決意表明の舞台を「炎上する教会」にすることで、そのキャラが「赦し・癒しは不要!私はどうなっても構わない!!」と覚悟を決めていることを暗示する ~特撮ドラマ「仮面ライダークウガ」の場合
◆概要
【決意表明の舞台を「炎上する教会」にすることで、そのキャラが「赦し・癒しは不要!私はどうなっても構わない!!」と覚悟を決めていることを暗示する】は「キャラの感情などを暗示する」ためのアイデア。
◆事例研究
◇事例:特撮ドラマ「仮面ライダークウガ」(第1-2話)
▶1
本作の主人公は、五代(20代の青年)。
彼は第1話で特別な力を得た。このスーパーパワーを使えば怪物をぶちのめし、人びとを守ることができるだろう。
が、1つ大きな問題がある。五代は心優しい青年であり、暴力を嫌悪していたのだ。たとえ相手が怪物といえども暴力はふるいたくない!ましてや殺すなぞ!
というわけで
・Step1:五代は苦悩する。力を得たからには皆の役に立ちたい。しかし暴力は嫌だ!
・Step2:五代は、第1-2話で何度か怪物と戦う。そしてそのたびに、暴力をふるうことに対する生理的な嫌悪感に苛まされる。また、「殴ってしまった」「殺してしまった」という罪悪感にも苦しんでいるようだ。さらに、「暴力をふるう自分」を受け入れられず、自己嫌悪にも悩んでいる様子。
・Step3:しかし……やらねばならぬ!人びとの笑顔を守るためには特別な力を得た自分がやらねばならぬ!かくして第2話、五代は覚悟を決めた「俺は暴力が嫌いだ。だが人びとの笑顔を守るために、自分の感情を押し殺して戦おう!」。
▶2
ご注目いただきたいのは、覚悟を決めた五代が「俺は戦う!」と宣言し、初めて完全形態(マイティフォーム)に変身した場所である。五代は、炎上する教会の中で宣言・変身するのだ。
はて、一体なぜこの場所だったのか?
五代が初めて完全形態に変身する記念すべきシーンである。何か意味があるに違いない。ということであれこれ考えてみたのだが……。
一般的には、教会とは神に祈ったり、罪を告白して赦しを得たり、あるいは癒しを得たりする場だ。そう、赦しや癒しを得る場!
その教会が炎上するということは、【赦し・癒しを得る場が失われる = 生理的嫌悪感・罪悪感・自己嫌悪感が消え、五代が穏やかに暮らせる日はもうやってこない】ということを示唆していると考えられる。
そして、そんな状況下での五代の変身は、【「赦し・癒しは不要!生理的嫌悪感・罪悪感・自己嫌悪感に永遠に苦しみ続ける覚悟はできている!」という五代の決意】を暗示しているのだと思われる。
嗚呼、なんと悲痛な覚悟か!!
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