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人生は自分でかけた呪いを解く旅

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最近、自分の過去の怒りや悲しみをノートに書いて「自分の中にはどんなトラウマがあるのだろう?」と向き合うのが日課になってます。

なぜこんなことをするのか?というと
やっぱりトラウマがあると”今見えてる世界”を歪めてしまうな。って思ってるんですよね。

「意地悪をされた」というトラウマがあると何かに挑戦するときに「また人から意地悪をされるんじゃないか」と思って足がすくんでしまったりとか

「人と仲良くしないといけない」って思い込みがあると「失礼な人にも優しくしないといけない」と、過剰にルールを守ろうとして、本当はその人が嫌いなのにずっと離れられない、とか。

「役に立たなくて叱られた」経験から
「何もしてない自分が許せない」といって、わざわざ自ら苦労を背負いにいったりとか。。。

そうやって、今見えてる世界を、等身大じゃなくって
過去のトラウマの延長線上に置いてしまうっていうのが

案外、人ってやってしまうのでは無いか?と
思ってるんですよね

なので今、自分の世界がどう見えているか?を知るために、
過去のトラウマを最近掘り起こしてます。

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私は「人生は楽しむためにあるもの!」とか、そういう
キラキラした感情ってあんまり抱いてなくって

むしろ
「人生は自分でかけた呪いを解いていく旅」
だと思ってるんですよね

その呪いが解けた瞬間、幸せに気づける、みたいな。

人の中には、何百個といった

・綺麗じゃ無いと愛されない
・お金がないと見向きもされない
・凄い人間にならないと惨め

みたいな呪いの言葉があります。

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それは、幼少期に他人に言われたり、出来事を通して自分の中に言い聞かせてしまった言葉だったりします。

私は原則「幸せになろうとする」のって不可能に近いんじゃないか?と思っているのです。

だって、自分の中に「自分はいつか裏切られる」みたいな呪いをかけていると、いくら幸せにしてくれる恋人ができたとしても、
いつも頭の中では「裏切られるんじゃないか・・・」と心配している状態になります。

これでは、幸せがそこにあっても、気づくことができません。

つい、自分の中の呪いの言葉って「真実」だと思い込んでしまうんですよね。

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私は過去の嫌な出来事を掘り返して、いま、自分になんていう呪いの言葉をかけているのか?というのを探しています。

最近、新たな挑戦をしようとしたときに、「あ、これは今自分の思い込みが邪魔してるな・・・」と感じることが多くなってきたのです。

そうして自分の中に見つけた、呪いの言葉は、これは自分が思い込んでしまった呪いでしかない。という風に「真実」とは切り離す作業がこれからも必要になってくると思います。

今回はそんなところで!

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