を使って書いていますが自癒の要素が大きいです。

2023年7月18日


8月12日に母の一周忌の法要を行うことになり、なんとなく “ぎこちなく” 暮らしてきたこの数ヶ月にピリオドを打たないといけないという気がしている。朝、シャワーを浴びてなんとなくこの日記の存在を思い出し、濡れた髪のままパソコンに向かう。とにかく10分、書いてみる。

1年前は何をしていたのだろうと振り返ってみると、ちょうどコロナ罹患による2週間の自宅待機が明ける日だった。熱はなかった方だけれど、からだは重くだるく、嗅覚が人より長く鈍っていた。ちなみに母は余命宣告を受ける前。家族のグループ LINE をさかのぼると「コロナでからだが弱っているだろうから、畑で採れた夏野菜を送るね」とのメッセージ。その次に、「入院」の2文字が現れるのだけれど、そこから1週間以上もあとの7月の下旬だった。

想像もしていなかった、という言葉が似合う。

2022年はジェットコースターのように過ぎ去り、気持ちの整理もつかないまま、2023年を迎え、なんとなく、自分で自分を静かに騙すように、小さな嘘をついているような日々。毎日毎日、きっと心がつらいのに、つらくないと言って動き出す姿が、まさに “ぎこちない” 。

昨日見たドラマで、母を亡くした少女が、言葉をしゃべることができなくなってしまった、というシーンがあった。からだはだいじょうぶでも、心のどこかが欠落するということは大いにあるのだと共感する。

この欠落を受け止めるための、ふとした日記の再開なのかもしれない。

ここで10分。以前の10分よりも、短いと感じた。

加藤淳也
1982年山形出身。東京を拠点に、広告のディレクター・編集者として活動しながら、東京・末広町にて PARK GALLERY を運営。2022年からは執筆業も行う。余命10分は、母の余命宣告を機に書くようになった10分間の日記。


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