「カノジョができたんでしょ!」と誤解されるシーンを通じて、<最高のバディを得て仕事が充実していること>を表現する
◆概要
【「カノジョができたんでしょ!」と誤解されるシーンを通じて、<最高のバディを得て仕事が充実していること>を表現する】は、創作の技術の1つである。
当事者が「最高のバディを得て仕事が楽しいんですよ!」と語ったり、周囲の人から「いいパートナーができてよかったわね!」と祝福されたり……そんなシーンを描くのはあまりおすすめできない。だって、あまりにも陳腐ではないか!
それに対して、「カノジョができたんでしょ!」と誤解されるシーンを通じて間接的に表現する……なかなかどうしてオシャレだと思うのだ。
◆事例研究
◇事例:特撮ドラマ「仮面ライダークウガ」(第7話)
▶1
新たに出現した怪物と戦うヒントを得るべく、一条(刑事、クウガのパートナ-)が科学警察研究所を訪問した時のことだ。
榎田(研究所の責任者)は笑顔で迎えた「久しぶり、一条くん!」。一条も微笑む。どうやら2人は面識があるようだ。
だが次の瞬間、榎田は急に真顔になった「……あら」。そして言った「その顔はカノジョができた?」。
一条は戸惑う「いえ、そんな……」。
榎田は首をかしげる「そう?おかしいなぁ……」。
▶2
「一条にカノジョがいない」というのはどうやら本当のことらしい。つまり、榎田は見立てを誤ったのだ。
しかし、榎田は姉御肌で機微に聡いタイプのキャラに見える。そんな彼女が、なぜ見立て違いをしたのだろうか?この見立て違いは何を意味しているのだろうか?
想像するに、おそらくはこういうことだろう。
・1:一条は、怪物のせいで人びとが傷つき死んでいくことに心を痛めている。そして「一刻も早く解決しなければ!」と考えている。
・2:だがそれと同時に、彼はいま五代(= クウガ)という最高の相棒を得て、ある意味では大変に充実した毎日を送っている。
・3:その充実っぷりが顔に現れていたのだ。それゆえに、「カノジョができたのね」と榎田は見立て違いをした。
つまりこの「榎田が見立て違いをするシーン」は、【一条と五代がばっちり上手くいっていること】を鑑賞者に伝えるために描かれたのだと思うのだ。
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